調査ケース203

@isaburou

調査ケース203

2087年9月13日(土)


依頼人:ケイト・アンダーソン/妻

調査対象:トッド・アンダーソン/夫


調査内容:失踪人捜索

ありがたいことに約半月ぶりの仕事だった。厳密に言えば先週モリー夫人の飼っているコーギーを探すという仕事を受けたがあんなもの仕事のうちに入らない。しかもアパートの屋上に入り込んで出られなくなっていただけだったのだからお粗末な事件だ(詳細はケース202参照)。

 依頼人のケイトが訪ねてきた時、彼女は憔悴しきっていた。衣類や髪は一見整えられていたものの、所々に動物と思しき毛がついていたし、目の下のくまは深く、まるで何日も寝ていないようだった。中でも目立ったのは顔中にできた痣で、暴力を受けている事は明白であった。

 暴力を受けている相手の失踪調査なんかして意味があるのか。そのまんま別れてしまえばいいと思うのは俺が独身だからなのだろうか。

 ケイトは俺の腕を見て少し怯えているようだった。暴力を受けた人間は他人の腕の動きに敏感になるというが、もう一つの理由は俺の両腕の義肢が未塗装の金属剥き出しである事も原因と思われた。俺は捲っていた袖を正し、手袋を着けた。これで少しは落ち着いてくれるといいが。

 俺は調査対象の様子を見るために、ケイトの記憶チップにアクセスを求めた。

 ケイトは抵抗感を顕にしたが、口伝に頼るよりもバイアスの無い映像を見たいということと、探偵の職業ルールとして無関係の記憶は覗かないことを約束し、彼女の電脳にケーブルを挿した。

 近い記憶から遡る。最初の記憶は先週。小太りのハゲかけた中年がよれたTシャツの袖を捲りあげている。両腕が重労働向けの太い強化義肢になっていることから何か力仕事をしていることを窺わせる。

酒に酔ったトッドがケイトの静止に対し暴力で答えていた。部屋の中は荒れており、トッドとケイトのやり取りに家具は倒れ、猫が怯えて走り回っていた。そしてトッドはそんなことはお構いなしにそのまま外出という流れだった。そしてそれ以降帰って来ない。

調査対象の風体は分かった。

 ケイトの視点を拝借しても、調査に大金を出そうというほど良い男とは思えなかった。

さらに数週間遡っても同じような映像が流れるだけだった。最低の男じゃないか。

状況はだいたい飲み込めたので、俺はケイトからケーブルを回収し事務所を後にした。

まずはドクターのところに向かった。先週注文していた新しい義眼が手に入ったとの連絡を受けていたので、依頼料の前金でチューンナップを施した。今までの左目の望遠機能に加え、新たにサーモアイが使えるようになった。もう少し早く手に入っていれば、前回の犬探しも数分で終わっていただろうに。

残りの依頼料が入ったら右目も義眼化して暗視眼でも入れようかと検討した。探偵としてあって困るものではないだろう。

ついでに両腕の義肢のメンテナンスも済ませると、俺はまずトッドの職場に向かった。

ケイトから職場の情報は聞いていたが個人情報などと言って電話では教えてくれないので、こういうのは直接現場に行くに限る。

事務所から車で三十分ほど行った距離の建築中のビル。アキツ社が出資しているこのビルは、地区のランドマークとなるような超高層ビルになるらしい。トッドはそこの労働員だったようだ。

俺は現場関係者のふりをしながら、トッドの情報を聞き出した。

トッドは元々問題行動も多く、悪い意味で目立つ存在だったようだ。遂には1ヶ月前から無断欠勤のまま姿を見せなくなったらしい。会社はとっくに解雇されていた。

その中でも特にトッドと仲のよかったと思われる男との接触に成功した。

大きな声では言えないが、と前置きをして男は語った。

どうやらトッドは失踪間際、闇ドクターを探していたらしい。

義体関係でドクターを訪ねることは一般的だが、出先などで別のドクターに掛かってもいいようにクラウド上には記録が残る。その点、闇ドクターなら情報が漏れる事はない。

探偵としての経験上、こういう闇に関わる案件は大概違法武器なんかを仕込む時だ。

だんだんきな臭くなってきた。

俺は知り合いのドクターにあたり、この近辺で営業している闇ドクターを洗い出して回った。さほど数も多くはないのですぐに当たりは見つかった。

スラムの奥。ビルの隙間を抜けた半地下で営業しているマーカスという男だった。

俺はマーカスを(ある程度痛みを伴う方法で)説得しカルテを借りる。

違法武器の仕込みではなかったものの、なんとも不思議な施術だった。

トッドは両腕の太い義肢を最低限の駆動システムだけ残してダウングレードしている。

強化義肢が不要になったならこんな施術をするよりも、一般義肢に変えた方が安上がりなのだが、なぜこんなことをする必要があるのだろうか?

マーカスに尋ねてみても、客のオーダーだ、としか答えなかった。

そうこうしているとマーカスの元に見るからにガラの悪そうな客が来た。剃り上げた側頭部にはスカルヘッドのエンブレムタトゥーが入っていた。スカルヘッドはこの辺りでは札付きのギャングで特にイカれた集団であり、もちろん違法改造から違法武器までなんでもありの連中だ。

目を付けられては敵わんと俺はマーカスのラボを後にした。

車に戻った俺は目を閉じて、コピーしていたケイトの記憶を改めて覗いてみる。

今度は数ヶ月前から現在まで順に追ってみた。やはり以前から粗暴な男だったようだ。しかし外出が多くなったのは1ヶ月ほど前からだったようで、これは強化義肢のダウングレードをした時期と一致する。

1ヶ月ほど前に何か明確なきっかけがあったように思うがそれはケイトの記憶からは読み取れなかった。

ついでに気になった点でいえばケイトは普通よりも記憶ノイズが多いことくらいだろうか。ノイズはストレスで増えるというし、こんな旦那がいたら当然とも思えた。

次の行動を考えていると、マーカスのラボがあった路地から先ほどのスカルヘッドの男が出てきた。

ずいぶん重武装に変わったようだ。恐らく軍用の違法骨格を仕込んであるし、あの腕の張り具合からしてランチャーなんかも入れているだろう。

しかし一介のギャングが一気にここまでアップグレードできるだけの資金があるのだろうか。

この街の治安悪化に対し一抹の不安を覚えつつも、今は手がかりがないため、今日はとりあえず帰ることにした。

捜索から3日目、今日も手がかりは無い。

ここまでぱったりと足取りが途絶えているところを見ると、恐らく対象はもう生きていない可能性が高いんじゃないかと思う。

どんな悪党でも生きる奴は生きるし、善人だってあっさり死ぬ。ここはそういう街だ。

ここ3日は毎朝新聞の死亡者欄に目を通す。他の記事といえば、役人の汚職だとか、どこに強盗が入っただとか、新手のヤクが出回っているだとか、この街のゴミっぷりが上がるだけの情報ばかりだ。以前仕事で何人かヤク中の相手をしたことがあるがあいつらはクソだとつくづく思った。

俺は久しぶりに馴染みのバーに顔を出した。

警官時代の元同僚のイーガンがカウンターで酒を煽っていた。

俺はスコッチをダブルで注文するとイーガンの隣に腰掛けた。

イーガンは荒れていた。なんでもゴミ処理場から身元不明の死体が上がったらしい。

俺は嫌な予感がして頼んだスコッチをキャンセルするとすぐに死体安置所に向かった。イーガンの名前を借りて入室許可をもらいジョン・ドゥ(身元不明遺体)の顔を拝む。

顔面から後頭部にかけて丸い穴が開いていたお陰で顔の判別はできない。至近距離で大口径の銃(恐らくショットガンか何か)で撃たれた銃傷だ。しかし禿げかけた頭髪に小太り、よれたTシャツ。そして何より太い腕の強化義肢。紛れもなくトッドだった。

検死官の話を聞くと、内蔵が全て抜かれているらしい。

これは間違いなくギャングの仕業だ。内臓は後進国に高く売り、身元が割れないように顔を潰す。わかる奴にはわかる見せしめの手口だった。

俺はケイトに電話を掛けて状況を説明する。彼女は嗚咽を漏らしながら俺の話を聞いていた。あとは彼女が警察に手続きをすれば遺体は引き取れるはずだ。この街じゃあこんな死に方そう珍しい事でもない。ロクな捜査もされずあっさりケイトの元に帰れるだろう。

失踪人は見つかり依頼は解決した。俺の仕事はここまでだ。

ここから先は俺の興味の範疇。

トッドはなぜ殺されたのか。ギャング相手に何をしていたのか。そしてこの近辺をナワバリにしているギャングといえば。

俺はピンクゾーンにいた。スカルヘッドがアジトにしているクラブだ。

挑発的で暴力的な視線と言葉が俺に飛ぶ。それを無視してバーカウンターに向かっていると髭の男が絡んできた。まぁ要するにここがどこだかわかっているのか、だとか用がないなら帰れだとかそんなような事だ。

俺はその男の腕を捻り上げ、名刺を渡しボスの所へ案内するように促すと、萎縮した男は人混みに消えていった。

 相変わらずの敵意剥き出しな視線に晒されながらカウンターで炭酸水を飲んでいると、先ほどの男が俺を呼びにきた。

 V I P席に案内されるとそこには派手な男が両腕に女を侍らせていた。

下っ端たちの敵意とは裏腹に派手な男は余裕の態度だった。ボスで間違いないだろう。

 ボスは俺の名刺を見ると、なるほど、と呟き、あんたがシルバーフィストか、と尋ねた。

自らそう名乗った事はないが、裏の世界ではその名で知られているらしい。

探偵・シルバーフィストも有名になったものだ。きっかけは間違いなくあの事件だろう(ケース017を参照)。

トッドの写真を見せる。ボスは顔色ひとつ変えず、この男がどうしたと聞いてきた。

なぜ死んだのかそれが知りたいだけだ、警察にチクる気はないと伝える。

事実、俺は真実が知れればそのまま立ち去る気でいた。

ボスは単純なゲームを持ちかけてきた。要するに腕相撲。俺が勝てば情報を聞きだせ、もし俺が負ければ、その時は、この両腕を置いていく。

俺は条件を飲んだ。

ボスが合図を出すと、奥の部屋からひときわデカい男が現れた。身長は俺の1.5倍か、腕は俺の胴回りよりも太い。そして、完璧なまでに違法改造の施された義体だ。恐らくこの集団の主力戦闘員。

てっきりボスと勝負するものだとばかり思っていた俺には些か想定外だった。

ボスの目の前に丸いハイテーブルが置かれた。勝負の準備は着々と進められており、気付けばギャラリーも集まってきている。

考えていてもやるしかない。ある程度本気を出さざるを得ないようだ。

大男がテーブルの前に立つ。スタンバイは完了のようだ。俺もジャケットを脱ぐと、シャツの袖を捲り、手袋を外した。銀色の腕が露わになる。

互いの掌を握り、組み合った。

レフェリーの威勢のいい声と共にゴングが鳴る。

勝負は一瞬で決まった。

ハイテーブルは砕け、大男の腕は肩から外れていた。もげた腕の断面からは何本ものケーブルが飛び出していた。

ボスは唖然とした表情をしていたが、すぐに手を叩き椅子に座り直す。

ボスから簡単な賞賛の言葉を浴びたが大して良い気分にはならなかった。

そして本題である。

トッドは1ヶ月ほど前に金を稼ぎたいと訪ねてきた。スカルヘッドの元にはちょうど入荷したばかりのヤクがあったため、彼をその売人に指名した。しかし2週間程前から、売上の計算が合わなくなってきたため、問い詰めたが知らぬ存ぜぬ。おおかた自分で使っているのだろうと疑われ始め、ついに昨日消されてしまったという訳だ。

しかし、スカルヘッドの方にもまだ問題は残っているらしく、トッドの寝泊まりしていたモーテルを家探ししても、預けていた大量のヤクが見つからず困っているのだという。

ボスは俺にそのヤク探しを依頼したいと持ちかけてきたが丁重に断った。

ギャングに貸しを作るのはやぶさかではなかったが、ヤクが絡んだ案件でロクな目に会った事がない。

翌日、俺は車に乗り込むと、ケイトの元に向かった。トッドはなぜ死んだのか、その真相を伝える必要があった。何よりもう時期ギャングがトッドが住んでいたこの家を突き止めヤクを探すだろう。そうなるとケイトも巻き込まれる可能性がある。

警告が必要だった。

ケイトの家の前に車を停めると玄関に向かう。呼び鈴を押してしばらくするとケイトが出てきた。

この時、俺はケイトに違和感を覚えた。

ケイトは俺をダイニングに通しコーヒーを出す。俺は事情を説明した。トッドがこれまで何をしてきたのか、何故死ななければならなかったのか。

ところが意外にもケイトは落ち着いて聞いていた。というよりも、どこか興味を失っているような印象さえ受けた。まずこれが最初の違和感だ。

トッドの遺体は既に警察から引き渡され2階のトッドの寝室に寝かされているという。

俺はトッドの遺体を見せてもらうようケイトに頼んだ。ケイトは拒んだような表情を見せたが、少しだけならと了承した。

トッドの部屋は床に衣類や雑誌が散乱し、とても人が住んでいたとは思えなかった。

ただ、目に付く棚の数箇所に結婚式の写真や二人の若い頃の写真などが飾ってあった。

こんな男でも昔を懐かしんだりするのだろうか。

俺は闇ドクターに依頼していたダウングレートの件が気になっていた。検死官のところでは、ケイトに伝えることを優先させたためにきちんと調べる事ができていなかった。

ここで、ケイトに感じた第二の違和感だ。

トッドの義肢に触ろうとするとケイトは激昂した。死者への冒涜だと。

ケイトの怒り具合は尋常ではなかった。ヒステリーと言ってもいい。

ケイトの怒りに驚いた俺は後ろに仰け反った拍子にドアに頭をぶつけた。

これ以上は話にならない。伝えなければならない情報は伝えた。

俺はケイトから残りの依頼料を受け取ると家を後にし、馴染みの飲み屋に向かった。まだ時間も早かったせいか客は誰もいない。スコッチのダブルを注文し、カウンターでひとり嗜みながら、先ほどケイトに感じた違和感を考えてみた。

一度記憶を見直そうと目を瞑り、自分の記憶チップにアクセスする。

すると、トッドの部屋でケイトがヒスを起こした時、厳密にいうとそこで頭をぶつけた時に、その衝撃で視界が一瞬サーモアイに切り替わっていたようだった。

俺はその一瞬を一時停止し分析する。

トッドの腕の中に何かがある。金属製の腕の中に温度帯の違う小さなものがぎっしり詰まっている。

ケイトはケイトで体温が異常に高い。特に目の周りなどは燃える様だ。

俺はこの症状を知っている。

そして、トッドの腕に触れようとした時のこのケイトの態度。

俺の中の糸が繋がった気がした。

俺はタクシーでケイトの家に向かうと、今度は呼び鈴を押さず裏口に回った。

裏口の鍵は空いており難なく侵入できた。

部屋の中は真っ暗で、俺は音を立ないようにまずトッドの部屋に向かった。

昼間来た時と変わらずトッドは横たわっている。しかし義肢の前腕部、手首から上が開いており、空洞が広がっていた。

ケイトは気付いている。

俺は別の部屋を捜索した。

ケイトの寝室。ベッドにはケイトが横たわっている。しかし、呼吸は無い。

遅かったか。

ケイトの周りには大量のヤクのゴミが転がっていた。点眼式ドラッグ。最近流行っているヤクの一種だ。ケイトは目から血を流して死んでいた。オーバードラッグの症状だ。

点眼式ドラッグの副作用の一つとして記憶チップが損傷を起こし、ノイズが入ることが挙げられる。恐らくケイトは以前から常用していたに違いない。先ほどのトッドの腕の様子を見るにつけ、トッドがヤクを捌いていた事も、その隠し場所も以前から気付いていたのだろう。

そして、トッドが寝ている隙にヤクを盗み自分に使っていた。ヤクの売上に誤差が出たのはこういう訳だ。

これで、トッドの死因を説明した時のケイトの態度にも説明がつく。

彼女が待っていたのはトッドではなく、リスクと引き換えに一時の快楽を得るヤクだったのだ。

これだから、ヤクは嫌いなんだ。俺はケイトの寝室のヤクをかき集めると、バスルームへ行き一つ残らずトイレに流した。

警察には匿名で通報し部屋を後にする。

玄関から外に出ようとすると不意に猫の声がした。

こいつもこのままここに置いていたら近いうちに保健所に送られるだろう。

モリー夫人なら或いは他の飼い主を探してくれるかもしれない。

俺は猫を助手席に乗せ車を出した。

しかし疑問は一つ残っている。1ヶ月前から急に様子がおかしくなったトッド。急に金を求めて危ない橋を渡った原因が未だわからないままだ。

なぜなんだろうな。誰に言うでもなく呟いてみたが、猫は大人しかった。

俺はなんとなく猫の電脳にアクセスしてみた。時期は1ヶ月前。確証があったわけではない。ただ、ほんの気まぐれだった。

猫はバスルームにいた。洗面所ではトッドが髭を剃っていた。切れ味が悪かったのか、トッドは剃刀の刃を捨て、そしてゴミ箱の中で何かを見つけた。トッドは数秒固まりそして天を仰いでバスルームを立ち去った。

シェービングクリームの匂いに釣られたのか、猫がそのゴミ箱を漁った。ゴミ箱の中には、クリームのついた剃刀の刃と、陽性を示した妊娠検査薬が入っていた。

なるほど。これが急に入り用になった訳か。

暴力亭主とヤク中妻の間に生まれかけていたもう一つの命。

トッドはこれを人生の転換期だとでも思ったのだろうか。

あの様子じゃあケイトは何も言わずに堕ろすつもりだったのだろうか。

今となってはその答えを知る人間は誰もいなくなった。

人間、些細なきっかけで変わることもある。

それは良くも悪くもだ。

これだから俺はヤクが嫌いなんだ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

調査ケース203 @isaburou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る