第19話 中古《ドール》、空を飛ぶ
僕は、魔女組合だという建物の中をきょろきょろしながら、あの嫌な感触を忘れようとしていた。マスターのカバンに入れられて空を飛ぶのは楽しみだったはずなのに、いざその蓋を閉められると、とてつもなく怖かった。
暗闇。しっかりとした裁縫で、蓋を閉じてしまえるカバン。そのまま出られくなってしまったような、感覚があった。肌に触れるのはマスターの魔力のあるくるみボタンや、マスターがくれた巾着袋や、マスターがくれた魔法の服だ。安心できるはずなのに、怖い。僕を包むのは柔らかい布地のはずなのに、何故か、冷たい石の壁に閉ざされてるような気分になる。
(でも、ここで出たいなんて暴れたら、マスターが困ってしまう)
それは嫌だったから、なんとか大人しく耐えようとした。少し動いてしまったら、マスターがカバンにぽんぽんと触れてくれて。それがなんだか、暖かかった。
マスターに砂糖菓子をもらって、カバンからも出してもらって、落ち着いた僕は心配をかけないように振る舞おうとした。なんとなく、そういうことには慣れている気がしたし、きっとできていると思う。
「僕、マスターの魔法が見てみたいです」
そう言って2人で蝶を追いかけて、出会った妙な人に気に入られた。女の人なのに、男のような格好をしていて、僕に興味津々って顔をしていて。スノウと名乗った、生成りの髪に黒い目をした《ドール》は僕と同じくらいの少年型で、僕も空を飛べるようになるという魔法のジャケットをもらってしまった。
ベージュの表地に、折り返した袖や襟は薄い茶色。真鍮のボタンが三つに、襟にはリボンでできた白い羽の刺繍。袖口の折り返しは白いレースでぐるりと覆われていて、ボタンの下から裾先にかけては薄茶色のレースが縫い込まれていた。レースと刺繍から、なんとなく指先がぴりぴりするものを感じる。きっと、魔法だ。今着ているブラウスと同じ。
「じゃあ、このジャケットの魔法の説明をしますね。といっても、あまり大したことはしてないんです。服に飛ぶための魔法がかかってるから、俺たちは袖を通してバランスを取るだけです」
ほら羽織ってみて、と言われるがままに、刺繍とレースのついたジャケットを羽織る。後ろが鳥の尾みたいに長くて、ひらひらと揺れたら綺麗そうだ。
「あ」
そんなことを思ってたら、ジャケットがいきなり浮き上がった。もちろん中身である僕も浮くので、いきなりなくなった足元の感覚に僕は慌ててしまう。慌てて着地しようとじたばた藻掻いてみても、残念ながら曲芸のように回ってしまうだけだった。
「ちょっ……ルイス!?」
「ま、マスター、助けて、ください、僕、」
右腕をマスターに、左腕をスノウに取られて、やっと回る視界が落ち着いた。その間も、ジャケットはもっと上へ上へ飛びたそうにしている。
「いきなり魔力を通せるだなんて、才能あるじゃない。いい子を見つけたわね、クロスステッチの魔女」
「グレイシアお姉様、私は何も教えてません……」
ちょっと驚いたような顔をして話すマスターに、マスターのお姉様は楽しそうにしていた。僕だってびっくりしている。いきなり飛んだのだから。
「あの、魔力を通すって、一体……僕は、綺麗だなって思っただけで、特別なことは何も、」
「それがね、魔力を通すってことなのよ。魔女が手を加えた魔法の作品と、それを綺麗だと思う心。この二つで、魔法は発動するわ」
「そんな簡単なことで魔法ができてしまったら、この世界は魔法だらけになってしまうんじゃないですか……?」
僕の呟いた問いに、マスターは面食らった顔をした。マスターのお姉様は、「ぷっ」と小さく笑った後、程なくそれは爆笑に変わる。
「アッハ、アハハハハ、アハハハハハハ! クロスステッチの魔女、貴女、この子を買ったのは運命よ運命! 魔法について最初に手ほどきした時の貴女と、まったく同じこと言ってるじゃない!」
「もう15年は前の話ですって、グレイシアお姉様……」
マスターは三角帽子を被って俯く。照れているようだった。ちょっとかわいいと思ったのは、内緒だ。
その後は、スノウに習って魔法のジャケットの着こなしをお勉強した。小さいタイプの《ドール》が、マスターと同じ視点に立てるようにと作られた魔法のジャケットで、グレイシア様とご友人の魔女の共同制作なのだそうだ。場所を移して、魔女組合の中でお茶をしながら、マスターとグレイシア様はそう話していた。
飛んで、降りて、回ってしまわないようにバランスを取って、空中を歩いて。スノウは綺麗な笑顔のまま「はい、赤ちゃんのハイハイよりは進歩しましたね」とか「もうちょっと早く歩けないといけませんよ」と言ってくるので、ちょっと厳しい。でも、悪いだけの言葉ではないし、ちゃんと褒めてもくれたから、悪い気はしなかった。
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