第3話 貴殿を誘惑するが婚約したいわけではない
「本音はなんです?」
私は建前に隠された本音を聞き出す。そんなことの為に女嫌いの孫を犠牲にするのかと。
すると、前アスールヴェント公爵は腰に手を当てて、悪びれもなく言い切った。
「それはアリシアに第8師団長をしてもらわないと、死人が出るからのぅ」
「それで、レイラファール殿に犠牲になれと?あれは相当なトラウマになっていますよ」
私は、今は落ち着いて、私のことを睨みつけているレイラファールを横目で見る。次いで、私はガタイのいい武人らしい老人を腕を組んで仰ぎ見る。
前アスールヴェント公爵の言いたいことも理解できる。ある意味、私が師団長を抜けると死人が出てもおかしくはない。
「でもでも、アリシアちゃんならレイちゃんと上手く行くと思うの。絶対に!」
力強く根拠の無いことを絶対とは言わないで欲しい。元々はあの執事からアスールヴェント公爵に行った縁談かもしれないが、決定権は前アスールヴェント公爵が持っており、カトリーヌ夫人が推しに押して、お祖父様を説得し、この縁談がまとまった感じだろう。
誰も前アスールヴェント公爵と前フォルモント公爵の決定を覆せなかったと。本人であるレイラファールでさえも。
「要はレイラファール殿からこの縁談の否定を引き出せばいいということですよね」
「それはどうかしらぁ〜」
私に否定権が無いので、レイラファールからこの縁談をなしにしてもらう意向を引き出せばいいという言い分に、カトリーヌ夫人は貴族特有の仮面のような笑みを浮かべた。この笑みは私は好きではない。
ということは、レイラファールはこの縁談を否定するよりも大きなメリットが与えられると考えられる。だから、私との縁談を不服としながらも否定しないと。
ならば、これは私の意地が勝つか、レイラファールの意地が勝つかの戦いということだろう。
やはり、この三人が集まるとろくな事がない。私は踵を返し、私を睨みつけているレイラファールの側に行く。
「レイラファール殿。貴殿はこの縁談は不服か?」
だが、その質問には答えはなく、ただ私の事を不服だと睨みつける美人がいる。まぁ、あの三人がいる前で否定の言葉は言えないだろう。
私は更に一歩近づく。
「貴殿から不服という言葉が聞けるのであれば、私もここまですることもないのだが、これは私の人生がかかっているので、レイラファール殿、貴殿を誘惑させてもらおう」
そう言って私は不敵に笑う。
誘惑と言っても、この縁談を進めるという意図ではなく、ここまでトラウマを抱えたレイラファールに嫌がらせをするという意味だ。
「キャー!アリシアちゃん!格好いい!」
この縁談を押し進めた本人が騒がしい。その騒がしい本人が足取り軽く近づいてきた。
「じゃぁ、3日後二人お休みにしてもらったから、デートしてきてね」
そう言って二枚のチケットを差し出してきた。その言葉に私もレイラファールもカトリーヌ夫人に詰め寄る。
「3日後は第6との合同訓練があるので無理です。お祖母様」
「その日は新人の教育演習があるので、駄目です」
師団長が休みを取るとなると、その上の統括騎士団長の許可が必要になってくるのだ。その統括騎士団長に圧力を掛けた人物がいるということだろう。普通であれば、師団長が二人同時に休みを取ることはないのだ。
「仲いいわね。ハイ、絶対に行きないね」
渡されたチケットを見て愕然とする。演劇のチケットだった。それも悲恋。何?このチョイス。
初デートで悲恋の演劇を選択されるなんて、相手が男であれば胸ぐらを掴んでいるところだろう。ふざけているのかと。
レイラファールも同じ心境なのだろう。渡されたチケットをガン見していた。
「あの、行軍の新人教育をするので、この日は……」
私の苦手な仮面のような笑顔を向けられ、思わず言葉を止めてしまった。
「二人で行くのよ。絶対に」
長年、公爵夫人であったカトリーヌ夫人の迫力に負け、私とレイラファールは張り子の赤べこのように首を縦に振るのだった。
◆
翌日、重い足取りで騎士団本部に向かう。え?第8師団ではないのかだって?師団長と副師団長は本部に詰めていることが多い。師団となれば1万人規模だ、それが第10師団ある。10万人規模になってしまう。その全てが王都にいるかと言えば、そうではない。任された駐屯地があり、殆どの騎士は駐屯地におり、部隊ごとに交代で王都に詰めている。
では、師団長は何をしているか。殆どが書類を捌いていると言っていい。上から命令があれば、師団を率いて現地に向かうことがある。昔は現場に詰めている事が多かったが、今では本部から出ることが殆ど無くなった。
私は私にあてがわれた執務室に入る。そして、入って早々に目に入ってしまった書類の山に辟易する。一日休んだだけでこれだ。
窮屈な隊服の上着を長椅子に投げ捨て、自分の席に腰を下ろす。書類の山の一番上から書類を取り、ため息を吐いてからペンを取った。さて、今日も頑張りますか。
それから少し時間が経った頃、廊下側が騒がしくなってきた。窓ガラスが割れる音。悲鳴。壁に何かがぶつかる音。怒声。
やっと来たのか。私は扉の方に視線を向けて、入ってくる者を待つ。
「おひいさん。おはようさん」
副師団長のイグニスだ。短髪の赤髪に金目の背が高くガタイのいいオッサンだ。確か、今年39歳になったと言っていた。それでも、この第8師団でこの男に勝てるのは私ぐらいだ。
因みにイグニスは貴族でなく平民だが、聖騎士であり、英雄の称号を持っている逸材だ。
ただ、問題がある。
「イグニス。ガラスは部屋の外で払って来てくれ。ああ、おはよう」
「おう。わりぃーな」
粉々になったガラスをまとって、執務室に入ってきたので、落としてくるように促す。
「今日は外から剣が飛んできたな」
「今日もだろう?」
「あと、ルーウェイが何故か怒っていたな」
「きっと何かの巻き添えをくらったのだろう?」
どうやら、窓ガラスが割れた音は外から剣が飛んできたようだ。コレぐらいはいつものことだ。そして、壁を殴ったような音は、イグニスに向かっていって返り討ちになった者の音で、その後に何か罵っていたのだろう。
そう、この男は幸運という神に見放された者なのだ。ただ歩いているだけで、不運が降り注いでくる男だ。周りの者たちはこの男の不運に巻き込まれて、被害を被る。これが日常だ。
ん?私はどうっだって?そこは巻き込まれないように不運相殺の魔術を作り出し、私の側にいる限りは不運は降ってこない。では、イグニス自身にその魔術を掛ければいいということなのだが、問題はこの男が聖騎士のため、魔術がかかりにくいのだ。だから、空間に相殺魔術を施す。
これが前アスールヴェント公爵が私が第8師団長を辞めれば、死人が出るという理由だ。
「そういやー。おひいさんの見合いはどうだったんだ?無事に断わられたのか?」
自分の机の席に狭苦しいと言わんばかりに、腰を下ろすガタイのいいオッサンが、いらないことを聞いてきた。
「ああ゛?!」
「おぅ!なんだ?駄目だったのか?」
私の一睨みに驚いたような表情をしてきた。
「してやられた。老人の権力と発言権は剥奪すべきだと思う」
「なんだ?おひいさんを丸め込めるってことは、先代の公爵さんが口を出してきたのか?」
「それと、イグニス。お前の二人の師匠だ」
イグニスの逸脱した力はあの前アスールヴェント公爵が剣を教え、カトリーヌ夫人が魔術を教えた結果だ。二人は隠居した老人の嗜みだなんてふざけた事を言っていたそうだが、40歳で今のアスールヴェント公爵に早々に地位を譲って、統括騎士団長の地位も譲り、何が老人の嗜みだ。思ったより暇だったから、領地の隠居先の子供に教えただけだろうと、私は思っている。
己の師匠の存在を教えれば、イグニスはニカリと歯を見せて笑った。
「それは仕方がないな」
ちっ!イグニスは他人事だから、気軽にそんなことを言っていられるのだ。そんなイグニスにはプレゼントをやらねばならない。
「それでイグニス。2日後にデートなるものをしなければならなくなった」
「は?」
笑っている顔から一転、顔を青ざめ何を言っているのだという唖然とした表情をしている。
「おひいさん。冗談きついなぁ。2日後といえば、新人教育を二日間に渡って予定している日じゃないか」
「そうだ、お前とラドファン部隊長と一緒に頑張ってくれ」
「いやいやいや、待ってくれ流石に新人に
イグニスの不運にひっかき回された戦場のことを我々の中では
私は焦るイグニスに向かってニヤリと笑う。
「この第8師団に配属されたのであれば、一度は通るべき試練だ。それに新人の命ぐらい二人で守れるだろう?」
「おひいさん。そのデートという物を延期できないのか?」
「そうか、イグニスからカトリーヌ夫人に言ってくれるか?」
私がカトリーヌ夫人の名前を出すと、先程座ったばかりの席から立ち上がり、私の前まで歩いてきて、敬礼するイグニス。
「ラドファン第18部隊長と相談してまいります!」
相談しても結果は変わらないと思うが、イグニスはラドファンに了承の言葉をもらいたいだけだろう。私が手を振り、行ってくるといいということを示唆すると、イグニスは執務室を出ていった。
そして、私は再び書類に目を落とす。が、10枚目の書類を目を通している時に再び廊下の方から騒がしい音が響いてきた。今度は廊下を走ってくる足音だ。
執務室の前で足音が立ち止まり、ノックが部屋の中に響く。
「どうぞ」
私は誰かも確認せずに返事をするが、私にはラドファンが来たことがわかっているため、わざわざ確認することはない。
扉が開くと廊下から、肩で息をしている明るめの茶髪が汗で額に張り付いており、榛色の瞳に困惑の色を乗せたラドファンが入ってきた。
「師団長!自分と新人を殺す気ですか!なぜ、師団長が訓練に来てくれないのですか!職務怠慢ですか!」
ラドファンその言葉にカチンときて、私は手を止めて立ち上がり、机の前にいるラドファンの前に立つ。私は腰に手を置き、睨め付けるように下から見上げる。いや、私の背が低いため、どうしてもそうなってしまうだけだ。
「職務怠慢とはどういうことだ?」
「あ……いえ。新人教育は一ヶ月前から決まっていたことですので、二日前に予定の変更と言われても、対処できかねます」
そうだろうとは私もわかっている。ただ、急遽予定が入ってしまったのだ。
「悪いが、予定が入ってしまったのだ。二人で対処してくれ」
「自分にはイグニス副師団長は手に余ります」
それもわかっている。だが、ラドファンは初期からのメンバーだ。それぐらい慣れているだろう。
「ラドファン部隊長。イグニスの不運に巻き込まれながらの戦闘も第8師団の日常だということを教えるのも部隊長の役目だと思うが?」
「貴女は悪魔ですか!あれで何回死にかけたと思っているのですか!」
うーん?私は指を折って数える。
「死を覚悟したのは5回ほどか」
「師団長がそれなら、自分は100倍です」
ラドファンは否定の一択のようだ。仕方がないな。新たな申請書類を作らねばならないか。
「仕方がない。演習は後日にするか。だが、いつになるかわからないので、今回は見送られることになるかもしれない」
私の言葉にラドファンはホッとした顔をする。そんなにイグニスと組むのが嫌だったのだろうか。あれの不運も行くところまでいけば、楽しめるのだが。
◆
私は山積みになった書類を処理して、申請書類を書き上げ、イグニスを連れて廊下を歩いていた。
二日後の演習の延長を願い出るために、統括騎士団長の執務室を訪れていたのだ。しかし、当の統括騎士団長は不在でおらず、申請書類だけを置いてきた。直ぐに目を通して欲しかったが、仕方がない。
「おひいさん。一緒に飯を食いに行くか?」
後ろを歩くイグニスが声を掛けてきた。確かにもうすぐ昼休憩の時間となる。ふと、私は廊下で立ち止まり、この3つ先の扉に視線を向ける。
私はにやりと笑い、振り返ってイグニスを仰ぎ見る。相変わらず首が痛くなる角度だ。大きすぎるイグニスが悪い。
私に見られたイグニスは思わずといった感じで一歩下がり、見下ろしている。
「婚約者(仮)と一緒に取ることにする」
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