第11話 中古《ドール》、目を覚ます

 僕が名前をもらって目を覚ましたとき、その名前は、不思議なほどひどくしっくり来ていた。


『汝の名前は、ルイス』


 ルイス。それが、名前。物を考える余地が大きく広がり、過去と未来に目を向ける力を得たのは悦びだった。けれど同時に、自分の体の現状をしっかり把握してしまい……恐怖が募る。首から下に自分の意志が反映される様子はない。魔法糸の神経が壊れかけていて、ただパーツが取れないようにしているだけの存在に成り果てているのがわかった。本来ならできるはずの『立ち上がる』や『手を伸ばす』ができず、人形用のベッドに横たわったまま動けない。


「ぁ……ます、たー?」


 出せた声もどこか舌足らずで、笑顔のマスターに抱き上げられても体は相変わらず動かなかった。名前をつけられて広がった思考が、拙い『予測』を弾き出す。

 《ドール》として不良品の僕は、名前を取り上げられ、あの店に戻されてしまうんじゃないかって。

 自分を買ってくれたマスター、つけてくれたこの上なくしっくり来る名前、覚醒した思考と心……どれか一つでも失うかもしれないと思うと、恐ろしくてたまらなかった。せっかくマスターに抱き上げられているのに、その感触もほとんど伝わってこない。魔力は底の底をついていたから、魔力の不足を伝える刺すような痛みが全身にあった。首から下は、少しの触れられた感触と、痛みしか伝えてこない。僕の言うことを聞く気はないようだ。


「ルイス? どうしたの、どこか痛い?」


「すみ、ません、マスター……魔力が、足りなくて。それに、手も足も、感覚がない、です。ごめんなさい」


 素直にそう言うと、彼女は慌てた様子で砂糖菓子を口に入れてくれた。すぐに砕けて、口の中で甘味と魔力がほどけていく。彼女は僕を不良品と言うどころか僕に謝ってきて、彼女の師匠の魔女に僕を見せてくれた。


「ここはあたしの工房であり、人間で言うところの病院。お前が生まれた工房にも近い。だから目を閉じて、あたしに身を任せろ―――《核を示せ》」


 工房と言われても何もピンと来なかった。本来の《ドール》……師匠の魔女が連れていた二人は、覚えてるのだろうか。彼女に己の核を見せたのは、魔女の後ろでマスターが頷いていたからだった。僕はマスターを信じたから、彼女に身を委ねだのだ。

 そして今、不足していた魔力を吸い上げた核が体に戻された感覚がある。きっともうすぐ、彼女は僕を起こしてくれる。そうやって回想を終える刹那、奇妙なものが見えた。


 燃え上がる炎が僕に迫る。僕は逃げ出すことはできない。周りにいるのは敵ばかり。僕は自分に意志があることを恨む。僕は人形になってしまいたいと願った。沢山の悲しみと、少しの怒りと、たっぷりの諦め。ごたまぜにした黒い絵の具のような負の感情は、僕の思考に一瞬閃いて……彼女の声に、幻のように消え失せる。


「汝のマスターたる、クロスステッチの魔女が望む……起きて、ルイス。」


 それは何より尊い、救いの声だと思った。

 目を開くと、新しく張り替えられた魔法糸が全身に魔力を行き渡らせてくれている。僕の全身を構成するパーツはすべて魔力に満ちていて、特に左目にはたっぷり詰め込まれてる実感があった。寝かせられている、布団の感触も伝わってくる。


「おはようございます、マスター」


 笑顔も作れる。心配そうな彼女の前に立ち上がり、手を握ったり開いたりを繰り返し、元気であることをアピールした。マスターの隣にいたその師匠に言われるまま、体のパーツを動かして魔法糸が繋がってることを示す。

 その様子を見て、安心したように笑ってくれる彼女の笑顔を、何より守りたいと思った。

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