第7話 実験と嫌がらせと挑発を同時進行しないで欲しい
インペトゥス侯爵令嬢の手が振り下ろされる寸前、その手を止める者が居た。レイラファールだ。
「いい加減にしろ」
殺気まじりの低い声が耳に突き刺さる。思わず腰に手を当てて剣の位置を確かめようとするが、いくら腰を触っても滑からな生地の触感しかない。
「インペトゥス侯爵令嬢。無礼を働いているのは貴女だと気づかないのか。アリシア嬢は俺と同じ師団長の地位にいる。彼女を慕う部下も多い。そして彼女はこのオペラ・ガルニエのオーナーだ。ここで彼女に暴力を振るうとなればどうなるかわかって手をあげているのか?」
「レイ様。オーナーと言ってもお祖母様から受け継いただけですわ。それに叩かれても良かったのですよ。そうすればインペトゥス侯爵令嬢は貴族社会から追い出されることになったのですから」
『オペラ・ガルニエ』ということはオペラ座ということだ。お祖母様が作り上げた劇団と劇場を私が引き継いだに過ぎない。オーナーと言っても、その仕事というものは殆どなく、時々良さそうな人材をスカウトをしてくるぐらいだ。先程話をしていた今回の主演の女優もその一人である。
「婚約者であるアリシア嬢に手を上げられて黙っていろと?」
再びレイラファールから優しい笑みを向けられ、引きつりそうな頬をなんとか恥じらうようにを赤く染め、笑みを浮かべる。
「レイ様」
普通にして黙っていてくれれば良かったのだと言いたかったが、それも我慢する。
レイラファールにとっても苦痛だろうが、私にとってもかなり苦痛だ。これはもしかして、本当にどちらが折れるかの意地の張り合いなのかもしれない。
「こ……婚約者。私は……私だけがレイラファール様をお慕いしていますのに……そんな笑顔一度も……」
インペトゥス侯爵令嬢は涙を流しながら悲劇のヒロインの様に崩れ落ち、床に涙を落とし始めた。
面倒くさい。私は周りに視線を巡らし、ホールスタッフに彼女を回収するように視線で促す。
すると慌てて3人のスタッフが駆けつけ、一人は床に座り込んだインペトゥス侯爵令嬢を抱え、その者に女性スタッフが付き添うようにこの場から立去り、もう一人は野次馬に道を開けるように促している。
その開けられた人垣の間をレイラファールは私に優しい笑顔を向けながら進んでいき、私はレイラファールに身体を預けるように歩いていく。
この茶番劇に嫌気を差しながら。
☆
「さっきのはいったい何だ!」
カトリーヌ夫人が用意した二階の個室の観覧席に腰を下ろしながら私はレイラファールに文句を言う。勿論、口元を鉄扇子で隠しながらにこやかな表情で言っている。
「どれの事を言っている?」
「全部だ。全部。普通にエスコートしてくれれば良かっただけだ。仮面夫婦のような仲の良さをアピールするだけで良かったはずだ」
そう、仲の良さを見せつけるだけで良かったはずだ。そこに私に口づけをする必要も無かったし、私をかばう必要も無かった。
「仮面夫婦……夫婦?」
「そこは気にしなくいい!例えの表現だ!」
「口づけした事を怒っているのか?」
「怒ってはいない。必要無かったのではと言っている」
「殺気を交えて何か呟いていたよな。聞き取れなかったが」
「そこも気にしなくていい」
思わずこの世界では使われない言葉が出てしまっただけだ。そして、この間も互いににこやかな表情を崩してはいない。
「嫌な視線があっただけだ」
知っている。だから私は雌猫の撃退をしてもいいかと事前に聞いたのだ。私の魔術でこの場所に誰がどこのにいるかをマップに落とし込んでいるのだ。そう、レイラファールにトラウマを埋め込んだ人物がここに来ていることぐらい把握している。
「私は言ったはずだ。雌猫を撃退していいかと。もしかして、あれは挑発のつもりだったのか?」
「それもあったが、アリシア嬢に触れても蕁麻疹が出ないことに気がついたので、何処までいけるか試しただけだ」
それは馬車の中のアクシデントの事を言っているのか?しかし、だからと言って試すって何だ!
「突然、実験を始めないで欲しい」
私は鉄扇子で顔を隠し、ジト目でレイラファールを見ながら言う。
「だったら事前に言えばいいのか?」
そう言いながらレイラファールは顔を近づけて来た。美人の顔に逃げ腰になりそうになるが、グッと堪える。
「時と場合による。何処まで挑発をするつもりだ?」
そう、向かい側の二階個室席から痛いほどの視線が飛んで来ているのだ。
しかし、顔が近い。
きっと向こう側からは私達は扇子の後ろで口づけを交わしている様に見えていることだろう。
「アリシア嬢。口づけをしてもいいか?」
「よろしくない。実験と嫌がらせと挑発を同時進行しないで欲しい」
レイラファールを睨みつけながら断っているというのに、何故腰を抱え込むんだ!おかげで、レイラファールとの距離感が無くなり、身体が密着している状態だ。
「散々、嫌がらせをされたのだから仕返しをしてもいいよな?」
私を見下ろすレイラファールは美人の顔で歪んだ笑みを浮かべた。やっぱり嫌がらせだったのか!
「断る!」
私は瞬時に結界を張るも……結界が展開しない?何かが私の魔力を阻害している?
私が驚いている隙きにレイラファールの顔が近づいて来て、私の唇に触れるか触れないかの口づけを落とし、小鳥がついばむ様な口づけをしてきたが、次第に深いものへと変わっていく。
私はそこまでは許していない。
いつもであれば息をするように身体強化ができるのに、何かに阻害され上手く魔力を引き出せない。引き出せないが私の中に魔力は存在している。
魔力というモノは個人個人によって性質が違うため、他人の魔力は受け入れられないのが定石だ。ならば、私の魔力をレイラファールに流し込めばいい。
私はこの状況から脱する為にレイラファールに私の魔力を送り込む。目を見開き、一瞬ビクリと身じろぎしたレイラファールだったが、私から離れると思いきや、逆にレイラファールの魔力が流れ込んできた。
あっ。これ駄目なやつだ。
全身の力が抜けるように後ろに倒れる。隣の空いている座席に頭が当たる寸前に支えられたが、私の心は折れる一歩手前だ。
まさか、魔力の相性がいい方だったとは!
普通であれば他人の魔力は異物として認識され拒絶反応がでる。だが、稀に他人の魔力を受入れることがある。性質が同じだったり、親兄弟だったりだ。
思い返せば再従兄妹になる血縁だ。受け入れられる可能性は十分にあったのだ。失敗した。逆に私の方が行動不能に陥ってしまった。
何が起こったのか。魔力の相乗効果が起こったのだ。これは戦闘時であれば重宝するものだ。同じ魔力量で倍の効果が得られるのだ。しかし、今は私の魔力の排出が阻害され、膨大な魔力が更に濃厚になったと言えばいいのだろうか。この状態を一言で言うなれば酩酊していると言っていい。魔力に酔っているのだ。
「大丈夫か?」
何が大丈夫かだ。レイラファールがいらないことをのしなければ、このような事にはなっていなかった。いや、反撃しようとして、しっぺ返しを私が食らっただけだが。
「大丈夫に見えるか?」
「見えないな」
「ちっ!」
いけしゃあしゃあと言う目の前の男に思わず舌打ちが出る。
「魔力が阻害されていなければ、ここまでの事にはなっていない」
「ではもう開演するのか」
そう言いながら、レイラファールは私を抱え起こす。開演ということは、この建物に施された魔力阻害装置が働いていたということだろう。これはお祖母様が作り出した物なのでかなり強力だ。
私の魔力阻害の原因がわかった事は安心出来たが、現在進行形で問題が発生した。
「レイラファール殿。何故、私は子供のように抱えられているのだろうか」
私は何故かレイラファールの膝の上に鎮座していた。
「一人で座っていられないのだろう?」
確かに酔っ払いに一人で座っておけと言っても、その内横になって寝そべっていることだろう。
「座っていられないが、頭がクラクラするので横になりたいのが本音だ」
それにまだ理性を保っている分マシだ。恐らくこのまま照明が落とされれば寝るのは確実だな。と思ったのを最期に重いまぶたが下がっていき、暗闇に落ちていった。
★
レイラファール Side
アリシアローズが静かになったと思えば、眠ってしまったようだ。少しやりすぎたかと思ったが、一つ曖昧な記憶がふと鮮明になったのだ。
いや、今でも曖昧だ。ただ、馬車に乗っていた時、手が届かず置いていった子がいたことを思い出したのだ。そう、アリシアローズが馬車の振動で倒れた姿に思わず手が出たときだ。
ふと、今度は助けられたと思った。なぜそう思ったのかはわからない。
その後、段々と思い出したことがある。
あの子は幼い俺を助け出してくれたが、逃げる途中で敵に襲われ、後で追いつくからと言って俺を先に行かせてくれた。
結果として俺は助かった。だが、その時の俺は俺を助け出してくれた子がいた事を忘れていた。
なぜ、忘れていたのか。それは今でもわからない。ただ覚えていることは、10歳の時に王城で王太子や第二王子の側近候補と婚約者候補が集められたお茶会があった。その時に俺は攫われどこかに閉じ込められた。そこで何かがあったようだが、そこからの記憶が曖昧で、気づけば俺を探していた者たちに保護されていた。
そう、肝心なところがすっぽりと抜けているのだ。だた、その日から女性に対して拒否反応が出るようになったのだ。記憶はないが身体は覚えているということなのだろうと思っていたが、アリシアローズはおかしなことを言っていた。
俺に対して『トラウマ』を突かせてもらうと。
俺は女嫌いと言うことで通っていたが、アリシアローズは『トラウマ』という言葉を使ったのだ。それは嫌いというものではなく、拒否していると理解しているという意味だ。
これは祖父や祖母から聞いていたのかもしれないが、家族は女性というよりも、人を拒絶している風に捉えていた。
アリシアローズは何かを知っているはずだ。だが、あの王族のお茶会に黒髪の令嬢がいた記憶はない。フォルモント公爵令嬢であるなら、一番の婚約者候補に上げられてもおかしくはないのだから。
そして、『雌猫』と表現した存在。
別にこれはインペトゥス侯爵令嬢の事を指して言ったわけではないだろう。
照明が落ち姿が確認できなくなった向かい側の二階席に視線を向ける。ここ1年程付きまとう鬱陶しい存在に。
そして、明るい舞台の方に視線を向ける。第一幕の舞踏会の華やかな場面だ。この脚本は先代のフォルモント公爵夫人が書いたと言われている。本当に多才な方だ。
「しかし、なぜ最後は二人とも死ぬのか。結婚式まで上げたのであれば、共に行けばよかっただろうに」
何回観てもこの物語の意図がわからない。
「それはお祖母様が肝心なところを書き忘れているからだ」
俺の腕の中から声が聞こえてきた。どうやら起こしてしまったらしい。
「起こしてしまったか?」
「いや、歌声で目が覚めた」
ああ、確かに主演女優の声量は素晴らしいものだ。
「何が抜けているのだ?」
「キャピュレット家とモンタギュー家は街の名家だが代々仲の悪い家同士だという前提条件が抜けているのだ」
前提条件が抜けている?ふと、その言葉が気になった。
「有名どころのロミジュリを持ってきたのだろうけど、個人的に第二幕のウジウジした感じが好きではない」
『ウジウジと泣く暇があるのでしたら、足を前に出しなさい』
突然、その様なセリフが降ってきた。そして、俺の手を引っ張って走る金髪のドレスを着た少女の姿が脳裏に浮かぶ。
『泣くのは無事に家に帰ってからでも遅くありませんわ。今は視界を遮る涙を拭って足を前に出すのです』
少女は振り返りながら俺を叱咤する。その瞳は漆黒の色をしていた。
前提条件……あのお茶会に黒髪の少女の姿は無かった。
フォルモント公爵令嬢が居なかったわけではなく。目立つ黒髪ではなかっただけだった。
「無事だったのか」
俺があの時置いて逃げてしまった少女は今は俺の腕の中にいる。
「何か言ったか?」
「いや」
俺を仰ぎ見るアリシアローズの額に唇を落とす。
「何をする!」
アリシアローズは俺を睨みつけるも、その黒い瞳に俺はもう愛おしさしか感じない。
赤い血を流しながらも、助けてくれたこの手を二度と俺は離すことはしない。
お祖母様の言っていた言葉の意味がようやくわかった。この勝負、俺の勝ちだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます