第10話 姿を現す迷宮 エルモール

 四人とも愕然がくぜんとした。が、ここで悩んでいる場合ではないとも思った。和也も動揺していたが、下へ行けるエスカレーターがあるのなら下に行くべきだと思った。

「とりあえず、下りよう。状況が分からないけど。考えても仕方ない。もしかしたら……ここは、できたばかりのショッピングモールだろう。表示が間違えているのかもしれない」

「そうだね。きっと、そうだよ」

奈緒子も気を取り直した。

 しかし、これが迷宮への一歩となったのかもしれない。いよいよ自分たちが何階にいるのかわからなくなる。


 四人はエスカレーターに乗る。皆一様に自分たちは迷っていない。自分の居場所がどこであるかを自分自身が把握していると思い込もうとしている。ここを下りれば2階に着くはず。そう自分に言い聞かせる。

 エスカレーターを下りる。その床のプレートは「3F」誰もが気付いたが何も口にしない『これは間違いだ』上のプレートが「4F」だったのだから、この建物を作るときエスカレーターの施工業者が、何の疑問もなく間違えて「3F」のプレートを付けたのだろう。そう思い込もうとした。

 しかし、考えてみれば、そんなはずはなかった施工業者が、今どこの工事をしているかもわからず機械を設置するはずがない。こういうものはあらかじめ、すべての設置部品を確認して仕入れるものだろう。何階から何階へのエスカレーターを何基設置するか。そんなことを確認してから、その場所、その場所に設置していくのではないか? そう思えば、「三階」から「二階」に下りるエスカレーターに「4F」「3F」というプレートを付けるなどということはないだろうし、施工業者の誰か、あるいはこんな大きい商業施設でも完成したときには、完了検査のようなものはあるのではないか、そのとき誰かが気付くだろう。この商業施設を運営していく側の人たちもお客様へのサービスの一環として、お客様が商業施設内を快適に見て回れるよう、不適切な案内表示やお客様にとって不都合な表示がないか? どこかの時点で誰かが気付いて指摘するだろう。エスカレーターの表示が間違っているなどありえない……そう思えた。

 エスカレーターを下り、もう一度、中央の広場の方に向かう。そして、広場には大きな時計台。


「ここ三階や」


朗が呆然ぼうぜんとした表情でつぶやく。

他の三人もこの光景に見覚えがある。周りを行き交う買い物客こそ違うものの、時計台を含め、この周囲の光景はまったく同じものだ。数分前に四人がここを通ったときベンチに座っていた人などは、今も同じところに座っている。

……間違いなく、ここは「三階」だった。


 時計台の周りには、まったく自然に歩いているたくさんの人たちがいる。親子で楽しそうに歩いている家族。カップルが何か飲み物を飲みながら歩いている。市内でよく見かける制服を着た学生たち数人、自分たちの話に夢中になりながら、和也たちの横を通り過ぎてゆく。この状況に違和感を感じているのは自分たちだけなのだろうか?

 時計台の大きな時計は三時になろうとしていた。

「あれ?」

美弥がその時計を見上げて怪訝けげんそうな表情を浮かべる。和也は一瞬にして、美弥の不安を察した。朗、奈緒子と落ち合う前、この時計の文字盤を見ている。その時、美弥が『もう三時を過ぎたのね』と言った言葉に、時間が過ぎるのが早いと思った。その印象とともに、その時刻を覚えていた。あのとき、確かに和也は美弥と二人で、この時計台の時計が三時を回っていたのを見ている。和也は美弥の肩を抱いた。美弥一人を不安にさせてはいけないと思った。奈緒子は二人の方を見たが、今はからかうこともしなかった。

 時計台の広場で四人は、もう一度、顔を見合わせ、四人それぞれ周囲の景色を見渡した。そして、その三階の広場にあるベンチに腰を下ろした。広場の周りにはクレープを売っている店やハンバーガーを売っている店などが並んでいた。時計台の下には誰かと待ち合わせをしているらしい女性がいる。隣のベンチではベビーカーに赤ちゃんを乗せた親子連れ、おばあちゃんらしい人が子どもをあやし、夫婦は店を探しているのだろうか、和也たちが持っているのと同じショッピングモールのパンフレットを見ながら何か話している。四人の前を高校生らしい制服を着た女子たちが数人通り過ぎて行く。今は夏休みのはずだ、部活でもやっているのだろうか、スポーツバッグのようなバッグを肩に掛けいる。


「まるで、私たちだけが別の世界に放り込まれたみたいな感じね」

奈緒子は不安というより今の自分の状況を冷静に把握しようとしているように見えた。

「まあ、私はいつも普段の生活がこんな感じだから、この感覚慣れてるんだけどね。なんていうか、人ごみの中にいるのに、自分だけが社会からちょっと放れた場所にいるみたいな感じ。町ゆく人はみんな自分にとっての日常、当たり前の環境で生活していて、それがその人たちにとって普通の世界で、私がここにいることに誰も気が付かないで横を通り過ぎて行く……みたいな」

広場を行きう人々を見ながらつぶやく美弥。その言葉は何か今まで語らなかった彼女の心の内をこぼしたような言葉にも聞こえた。

「世の中、大抵の人は、みんなそんな感じだと思うよ。僕も毎日何してんだか……って感じ」

 そんな代り映えのない毎日に景色の中に、ある日突然、美しい白い女性が飛び込んできた。それは和也にとって今まで感じたことのない大切な瞬間だったような気がする。そして昨日から和也にとっていろいろなことが急展開しているような気がする。こんなこと今までの人生の中でなかったと思う。

 そして、今ここに置かれているこの状況……これも現実なのか? という思いがする。だが、この三人とのやり取りが一々リアルすぎる。夢ではない。眠っているとき見る夢の感覚とは明らかに違う。これは現実だ。今この状況は本当のリアルだ。


しばらく誰も口を開かなくなった……

皆それぞれにいろいろなことを思い返していたようだった。


「ねえ、ここって五階より上は立体駐車場なんだよね。ショッピングモールの中から下に下りれないんだったら、いっそエレベーターで上まで行って駐車場から下に下りるっていうのはどう? 車で帰る人だっているんでしょう」

ボソッと美弥が言う。


 三人は顔を見合わせた。それは考えたことがなかった。多少危険かもしれないが駐車場ならスロープになって、必ず外に通じているはずだ。


 他の三人に比べてその生い立ちなどからしても一番社会性がないように感じられる美弥。どちらかというと、今回のようなこういう状況では、一般に言われる『社会で活躍している人』にあたる朗や奈緒子の方が状況に適応して素早い判断や行動ができるのではないかと思えた。

 しかし現実はそうでもなかった。むしろ現実的な社会で通り一遍いっぺんな毎日の生活を送っている、いわゆる典型的な社会人の三人は、美弥に比べて突発的とっぱつてきな事態への対応が苦手らしい。イレギュラーへの順応性じゅんのうせいとぼしかった。何か思いもよらない事態が起こったときあせる、あわてる。そして自分が責任を取りたくない、かぶりたくないと思うのが一般的な社会人だ。

 それに対して、美弥の場合、コンサートホールなどでの演奏中、ハプニングが起こったとき、いちいち気持ちを取り乱したり、自分を見失ったりというわけにはいかない。瞬時に何をするべきか考え、その場、その場で自分の判断で行動し対処していかなければならない。

 いわゆる一般の社会人の場合、何か事が起きた時、見ているのは周りにいる数人の職場の同僚、上司、あるいはお客さん、取引先ぐらいか……

 しかし、美弥の場合、何かハプニングが起こったとき、客席の数百人から千人、二千人近い観客がステージの上の美弥を見ている。そいう状況で咄嗟とっさの対処が必要なのだ。彼女はそういうことに慣れている。

 初めて行くコンサートホールや劇場でリハーサルをしたり、演奏したり……そういうことを物心ものごころがついた頃から繰り返している。

 毎日、同じ職場、仕事場で普段と変わらない日常を過ごしている一般的な社会人といわれる人たちに社会性があるというのなら、こういう予測できない状況下では、むしろその社会性や日常身に着いた習慣が邪魔じゃまをする。

 そういえば、ここに来てすぐ美弥が楽器店で演奏をしたときも、彼女は話しかけてくる見ず知らずのたくさん人たちと、とても気さくに話をしたり、一緒に写真を撮ったりしていた。小さい頃から音楽の世界で生きてきて、いわゆる社会人というものを経験していないから社会性がないというのは偏見へんけんで、そういう世界で生きてきた人たちはすべての人ではないにしろ、一般の人が知らないだけで、小さい頃から師弟関係や上下関係が厳しい中で育っている。その辺のサラリーマンやOLよりもはるかにすごい対人スキルがあるのではないか?

 そして、この広い空間であるショッピングモール。ここ自体は当然初めての場所に違いないが、普段から初めて行くホールや劇場への出入りが多い美弥にとって、この環境は彼女の守備範囲なのかもしれない。

 和也が美弥と一緒にいて時折ときおりその言葉や行動から感じるのは、彼女は無駄な動きや行動を嫌う傾向がある。


美弥の口から出たこの提案に少し驚いたが四人の意見は一致した。


「六階に行ってみよう。」


 和也たちはエレベーターに乗り六階のボタンを押した。ここに来て初めてエレベーターに乗った。家族連れが一組、カップルが一組、そして和也たちが乗っている。カップルは五階の飲食店街で下りた。そしてまた静かに上に向かっていくエレベーター。途中、六階まで誰も乗って来る人は誰もいなかった。四人は六階で下りた。

 もう一組の家族連れは更に上に車を駐車していたのか、そのまま上に行ってしまった。

六階でエレベーターを下りた和也たち……


 そこには広大な駐車スペースが広がっていた。

「まあショッピングモールがこれだけ広いがやき。こうなるわな」

「……どんだけ広いんだよ」

この駐車スペースがここから上に更に二階分あるらしい。


 しかし、この建物の駐車場は六階から八階までだ。この階から下には駐車スペースはないはずだ。あとは地下と、この建物の周りには駐車場があるようだが、少なくとも、この建物の一階から五階までの間には駐車スペースはない。

 ということは、この階から一階、つまりこの建物の外までスロープが続いているはずなのだ。

 そのことを話してみると皆「なるほどそうだ」という感じで納得してくれた。この階からの出口が『一階に下りる道』『外に出る道』のはずなのだ。


「わからないな。ここも広すぎて……」

朗が駐車場を見回して言う。

「さっきの家族連れ、車で帰るんだよねえ」

「たぶん。そうやろう。上に上がって行きよったき」

「ここ通らないかな」

奈緒子が言う。

「こういう立体駐車場みたいなところは、駐車場に上がってくる車は駐車する場所を見つけられるように、一通り駐車場内を回りながら上に上がっていくような道順になっているけど、帰る車は上がってくる車と渋滞じゅうたいを起こさないように、下へ下りるスロープが一定の場所にコンパクトにまとまっていて、そこから一気に下へ下りて行けるようになっているもんだよ。だから上の階の駐車場にとめている車が下りていく場合、下の階のこんな真ん中あたりの駐車スペースを通過することはほとんどなくて、そのまとまった場所にあるスロープで一階まで下りていく造りになってると思うよ。」

「じゃあ、さっきの家族の車はこのあたりを通らないんだ」

「まあ、そういうことになるね」

……

奈緒子が残念そうな顔をして、もう一度あたりを見回す。

……

「あっちの方」

美弥がある方向を指さした。

「え?」

3人は美弥の方を見る。


「車の音が聞こえる」


「ショッピングモールのBGMと、何言ってるかわからない館内放送しか聞こえないけど……」

奈緒子が怪訝けげんそうな表情で美弥を見る。


「たぶん駐車場の中を走ってる車の音だと思う。ホールとか劇場に併設された駐車場の中を走る車ってスピード出してなくても曲がるとき、タイヤからキュルキュルっていう感じの音がするのよ。その音がBGMと館内放送に混じって聞こえるの」

みんな耳を澄ませてみるがまったくわからない。でも、美弥が言うんだから行ってみようとなった。

 彼女が言うには、そのタイヤ音がBGM、館内放送に混じって共鳴し、すごく違和感、不快感を感じると言う。

そして更に、彼女は、それらの音の発信源の位置も、それぞれに、だいたい特定できるという。

 彼女はオーケストラ演奏でも、あの大人数が演奏する中、違和感を感じたとき、どの楽器の、どの辺で演奏している人が間違えたか、テンポがずれたか、音程がおかしかったか……などが一瞬でわかるらしい。

 少し前に、和也と話したとき『いろいろな音がドレミに聞こえるのは気にならない』と言ったのと違うのではないかと思ったが、聞くと、彼女にとっては、『周りから聞こえる音がドレミに聞こえること……』そんなことは別に普段生活している中で気にならない……しかし、『二つ以上の音が共鳴するときに音が合ってないと感じる違和感』は気になって耐えられないらしい。


とりあえず、今の状況では、駐車場の中で右も左もわからないし、他に頼るものがないというのもあり、美弥の言う方向に行くことにした。


 そちらにしばらく歩いて行くと、段々、他の三人にも車のタイヤ音……そういう音が聞こえてきた。スロープを下りていく車が見える。

「美弥ちゃんすごいね」

和也を含め三人は感心した。

四人とも小走こばしりにスロープに近づいていく。

スロープの近くには自動の料金所が設置されていて、その横に小さな警備員室があった。警備員なのか監視員なのか一人の男性がでてきた。

「君たちどこへ行こうとしてるの? ここのスロープは歩いては行けないよ。危険だから。ショッピングモール内から下りて」

四人は自分たちの状況を説明したが、警備員の男性も困った顔をして、

「でもねえ、ここ六階なんだよね。この先は一階まで一気に下りていくだけのスロープになっているんだけど。車専用の道になってるから、車一台分しか通れないくらいの道幅みちはばで歩道なんてないし、それに車の人も、まさかこんなところを人が歩いてると思わないでしょ。危ないよ」

見ると、言われるように結構せまい一本道だ。下りてくる車も下の階との合流箇所はあるものの、基本的に一方通行なの思ったより速いスピードで下りていく。確かに危険だし、ここを歩いて下りるのは迷惑だろうと思った。

 その場所から下の方までは見れなかったが、目の前を下りていく車がスロープの折り返しを曲がるたびに、キュルキュルとタイヤの音が聞こえる。その音が段々遠ざかっていき、やがて聞こえなくなる……外に出て行ったのだな……と思った。


 警備員の男性にも「どうしてもだめ」と言われ、四人はもと来たところを帰るしかなかった。

 今いる駐車場は地上六階だった。ふと先程の警備員のいるスロープを見た。遠くの方に外の景色が見える。この建物の中に入ってきて以来、初めて外の景色を見た。遠くの方に山が見える。そして、青い空が少し見えた。四人は立ち止って、その風景をながめた。なんて清々すがすがしいのだろう。駐車場からの外の景色なのに空気がおいしいと感じた。少しの間だったが、気持ちが切り替わったような感じがした。リフレッシュされた感覚。そんな感じを久し振りに感じたと思った。


 四人はまた、三階の広場に帰ってきた。

「疲れたな」

ため息をついて朗が言う。

奈緒子も疲れたようで何もしゃべらなかった。

「ごめん。私がみんなをたくさん歩かせちゃったね」

美弥が申し訳なさそうに言う。

「そんなことないよ。気にしないで……それに結局、出られなかったけど、みんな、あの時は出られるって思ったし……」

和也は必死で美弥をかばう。

「そうだよ、私たち気にしてないよ。本当に美弥のおかげで出られるって思ったもの」

「そうよ。駐車場へ行ったことじゃのうて、いろんなこと全部含めて疲れたと思いゆうだけよ。駐車場のこと提案してくれてありがとう。本当に出れると思うたね」

朗が笑顔で言う。

美弥の顔にも笑顔が戻った。


時計台を見上げる四人。


 どこから、おかしくなったんだろう。不意にそんなことを考えた。このショッピングモールに入ってきたとき……そこに違和感は感じてなかった。美弥が楽器店で演奏した時……美弥の演奏は、演奏こそ超絶な演奏であったが、あれはまぎれもなく現実だ。昼食の時……それも当たり前に思える。次だ……『峰岸』……『喫茶店 峰岸』だ。あの店に入ったときから……か? でも、ただのレトロな喫茶店だったのかもしれない。


「なあ、みんな、どの辺から違和感を感じてた?」

和也が聞くと、朗が、少し、思い返すように目線を上に向けて、

「喫茶店……『峰岸』っていう喫茶店」

「朗もか」

「私もそう思う」

奈緒子も同じ意見だった。

「僕もそんな気がする。そんな気がするが……でも、みんな、どうしてそう思う?」


四人はそれぞれに視線を交わす。


「いや、おれも実は、今、和也に聞かれる前に、同じことを……そう、どこから不思議な状況になったかを思い返しよったがよ。そうしたら、やっぱり、『峰岸』っていう店が思い当たる。四人が、もう一度落ち合う前に、おれと奈緒子は『峰岸』におった。同じときに、和也と美弥ちゃんも、その店におったがやろう。おかしいやか」

「そうよ。和也と美弥も、私たちと、もう一度落ち合う少し前まであの店にいたんでしょう。私と朗も、あなたたちと落ち合う三十分くらい前に店に入って、落ち合う五分くらい前までいたのよ」

「もう一度、あのお店に行って聞いてみようよ。私たちのことを覚えてるか、和也君と私が来たことと、朗君と奈緒子が来たことをどんな風に言うか?」

「いいね。何かわかることがあるかも……というより、どういう応えが返ってくるんだろう」

「行ってみよう」

四人の意見は一致した。


 つい先ほど、二人で歩いているとき、美弥はもう一度『峰岸』の方に行く自信はないと言っていた。『もし辿り着けなかったら……』和也もそのときは同じ気持ちだった。いよいよ自分たちが別の世界に迷い込んでしまったのではないか……という不安。しかし、こうして朗や奈緒子も再び出会え、話をしていると、もう一度『峰岸』を探してみようという気持ちになれた。というより、そこに行かなければ、この状況は進展しないような気がした。

 『喫茶店 峰岸』は、この上の四階フロアだ。エスカレーターに乗って四階に向かう。四人とも自分たちが向かう先を目で追うかのように皆一様に上の階の方を見つめている。

「西の通りだよな」

「そうよ」

西の通りを歩いていく。

 雑貨屋さんやおもちゃの専門店。子供たちの遊べるスペース。リラクゼーションの専門店や占いの店などが並ぶ。そして、アンティークな小物を売る店、レトロな店……

更に、その先へ歩いていく。

しばらく歩いたところで……


四人は足と止めた。


『喫茶店 峰岸』


「あった」

和也がつぶやく。

「ほんとや。和也。おれ……なんていうかドラマとかで時々見る不思議な世界の話みたいな展開で、あったはずのところから店がなくなってた……とかいうオチやないかと不安になってたけど。現実は、どうも、おれらを見捨ててなかったみたいや」

「行ってみよ」


 カランとドアの音。同じだ。店の中も同じだ。レトロな雰囲気。ゲーム機のテーブル。テーブルの上にあるものも同じだ。

「ねえ、みんな、みんなも、今、私に見えてるものと同じものが見えてるわよね」

奈緒子が言いたい意味は分かる。

「たぶん」

そう応えながら和也も店内を見回す。

この時間はお客さんもいないようだ。店内は静かだ。静かだが営業中ではあるようだ。あの時と同じように、やさしい曲が流れている。

「いらっしゃいませ」

店の奥から女性が出てきた。あの時と同じ女性。

「あら、さっきの」

どっちの二人に言ってるんだ?美弥と和也の方だろうか?それとも奈緒子と朗の方だろうか?

「あなたたち、もしかして迷っちゃった?」

女性は微笑みを浮かべて言う。

四人は一瞬言葉を失ったが、美弥が落ち着いて応える。

「私たち迷ったみたいです。下に下りられなくて」

「そうなの……だいぶ歩いた? 疲れたでしょう。飲み物でも食べ物でもご自由にどうぞ。サービスしてあげるから、何でも注文して」

和也と朗はアイスコーヒーを頼み、奈緒子と美弥はミックスジュースを頼んだ。少しして女性は飲み物とお菓子をお皿に乗せて持って来てくれた。

「このクッキーおいしいのよ」

「……っていうか。すみません。私たち少し前に、このお店に来たんですけど。この二人も同じときに、ここの店にいたようなんですけど……」

クッキーを勧めてくれる女性の言葉をさえるように奈緒子がき立てる。

女性は不思議そうな顔をして奈緒子を……そしてみんなの顔を見た。

「あなたたち二人は一緒に来たわよね」

奈緒子と朗を見て言う。

「そして、あなたちも二人で来た」

美弥と和也を見て言う。

「道に迷ったのもあって、ちょっとあせって勘違い……というか、思い違いをしてるのかもしれないけど。来た時間が少し違ってたのよ」

「え?」

「ほんの少しだけ。少しだけ、こっちの二人の方が早く来てたのね」

女性は美弥と和也の方を見て言う。

「そして、彼女たちが店を出て、ほとんど入れ違いで、あなたたち二人が入ってきたわ」

今度は奈緒子と朗の方を見て言う。

『なあんだ』とはならなかった『本当にそうなのだろうか』という気持ちが強かった。そして、その『本当にそうだろうか』疑問の方が正しいように思えた。でも、この女性が嘘をつく理由がわからない。

「なんか、私のこと疑ってるみたいね」

少し微笑みを浮かべて言う女性。


「下の階に下りられないんです。正確に言うと、三階から下に下りられないんです。私たち今日、ここに来て、最初、一階から五階まで上がって、何の不思議な感覚も、複雑な道もなく五階まで上がって食事をしたんです。そのあと私と和也君は四階に下りてきた。そしてこの店に寄った。こっちの二人は一度、三階まで下りて三階にある店に行ったあと四階に上がってきて、そして、ここ『喫茶店 峰岸』に立ち寄った……そして、迷った……疑ってるわけではないですけれど、自分たちの状況が状況だけに信じたいものが信じられなくなってきている。自分たちがどういう行動をとってきたか、つじつまを合わせたいんだと思います」

女性はじっと美弥を見つめた。

「あなた……聡明そうめいね……きれいな目をしてる。何か他の人には見えないものや、聞こえないものが聞こえてるみたい……」

和也たち他の三人は顔を見合わせた。

美弥は何も言わずに女性を見つめた。

なんだろう? この少しの瞬間、なにかこの二人だけ自分たちと違うところで会話しているような感じ、女性の言っていることに美弥は否定もしない。

女性はテーブルの上にあった占いの機械を手に取り、星座が表示されているところを『みずがめ座』に合わせた。

和也は思わず『え? みずがめ座?』と思った。最初、美弥と二人でここに来たとき、美弥はこの占いの機械を手に取り『みずがめ座』に合わせて……そこでやめた。

 女性が『みずがめ座』に合わせて、レバーのようなものを動かすと『白い小さな玉』のようなものが出てきた。

女性はその『白い玉』を美弥に渡しながら話を続ける、

「自分たちの今までの行動……そのつじつまを合わせたいというの?」

「……そうなんだと思います」

「そう。でも、今さっき私が言った通りよ。二組が来る時間が少し違って、あなたたち二組はこの店で出会わなかったのよ。ただそれだけ。そして、あなたたちは下に下りられないというけど、それも、ほんの少しどこか見落としているところがあるだけなのよ。下りられる道を見失ってる」

「いや、でも、僕たち思いつく帰り道、エスカレーターをかなり確認しましたよ。下に下りるエスカレーターはなかった」

和也も自分たちの状況を理解してもらおうと思った。

「エレベーターで下りるとかですか? 下りる方法って。でも、エレベーターも上に行くのしか見つけられなかった……」

奈緒子が言う。

 奈緒子の質問に、確かに、エレベーターは極力きょくりょく使わなかったと思った。駐車場に行ったときは他に手段がないという思いと、そこまで行けば建物から出られるという思いでエレベーターを使ったが、今この状況、自分たちのいる場所を見失っている状況の中で、閉ざされた空間の中に入って、次の階に運ばれるのがこわかった。行った先の階で、また、そこに知らない世界が広がって……その状況を把握するのに時間がかかる。そればかりか、益々自分たちのいる場所がわからなくなってしまうのではないかという不安があった。

 女性は四人にクッキーを配りながら、

「まあ、どういう手段を使うかっていうのは、あまり関係ないと思うけど。ここは別にエレベーターを使わなくても下に下りられるわよ。エスカレーターでも階段でも一階に下りられるし……もちろんエレベーターだって、下に下りるエレベーターはちゃんとあるわよ」

女性は自分もクッキーを食べながら、やさしい表情で四人を見た。


美弥がその女性に言う。

「私たちをせめて、ここから二階に下りられる場所まで案内してくれませんか?」

奈緒子もそれだと思った。

「そうよ。なんなら、出口まで案内してくれませんか?」

「……」


女性は四人を見て言う。


「もうここから帰るの?」


四人は顔を見合わせた。そして、もう一度女性の方を見る。

「……なんて顔で見てるの、別に私はここの迷宮の魔女じゃないのよ。少し待ってて案内するわ。あ、それと君」

和也の方を見て、

「今、占い機のこと。どうして『みずがめ座』って思ったでしょ。前にあなたたちが来たとき……私、あなたのかわいい彼女がそれに興味をもっていろいろ触ってたの見てたの。そのあと『みずがめ座』になってたから……」

微笑みながら女性は店の奥へ入っていった。マスターと少し話してエプロンを外す。黒のTシャツに黒いスカート。エプロンをしているときとは趣が違う、和也は『素敵な女性だな』と思った。

ふと美弥と目が合う。ちょっとにらむような目で和也を見る。

「え、いや何でもないよ」

「なにが?」

美弥が不機嫌そうに言う。

「きれい……って思ってた」

「いやいや、そんなんじゃないって」

美弥が微笑む。

「うそよ」


女性が案内してくれる。

「じゃあ、行きましょうか」

カランと扉の開く音が響く。

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