第3話 中古《ドール》、新しい人に買われていく
名前を消されたその《ドール》は、微睡の中にいた。目は開いているが、見えていない。耳は聞こえているが、聞いていない。前の持ち主に「もういらない」と売られてから店にいる間、彼は魔力消費を抑えるために意識をほぼ落とされていた。それでも、まったく全てを知覚できていないわけではない。しかし名前を取り上げられた状態では、知覚したことに対して思考する心は働いていなかった。
『魔法糸に傷み? それはちょっと』
『タトゥーがあるような《ドール》なんて欲しくないわ、他はいないの?』
『前の持ち主に何を仕込まれてるか、わかったものじゃないし……』
時折、そう言った客たちの声を聴いた。それを悲しいとか、嫌だとか思う感情も名前のない今は麻痺している。
ただ淡々と、自分はずっとこのまま居続けるのだろうと思っていた。自分がどんな姿勢で陳列されているかも、どれだけの時間を過ごしているのかもわからない。過去を思い返そうにも、ひどく頭や魔法糸が痛んでできなかった。服の模様が保つ《身繕い》の魔法によって、体内の魔力が見た目の劣化を遅らせるのに消耗され続けていく。店主の老婆による不定期な補給より、体内の魔力は速くすり減らされていく。その結果魔法糸がより傷んだから、手足の感覚は随分と前に失っていた。今ではただ、自分の身体についている四本の棒でしかない。
思考はまとまりを持たず、考えたことは数瞬後に消え失せていく。何かを考えていたはずなのに、何を考えていたのかさえも忘れていった。
(いっそ、完全に意識を落としてくれたらよかったのに)
《ドール》は中途半端に覚醒した意識のまま、強いて言うなら終わりを望んでいた。傷んだ体内の魔法糸が完全に切れてしまえば、そのまま廃棄してくれないだろうか。意識を活動させない《眠り》の魔法の編み物が不完全だったのか、少しだけ物を考えてしまえる余地があった。眠りきれず、完全な覚醒もできず、微睡の中に居続けている。不完全に存在している意識は、名前がないから取り留めのない思考をする以外は何もできない。
そんな風に無為の時間を過ごして、どれくらいの時間が経っただろうか。
『この子、ください』
そう言った声が聞こえたかと思うと、抱き上げられた感触があった。《眠り》の編み物が離れて、少し意識がはっきりする。柔らかい手が、髪を撫でて梳く。慣れた店主の魔力と違う魔力を感じる。どうやら、自分は買われようとしているらしい。
(でも……)
きっとまた捨てられるかもしれない。売られるかもしれない。かつて、いらないと言われてしまったのだから。その魔女に抱かれて店を出た時、《ドール》は今度は捨てられないようになんでもしようと決めていた。そしてその決意もすぐ、微睡みに呑まれていった。
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