第2話 クロスステッチの魔女、自分のドールに出会う
薄暗い店内であることを考慮しても薄汚れた体に、ぼさぼさで絡まった短い銀色の髪。右の瞳は深い赤で、左目はどこかに落としてしまったのか空洞だった。瞼がないタイプかと思ったが、どうやら横たえると目を閉じるタイプらしい。薄く透けた簡素な衣未満のものを着ているその下、腰と太腿には花と蝶のタトゥーのようなものがあるのが見えた。衣には服とほぼ同じ色でうっすらと刺繍がされていて、私にはわからない何らかの魔法が籠められているらしいのがわかる。意識は眠っているのか、少し触ってみてもぴくりとも動かなかった。持ち上げてみると、中の魔法糸が伸びているのか上半身と下半身がびよんと別れる。
「……おや、お客さん。どうかい、うちの《ドール》。前の持ち主のクセはついてるけど、その分安くしておくよ」
突然現れた不気味な老婆に促されるまま値札を見てみると、確かに安かった。この大きさの《ドール》の相場の半額……と思ってみたら、さらに目の前で赤線が引かれる。もっと安くなって、今では半額以下だ。
「あんた、四等級の新米じゃろ。今着せてる服も合わせて、この値段でどうだい? 《身繕い》の魔法がかかってる服だから、寝間着にしてやれば長持ちするよ」
「この子は何級になるの?」
「
《呼び出し》か何かの魔法のかかっていたらしいレース編みのドイリーを老婆がこつんと叩いて、私は現れた羊皮紙の内容を確認した。
工房不明、少年型の《ドール》、《名前消し》処理済み。核は悲しみのサファイア、精神等級は半月級。内部の魔法糸に傷み、肌に汚れあり。腰と太腿に、魔力の籠った蝶と花のタトゥーシールあり。……中古で売るにあたって取っていないということは、取れないのだろうか。
半月級ということは、ある程度受け答えのできる……《ドール》の必須材料である「心のカケラ」が多めに含まれた子だということだ。もっとも、今出回っている《ドール》は半月級と三日月級の二種類しかないので、大まかな指針にしかならないのだけれど。悲しみのカケラから作られた核ではあるけれど、半月級とはいえいつも泣いているような子にはならない……はずだ。お師匠様のところの子達はそうだった。
「あの、《名前消し》ってなんですか?」
「前のマスターがつけていた名前と記憶を消して、お嬢ちゃんが最初のマスターであるかのように振る舞うようになっているんじゃよ。前のマスターのつけた個性が少しは残るから、普通の《ドール》より面白い挙動になるらしくてのう」
少し、だいぶ、迷った。何せ記念すべき最初の《ドール》だ。素直に癖のない、新品の工房製を買うべきだとは師匠も隣人も言っていた。何かあったら、出身工房の魔女達も面倒を見てくれるからだ。でも、目が合ってしまった。汚れを取ってやれば、結構綺麗かもしれない。
私は考えた。傷ついてボロボロの人形を買って、きちんと愛せるのか。手と時間をかけられるのか―――彼らにとって一番の栄養は、マスターに愛されることだから。そんな時に思い出したのは、かつて東から来た魔女から聞いた言葉だった。
『東の国ではね、壊れて欠けたモノを継ぐのは愛の証なの。それを直す時、傷が目立つように金を使う人もいるくらいなんだから』
どうしてそんなことをするの、と聞いた時の、彼女の笑顔を覚えている。
『だって、傷はその子が辿ってきた道の証。唯一無二の、その子だけの物語だもの』
あの人に弟子入りすることは叶わなかったけれど、教えはまだ私の中にある。
だから、そう……この子を買うことにしよう。
「この子、ください」
「毎度あり」
ドールと証書を梱包しようとした店主に、「すみません、その子は梱包しないでもらえますか?」とつい言ってしまった。代金と一緒に名刺代わりのくるみボタンを差し出そうとするが、老婆は代金だけを受け取る。
「服とか、替えの瞳をそのまま買っていきたいので」
「わかったよ。言っておくけど、返品は受け付けてないからね。あと、うちはそういうのは受け取らないんだ。何事も一期一会、縁があったらまた来るといい」
頷いて証書をカバンに入れ、そのまま《ドール》を腕に抱いた。標準サイズより小さめの個体だけれど、こういうサイズの少年型の《ドール》用の服を売っていた店は、迷っている最中に見た記憶がある。
店を出る時の挨拶に、返答はなかった。
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