第187話 クロスステッチの魔女、針休めをする

 思い出した時に、やっておかないといけないことというのがこの世にはある。……なんて仰々しく言ってみたものの、要するに、思い出した時にしておかないと忘れ果てて大変なことになるだけだ。魔女は長く生きるから、少し忘れただけで数年、数十年経つことだってよくある(らしい)。……まだ私は忘れ果てても数か月程度だけど、きっとそのうち年単位になると思う。

 イヴェットの観察日記を今日も書いた。ちゃんと話せるし、歩けるし、手伝ってくれるし、とてもいい子。あの子は元の家に戻った後、どこかの魔女に引き取られるのだろうか。それとも、母の元で姉妹達が作られたり売られたりするのを見守るのだろうか。どうあれ、無垢な核から生まれた善性が、そのまま在り続けていてほしい。ちょっと朝起きるのが遅かったことは、ちゃんと書いておいた。


「マスター、お道具を沢山出してどうしたんですか?」


「今日は針休め……というか、お道具全部休めの日にしようかと思って」


 刺繍針、縫い針、糸切り鋏に布切り鋏、ついでにおたまに包丁、その他もろもろ……金属製の道具を、時折休めてやる日。それは確か、故郷の風習だった。その日だけは料理はしなくてよかったのだけれど、その分前の日に用意をしておかないといけなかったから、これはこれで面倒だった記憶がある。

 魔女になった今は、道具類を前より適切な方法で休めることができる。資材倉庫にため込んでいた魔法素材の中から、大き目の樽に詰めた柔らかい魔力を含んだ土を出してきた。平たいお盆に土を柔らかいまま敷き詰めて、その上に道具たちを置いていく。


「ふかふかで気持ちよさそうー」


「アワユキ、ふかふかの上で寝たいなら他のもの用意するから待って! 土の上に寝たら、毛皮が茶色くなるから!」


「……」


「柔らかそう」


 アワユキを止めていたら、ルイスとイヴェットも興味のある顔でじっと見ていた。土が球体関節の隙間から入ってもよろしくないので、せめて土の上に魔綿の布を敷いて簡易ベッドを作る。


「転がるならこっちにしてほしいかな、好きにしていいから」


「わあい」


「ありがとうございます」


 あっという間に三人が転がって休み出したのを見ていると、大変に可愛らしかった。イヴェットは眠りたがりなのか、朝も眠そうにしていたのに一番最初に寝息を立てている。ルイスとアワユキの方は、単純にコロコロと転がって遊びたいだけのようだった。


「イヴェットは寝ちゃったから、起こしちゃだめよ」


「はい」


「イヴェット、ずっといたらいいのにね」


 アワユキが呟く。そんなことを言っても、もう別れは近づいていた。

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