第24話 ニセ姫様、思い返す

「それではリーゼロッテ姫様、おやすみなさいませ」

「おやすみなさいませ」


 この城でつけられた侍女達が頭を下げるのに、あたしは返事をしないで見送った。振り返りもしないあたしは、鏡越しにドアが閉まったのを確認してからほうと息をつく。『リーゼロッテ姫』の名前と立場し、夢見たお姫様の生活が叶ったこと……それは嬉しい。けど、侍女をいないもののように扱い振る舞うのはどうにも無理そうだった。自分がそうだったからか、その立場も名前も捨てたのにうまくやりきれない。


(本物のリーゼロッテ姫様は、あたしのことなんて家具としか思ってなかったのにねぇ)


 夫であるサリルネイア王子は、結婚式の後は距離を置きたがっていた。


『姫がこの国に慣れてから、私に慣れて仲良くしてほしい』


 そう言った王子は大層お優しい人で、人形のように整った顔をしていた。だから、余計に顔を合わせにくく、これ幸いと離れさせてもらっている。

 純金のようなリーゼロッテの髪と、藁束でしかないあたしの髪。

 冬の日の一番澄んだ空のようなリーゼロッテの瞳と、安い糸のように青いだけのあたしの瞳。

 最高級の陶磁器人形にも負けないリーゼロッテの白い肌と、ただ屋内仕事で焼けなかっただけのあたしの肌。

 鏡を見ながら、1人でため息をつく日課は『リーゼロッテ姫』の名前を奪ってからも止まらなかった。同じ色をしているからこそ、差異が目立って仕方ない。それでもあたしのことがバレていないのは、一重にあの魔女の魔法のおかげだ。


『いい、いいねぇ。あんたのその妬み、僻み、嫉妬! ひねたあんたの魂が、あの苦労知らずの姫様の魂を傷つけるのは面白そうだ』


 アーユルエアの国を出た直後、馬車から降りたリーゼロッテが休む支度を整えていたあたしに、魔女はそう話しかけてきた。魔女はあたしの心の奥底にあった暗い欲望を見抜き、煽り立て、膨らませる。そして、あたしに囁いたのだ。

『お代さえもらえるなら、あんたをリーゼロッテ姫にしてやろう』


 アーユルエアの城に時折出入りしていた、呑気に針仕事をしているだけの魔女とは全然違う女だった。顔も名乗りも、あたしの記憶にはないのだけれど、彼女がどんな魔法を使ったのかは覚えている。大得意だという顔で説明していた、暗く悍ましい魔法……それを、誰かに話したくて仕方ないという顔だった。


『裏切られて死んだ女の髪で織り、墓から暴いた真新しい骨を砕いた粉で染めた布。人の腱を裂いて、穢れなき子供の血と涙で染めた糸。針は母親だった女の指の骨を削るのが一番さね。さ、あんたの髪をお寄越し』


 魔女はそう言って、あたしの髪と赤黒い糸を撚り合わせ、あたしの名前を刺繍した。それからリーゼロッテの髪を使うから持ってこいと言うので、うたた寝をしていた彼女の髪を抜く。


『痛っ……どうしたの……?』


『虫がいたんですよ』


 そう言って誤魔化し抜いた髪は、あたしの金髪より細くて綺麗で妬ましかった。魔女に髪を渡すと、魔女はリーゼロッテの髪と赤黒い糸でリーゼロッテの名前を刺繍する。それからぶつぶつとまじないを唱えながらそれらを解き、また刺し直した。今度はあたしの髪と撚り合わせた糸で、リーゼロッテと。それからリーゼロッテの髪で、リズ、と。


『さぁ、これで入れ替わりのお膳立てはしたよ。川でお姫様の背中を押せば、その時こそ入れ替わりの時さね』


 後はあんたの好きにおし、と言われ、それからこうなった。魔女はいつの間にか姿を消し、あたしはリーゼロッテになり、リーゼロッテは卑しい鵞鳥番だ。

 あたしはもう休もうと目を閉じる。そして眠りの際になって、ふと、疑問に思った。


(そういえば……あたしの本当の名前って、なんだっけ)


 もうリーゼロッテになったから不要なはずなのに、思い出せないのは少しだけ寂しい気がして。あたしはそんなことを思いながら、眠りに落ちた。

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