第6話 いつもの通りにすればいい


 突然目の前に現れた私に一歩下がり構えたようになったが、私がくっついて来ないとわかると、『ああ』と一言だけ言って踵を返した。本当にレイラファールはエスコートという言葉を知らないようだ。

 別に私は構わないので、レイラファールの後に付いて、我が家の玄関を出ていった。

 やっぱり短剣でも仕込んでおけばよかっただろうか。


 膨大な魔力を持つ私だが、いざというときには手持ちの武器の方が役に立つことが身にしみている。だから、私としては今の状態が不安でしかない。


 レイラファールに次いで馬車に乗り込んだ。そして、レイラファールの隣に腰を下ろすものの、なんだか不安感が払拭できない。


「今日は大人しいな」


 今日はというか普通は人にあんなにベタベタとはしない。


「このドレスは嫌だと言ったが、聞いてもらえず武器を仕込む暇がなかった」

「その扇は武器ではないのか?」


 私は手に持っている鉄扇子を手のひらに打ち付ける。確かに武器にはなり得るだろうが……。


「こんな見え透いた武器など役にたたない。毒でも仕込んであるなら別だが」

「アリシアローズ嬢はどこの戦場に行くつもりだ?」


 レイラファールから呆れた声が聞こえてきた。戦場。強いていうなれば、貴族という社会の戦場だろう。 


 レイラファールは溜息を一つ吐いて、袖口からペンのような細い短剣を出してきた。それを私に差し出してきた。


「なに?」

「武器が無くて落ち着かないのはお互い様だ」


 確かに今日のレイラファールはいつも腰に佩いている剣を持ってきてはいない。観劇の劇場は武器の持ち込みは勿論禁止されているので、暗器を仕込んでいたのだろう。

 渡された短剣を受け取るも、この状態で何処に隠し持つか悩んだ末、布地の少ない胸の谷間に押し込んだ。本当は足首とか靴の裏がいいのだが、ここで、はしたない格好をするわけにはいかない。


「感謝する。お礼に今日はベタベタするのはなしにするが」

「が?」

「エスコートはして欲しい。慣れないドレスでドレスの裾を踏む自信がある」


 自信があるというか、さっき馬車に乗る時踏みかけた。絶対に階段で踏むと確信がある。

 すると、隣からクスリと笑う声が聞こえた。


「変なところに自信を持つのだな」

「慣れないドレスは着るものではない。これを着るぐらいなら、戦場で魔物の海を相手に戦いを挑んだ方が百倍マシだ」


 その時馬車の車輪が石をでも踏んだのが、私が座っている方がガタンと跳ねる。クッション性のいい座席に跳ね飛ばされ、対面の座席に向かって倒れそうになるので、衝撃を押さえるために両手を前に突き出す。が、腰を支えられ、後ろに引き戻された。


 私はレイラファールに抱えられるように元の座席に戻っていた。


『大丈夫でございますか?』


 御者からの声にレイラファールは問題ないと答える。で、いつまで私は抱えられたままなのだろうか。


「ありがとう」


 取り敢えずお礼を口にすると、この状況が理解できたのだろう。レイラファールは慌てて私を解放し自分の手を見ていた。きっと思わずといった感じなのだろう。


「レイラファール殿は昔と変わらず優しいな」


 あのときもアレだけの事をされたのに、私の事を気遣ってくれた。


「昔?いつのことだ?」

「忘れているのであればそれでいい。気にすることではない」


 そう、忘れているのであれば思い出さなくていい。いや、思い出す必要はない。


「さて、着いたようだな」


 馬車の振動が少なくなり速度が落ちていることがわかる。この後は馬車留めの場所に移動する順番待ちをするので、少々時間がかかる。


 外からは人々のざわめきが聞こえてくる。窓から外を見れば夕日が辺りを赤く染め、空は闇と赤との攻めぎ合いをしている。ふと、逢魔が時という言葉が浮かんだ。貴族という化け物がいる世界に私は踏み出さなければならない。恐ろしいな。その感情を隠す為に笑顔を貼り付ける。


「なに、怖い顔をしている?」


 隣から貴族特有の仮面のような笑顔をしていると怖いと言われてしまった。


「何って?私が貴族嫌いなのは有名だろう?腹の探り合いの社交は好きではない」

「ただの観劇だ」


 ただの観劇だが、私とレイラファールが共にいれば、噂好きの貴族共のいい餌食だ。


「話しかけられたくなければ、いつもの通りにすればいい」


 ん?どういう意味だ?いつもの通り?

 私が意味がわからないと首を傾げていると、腰を抱き寄せられてしまった。


「は?」


 なんだ?何が起こった?これは……誘惑を続行しろということだろうか。いいだろう。戦場に向かうとなれば、それ相応の覚悟をしろということだな。


「レイラファール様。アリシア、嬉しいです」


 私が笑顔でレイラファールに抱きつくと、突き放されてしまった。


「そこまでしなくていい」

「え?でも、そういうことですよね?頑張ります」


 そう言いながらレイラファールの左腕に抱きつく。


「頑張らなくていい」


 レイラファールが私から左腕を抜こうとするも、簡単に抜けないことに早々にあきらめたのか、力を抜いて、とんでもない事を口にした。


「あと、俺のことはレイと呼ぶといい。それから俺はアリシア嬢と呼ぶことにする」


 あ……あの女嫌いのレイラファールがレイと呼ぶことを強要しただと!


「レイラファール殿。熱でもあるのか?」


 思わず素で聞いてしまった。すると怪訝な視線を向けられる。


「話しかけられずに済むのなら、それに越したことはない」

「そういう事なら、頑張りますね。それから、雌猫は撃退してもよろしいですか?」

「雌猫?」


 前にも言ったが、この男はモテる。公爵家の嫡男という地位も魅力的だが、一番は美人と言っていい容姿だろう。

 少しでもお近づきになりたいという令嬢はそれなりにいる。ニャーニャーと撫で声を出しながら付きまとうご令嬢だ。あと、気になる存在もいる。


「ふっ。雌猫。くくくっ……言われてみれば……くくくっ」


 なにやらツボにはまったらしい。このように笑っているレイラファールを初めて見た。いつも全てが敵だと言わんばかりに冷たい視線を向けてくる男がだ。本当にどうしたのだろう?

 そして、笑いが収まったレイラファールは笑顔のまま私に向かっていった。


「大いに退治をしてくれればいい」


 撃退ではなく退治!それはちょっと問題になるので、追い払うぐらいでいいだろうか。

 しかし、こう笑っているとアスールヴェント公爵夫人にそっくりだ。本人には決して言わないが。


 そして、扉が開けられ、レイラファールが先に馬車を降りる。すると、ざわめきが大きくなり、黄色い悲鳴まで聞こえてくる。


 次いで私に差し出される手。その手に私の手を乗せ、タラップを踏みしめ石畳が敷き詰められた地面に降り立つ。


 更にざわめきが大きくなり、『まさか』だとか『有り得ない』なんていう声まで聞こえてくる。


 私は仲の良さをアピールするために、レイラファールの腕に手を乗せ、身体を寄せる。


「レイ様。今日の主演女優のことはご存知ですか?」


 そして、私はどうでもいい話を繰り出す。ただの雑談だ。公爵令息であるレイラファールと公爵令嬢である私の話を遮って声を掛けてくる者は限られている。


「知らないな」


 そう言って優しい笑顔を向けているレイラファール。

 おい、そんな笑顔ができたのか?レイラファールの笑顔にやられて、何人か気を失って倒れていったようだ。


「そうなのですか?実は寂れた酒場の歌姫から大舞台に立つ女優になった方なのですよ。素晴らしいですわね」

「そうかな?アリシア嬢の方が素晴らしいと思うが?」


 うぉ!私の方が肌が粟立ってしまった。お前誰だよと大声で叫びたい!そこをぐっと我慢して、話を続ける。


「あら?話はまだ終わっていませんわ。その歌姫の女優の素質を見抜いたのは、実は私なのですよ。彼女の素晴らしい声量に演劇性を教えたのですよ」

「おや?ということはアリシア嬢は寂れた酒場に出入りしていたということか?」

「戦場に疲れた部下に褒美を与えるのも上官の役目ですからね」

「そう言われると耳が痛い話だ。しかし、アリシア嬢が素晴らしい人ということには変わりないだろう?そのようなアリシア嬢を婚約者にできて俺は幸せだ」


 そう言ってレイラファールは私の額に触れるか触れないかの口づけをしてきた。


「『ぶっ殺す』」


 思わず殺意の言葉が出てしまった。この世界にはない言語で呟いた私の言葉は周りの悲鳴にかき消されてしまう。


「レイラファール様……」


 もう少しで人々が集まる広い社交場を抜けられるという時に声を掛けてきた者がいる。

 私達の話を遮って声を掛けるなど普通であればしない行いだ。出来ても王族ぐらいだが、王族が今日来ているとは聞いてはいないので、これは咎められる行いだ。


 振り返ると、淡い金髪を綺麗に巻き、新緑を思わせる潤んだ瞳でこちらを見ているのは、確か一年前にレイラファールとの婚約が解消になったインペトゥス侯爵令嬢だ。


「何か用かインペトゥス侯爵令嬢。それから俺のことはアスールヴェントと呼ぶように言っていたはずだが?」


 レイラファールは一瞬で見たこともない笑顔から冷たいいつもの表情になった。その表情にインペトゥス侯爵令嬢は更に涙目になっていったが、私はホッと溜息を吐く。見慣れたこの冷たい表情の方が落ち着く。


「あ……あの。どうしてフォルモント公爵令嬢とご一緒されているのでしょうか?もしかして恐ろしい魔女に脅されていらっしゃるのでしょうか?」


 おお!これは脅されて私に観劇に連れてこられた可哀想なレイラファールを助け出す姫騎士の役を演じようとしているのか。ならば私は魔女らしくレイラファールを誘惑することにしよう。


「まぁ、魔女って恐ろしい存在がこの世に存在しているなんて、レイ様怖いですわ」


 私はレイラファールに布地の少ない胸を押し付けるように身体を寄せる。先程の仕返しだ。

 背は一般人より低くお祖母様そっくりだが、胸だけはお母様譲りなのか、豊満なのだ。おかげで剣を振るうのに邪魔でいつもは押しつぶしているのだが、今日はいつもと違い、これみよがしに見せつける装いなのだ。だから、私はこのドレスを着るのが嫌だったのだが、仕返しに使えるとはこのドレスを選んだ者に後でお礼を言っておこう。


 少し潤んだ目をレイラファールを見上げ、横目でインペトゥス侯爵令嬢に向かって不敵に笑む。


「魔女とは貴女のことですわ!フォルモント公爵令嬢!」


 おや?私は一度もインペトゥス侯爵令嬢に挨拶したことがないのに、これは如何なものだろうか。しかし、インペトゥス侯爵令嬢はここに一人で来たのだろうか。


「レイ様、一度も挨拶したことがない侯爵令嬢に名指しされてしまいましたわ。それに公爵令嬢と私の事を知っていながら、行く手を阻むなど、侯爵令嬢を騙った無知な者かしら?」


 私は鉄扇子を広げながらレイラファールに話しかけるも、決してインペトゥス侯爵令嬢には声を掛けてはいない。

 無知者と言われたインペトゥス侯爵令嬢は顔を真っ赤にしてふるふると震えている。


「それは貴女から挨拶をしないからでしょ!いつも多くの男性を侍らせて、はしたないことこの上ないですわ!」


 多くの男性を侍らせている?いったい何の事を言っているのだろうか。私は何を言っているのかわからないと首を傾げる。

 私がインペトゥス侯爵令嬢と同じパーティーに出るとすれば、国王陛下主催の建国祭か王族の誕生パーティーぐらいだ。それは職務で騎士の隊服を着ているため、他の師団長や部下が周りにいることが多い。もしかしてそれのことを言われているのだろうか?


「レイ様。私の部下は侍らせていると表現することなのでしょうか?それともそんなこともわからない世間知らずのご令嬢なのかしら?」


 無知者に世間知らず。ここまで言われたインペトゥス侯爵令嬢は我慢できなかったのだろう。カツカツと踵を鳴らし、近づいてきて私に向かって手を振り上げる。

 周りから引きつった声や悲鳴が響き渡る。

 本当に馬鹿なご令嬢だ。


 私は敢えて平手打ちを受けるために何もしない。このような大勢の群衆の前で侯爵令嬢が何も悪くない公爵令嬢を手打ちするのだ。ただでは済まない。恐らく貴族社会から追い出されることだろう。


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