第29話 クロスステッチの魔女、魔法をほどく(※残酷描写あり

 マスター、と不安そうに私にくっつくルイスの頭を撫でながら、私は血の中に沈む女の姿を見ていた。リズとは色合いの違う金髪がざんばらに乱れていて、血や傷で見えないがきっと瞳も青い色をしていたのだろう。全身が傷だらけの中、彼女はまだ、生きている―――生きて、しまっている。それを見ても、私は気持ち悪いとか嫌だとは思わなかった。だって、私は魔女なのだから。


『魔女は人でなしの集まりだ。美しいものにのみ膝を折り、生まれ持った身分や家族友人のすべてを放り捨て、人として安穏に結婚し子を得ることさえ放棄することを選んだ集団だ』


 魔女というものについて、お師匠様が語っていた言葉を思い出す。そう、私にとっては真っ赤な血と白い肌と金髪のコントラストが美しいとさえ思ってしまうのだ……魔女らしく。

 彼女には魔法が絡みついている気配があった。中途半端に解けた魔法は完全に解けておらず、べったりと彼女の魂に張り付いていた。魔法の正体を確かめるために、私は彼女に問いかける。


「ねえ、?」


 彼女は微かに首を振る。やっぱり、自分の名前を奪われているのだ。ある程度魔法が解けていても名前を思い出せないのなら、多分、彼女の名前を『リーゼロッテ』に変えてしまった分、本名を奪われている。けれど中途半端にリズと魔法で繋がったままだから、生きている彼女に引きずられる形で死ねていない。そして私が天啓で得たのは、彼女を癒す魔法ではなく、名前を取り戻させるための魔法だと悟った。


(本来なら、相手の魔法を破るには魔法そのものである作品が必要なのだけれど……さすがにないわね)


 あの魔女らしき女が持っていってしまったのだろう。それらしい魔法の気配はなかった。でもどうすればいいかは、天啓が教えてくれていた。


 昨夜、《血の護り》のハンカチに「Lieselotte」と白百合の糸で刺繍し糸始末をしなかったものに、流れた彼女の血を魔綿の手袋の指先につけて文字を塗り潰した。血が沁み込んだのを確認してから、クロスステッチで刺繍したその名前を解いていく。新しい手袋を出してきて、白百合の糸の染まっていない部分で改めて刺繍をし直した。天啓が私の手を動かすままに、文字を綴っていく。


「あなたのしたことは、罰が与えられてしかるべきことだと思うわ。私はサリルネイアの司法にも、アーユルエアとの外交にも関わる気はない。私が今ここにいるのは、ただ、あなたにかけられていた魔法を解くのが必要だと思ったからよ」


 身分の詐称とか、王族への殺害未遂とか、色々と彼女がやらかしただろうことは事実だ。それでも、自分の名前もわからないまま死んでいくほどの罪ではないと思っていた。天啓にそうしろと言われなくても、何かしようと思っていただろう。


(私は、思ったより人でなしになれていないのかもしれないわね)


 そう思いながら、私は出来上がった刺繍に無垢な子供の素直さをひと匙と、魔女の砂糖菓子の一番白くて綺麗な部分を振りかけて魔力を通した。彼女にかけられていた魔法が、じわじわと解けていく。本来ならもっと素早く解けるはずだろうに、かなり魔力を吸いあげられながらちょっとずつしか解けていない。私の力不足だ。


「これが、あなたの名前よ」


 唇の位置からして目だろうところに、刺繍が見えるように掲げる。彼女はその名を口の中で何度か転がして、ぽたり、と一滴の涙を流した。それで、残っていた魔法の名残が吹き払われる。


「ぁり、が……と……ごめ、ん、なさい」


 それが、最期の言葉だった。彼女は名前を取り戻して、安心したような表情で死んでいくことができた。


「マスター……その、彼女は」


「死んだわ。付き合わせてごめんなさいね、ルイス。宿に荷物を取ったら、そろそろ家に帰りましょうか」


 そう言って立ち上がった私が刺繍をしまって帰ろうとしたとき、晴れていた日が少し翳った。


「あれは……《裁きの魔女》……!?」


 私を上空から囲むようにして、七人のローブを纏った女が箒もなしに空を飛んでいる。とてつもなく、嫌な予感がした。

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