第7話 天使降臨 巨大ショッピングモール

 午前九時、四人はショッピングモールの南の入り口に集まった。

「へえ、大きなショッピングモールだね」

建物全体を見上げるように奈緒子が言う。

「すごいな。まるで要塞ようさいって感じ」

「見たことあるの? 要塞」

朗の言葉に瞬殺しゅんさつでツッコミを入れてくる奈緒子。

「おお、あるわ。お前、見たことないがか」

「……」

朗も負けていない。

 そんなやり取りを横目で見ながら、和也も『ここは本当にすごい!』と思った。一旦、入ったら何時間でも楽しめそうだ。しかしこの巨大なショッピングモール、本当に迷子になるんじゃないかと思うほどだ。『再びここに帰って来れるのか?』と不安になるほどだった。

「すごいね。これは街だね」

和也は美弥に話しかけてみる。

美弥は今日も白のTシャツにジーンズ、白のニット帽、白のスニーカー。

「ほんと、すごいね」

 入り口を入ってまっすぐ進んだところにインフォメーションと書いたブースがあり二人の女性がいた。奈緒子はそこでショッピングモールの各フロアの店やこの建物の地図が載っているパンフレットをもらった。

 パンフレットによると建物全体の形は、どうやら大きな十字の形になっているらしい。方角的にちょうど東西南北にフロアが広がり、それぞれの通りが特徴的な雰囲気を出しているようだ。

 それぞれの方向に向かう通りの一階は、ちょうど真ん中に道を挟んだ普通の街の商店街のような感じになっている。一階と二階は吹き抜けになっており、二階はその両側の通りから一階が見下ろせる造りになっている。そして、その両側の通りは数十メートル置きに向かいの通りに渡れるような構造になっていた。

 三階、四階は中央に広い通路が広がり、全方向にいろいろな専門店が並んでいる。その上の五階は飲食店街。この広大な建物の中に、とてつもない数の飲食店がのきを並べている。

 さらにその上は駐車場が三階分ある。

 地下は二階まであるようだ。

 地下一階はこのショッピングモール独自のショッピングセンターがある。それだけでなく、地元の有名ショッピングセンターもほとんど入っている。この地下一階にはコンビニも有名店がほとんど入っているらしい。

 地下二階は食品街でお惣菜やお土産用品などを売っている。この建物の地下の構造は地上部分の構造と異なり、それぞれ地下一階、二階にも駐車場が併設されているようだ。

 すべての階には一般の駐車場とは別に商品搬入用の業者用駐車場があるようだった。

 さらに、この建物の周囲も大きな駐車場になっており、駐車場の一角には遊園地やプールもある。その駐車場の周りには市内どこでも見かけるような家電の量販店やホームセンター、ドラッグストア、コンビニばかりか、ホテルなど宿泊施設、メディカルモールもあり医療サービスも受けられる、美容室、託児所から塾まで県内外の人の流れをすべて、ここに吸収してしまおうとしているのではないかと思われるほど巨大集合施設となっている。

 そして、これらの周囲の巨大な商業施設とショッピングモールは地下一階、地下二階の駐車場からも通路続きですべての店舗や商業施設に歩いて行けるようになっている。通路の途中には、それぞれ、地下一階は映画館の複合施設シネマコンプレックスがあり、地下二階はアミューズメント施設、スポーツジムなどがある。

これはもう一つの街だった。知らない間に、この一角に新しい街が一つできたような感じだった。


 和也たちが入ってきたのは『南の入り口』この建物は『入り口』もたくさんあるのだが、パンフレットを見る限り、どうやら南からこの建物に入る場合、メインの『南の入り口』は先ほど和也たちが入ってきたところらしい。南国をイメージしているのか中央の通りにはヤシの木が植えられている。背の高いヤシの木を見上げながら、『なんて大きい商業施設なんだ』と思うと同時に『それにしてもヤシの木ってある程度で上に伸びなくなるんだろうか?』とも思った。

 四人とも通りの両側にある店々みせみせをきょろきょろ見回しながら、まず、だいたいの感じをつかみ取りたいと思い『一通り歩いてみよう』ということになった。『南の入り口』から入り、十字構造になっている建物の中央の広場に着くまで、どこかの店に入るような寄り道もせず、ただ歩いて来ただけなのに十分くらいかかった。

 中央の広場には大きな木の形をした時計台があった。東西南北四方向の通りから見えるように、それぞれの向きに大きな文字盤の時計がついている。時計は大きな振り子時計になっており、時計の周りにはいろいろな鳥や動物の飾りがついている。

時計台の下にはストリートピアノというのだろうか? ピアノが一台置いてある。

「でかいな」

朗がつぶやく。

「この時計台? それともこのショッピングモール?」

奈緒子が時計台を見上げながら聞く。

「ショッピングモールよや」

「本当だな。これじゃ今日一日で全部見て回れないよ」

和也だけでなく皆そう感じたようだ。

 時計台の時計は九時二十分を指そうとしている。全体の感じをつかもうと歩き始めたが、そんなことをしていたら、見たいところが見られなくなる。

「これは街よ。目的のお店があれば、そこのお店だけを目当てに行く。ショッピングモール内の全部のお店を見るなんて、とんでもなくて、その日行くお店を決めておいてピンポイントで数軒行くみたいな、そんな感じじゃない? 本当の街に出かけるみたいに」

美弥もつぶやく。

「ここをどういう風に楽しむか、方針は決まったみたいやね。そうとなれば、おれはちょっとスポーツ店に行きたいき。みんなあ興味なかったら、別行動でえい? スマホあるし。お昼にフードコートで落ち合うがは、どう?」

「いいよ」

「賛成」

 早速、朗はスポーツ店に行ってしまった。ここに来るまでの通りにかなり大きなスポーツ店があった。


「朗といると高知に帰って来たって感じ」

「ほんとだ。自然な土佐弁。あれ、僕たちに対する懐かしさの演出かなって思うよ」

「いるの? その演出」

 スポーツ店に関心のない女子二人は洋服や小物を売っている店を見て回るといい朗と別行動をとることになった。和也はとりあえず特に興味がある店もなかったので女子二人についていくことにした。

「あれ和也。朗と一緒に行かないの?」

「ああ、スポーツ店あんまり興味ないし」

「へえ。そうなんだ。スポーツ店は興味ないけど、美弥には興味がある……と」

からかい半分の奈緒子。こういうとき美弥はまったく聞こえてないのか、関心がないのか、スルーだ。このマイペースな感じに心が折れるときがある。洋服屋、靴屋などを次から次へと回っていく。


 二階フロアの一角に大きな楽器店があった。美弥は興味深そうに店内に飾られている楽器を見回す。

「ちょっと見てっていい?」

「いいよ。いいよ」

和也も奈緒子もついて入る。

 店の中央がレジになっている、店員が数人いて案内をしてくれているようだ。店はレジをはさんで左右のスペースに分かれている。左右それぞれのスペースは前の通りに面していて、通りから店の中、展示している楽器が見えるような造りになっている。

 店に入って、レジの左のスペースはシンセサイザーやギター、ベース、ドラムなどが並んでいて、バンドをやっているらしい男子学生数人のグループと女子学生数人のグループ、地元でアマチュアバンドをやっているらしい人たちがいる。

 レジの右のスペースは入ってすぐのところに、いろいろな音楽雑誌や楽譜、音楽の専門書などが置いてあり、その右にヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスといった弦楽器や、フルートやクラリネット、オーボエなどの木管楽器、トランペット、トロンボーン、チューバなどの金管楽器が並ぶ。店の奥の方にはティンパニやマリンバ、ピアノ、グランドハープまで……さまざまな楽器が並んでいる。また更にその奥では楽器の修理や音楽教室もしているようだ。

 こちらは吹奏楽部の学生らしい高校生の男女が数人、管楽器を見て何か話している。ピアノのところに小さい子供連れの家族が何組か。他にも趣味で音楽をやっているらしい人が数人いた。

 面白いのは左のスペースは何かロックバンドの名前を書いたTシャツに黒のジーンズ、黒い皮のブーツという出で立ちの女性が数人で接客しており、右のスペースには黒のタイトスカートスーツ、紺のパンツスーツという服装の女性数人が接客している。


「高いね」

奈緒子がいう。

「そうだね」

「美弥が普段使ってるヴァイオリンってすごく高価なの?」

奈緒子が興味深そうに聞く。

「私の使ってるのは、そんなんじゃないよ。普通のヴァイオリンだよ」

そういわれても、この楽器の普通の価格帯かかくたいがよくわからない。

 そんな会話をしている間も、店員や店に来ている学生たちの視線をやたらに感じる。


 ここの店は楽器の修理などもしてくれるようで、簡単に直せるような修理なら店の奥ですぐにやってくれるようだ。

 子どもにヴァイオリンを習わせているらしい親子連れがやってきた。楽器を持ってきて「調子が悪いから見てほしい」というようなことを言っている。話しかけられた店員は新人のようであたふたしていが、他の店員も別の客の対応をしている。

 幼稚園の年長くらいだろうか、女の子がかわいらしいヴァイオリンをだいじそうに持っている。

その子は何を思ったのか楽器を見ていた美弥に、

「ヴァイオリンみてください」

と言って、自分のヴァイオリンを差し出した。店員と間違えたのだろうか? お母さんが困った顔をしている。

「いいヴァイオリンね」

美弥が言うと、女の子は美弥にヴァイオリンを手渡した。

 美弥はヴァイオリンを受け取りいろいろな方向から一通り見渡す。ヴァイオリンの弦を調整するらしいネジのようなものすべて動かしてみる。

「どこも壊れてないみたいよ。音が合わせられないのかな?」

美弥が微笑んで言う。

店員が、

「チューナーを持ってきます」

あわてて言うが、美弥はかまわず、弦を指ではじきながらネジのような部分で手早く調整する。ほんの数十秒のことだった。四つの弦の調整はもう終わったのだろうか?

女の子が笑顔で、

「直った!」

と言った。

「え? わかった?」

この一言には美弥も驚いたようだった。

女の子が小さなケースから弓を出して美弥に渡す。

母親が、

「こら、さやちゃん、お姉さん困ってるでしょう」

美弥は女の子から弓を受け取った。


「直ってるかどうか。試してみようか?」

うなづく女の子。


スッと美弥が弦の上に弓をすべらせる。

美しい音色がふわっと流れる。


この一瞬で、辺り一帯のが、美弥のヴァイオリンに視線を集めたかのような張りつめた緊張感。


人々の雑踏、騒がしかったフロアの空気が一瞬で変わった。

通りを歩いている人も足を止めたのか、話していた人たちもこちらに注意をかれたのか。


空気が……止まった。


感じたことのない『静寂せいじゃく』の瞬間。


美弥の表情は今まで見たことがない一帯の空気を支配するような鋭い視線。

そして、やさしく目を閉じ……


なめらかに弓をすべらせる。

は一斉にそこに居合わせた聴衆の心に響き渡っていく。


 曲は有名なアニメ映画の曲だった。誰もが聞いたことのある曲。しかし、それはまるで別次元の美しい音色だった。

『この音色は……どこから聴こえてくるのだろう?』

まるで聴いている自分たち自身の心の中から響いてくるような心地よい音色。

『これがなまのヴァイオリンの音色。いや、これがなのだ』そう思った。

 ヴァイオリンの演奏をなまで聴いたことがなかった和也にも、美弥のレベルがけた外れだということがわかった。

周りで見ていたすべての人が自然に涙を誘われる。

ヴァイオリンの音色がここに居合わせた人すべての心と共鳴する。和也も気が付くと涙……


曲を弾き終わる。


数秒の静寂


そしてフロア中から拍手が鳴り響いた。

一階のフロアからも拍手が聞こえてくる。


 美弥は女の子にやさしくヴァイオリンを手渡した。

大事そうに受け取る女の子。

「いいヴァイオリンね」

女の子は嬉しそうに微笑む。

「あのお、青柳美弥さんですよね?」

母親は両手で口をおおうように目元をおさえながら近づいてきた。

うなづく美弥。

「さやちゃん、いい耳してますね。聞き分けられるんですね。音」

母親は何のことかわかってないようだった。


 その後は一緒に写真を撮らせてほしいとお願いされたり、サインが欲しいと言われたり……お店の人も色紙を持ってきたり、写真を撮らせてもらったり、美弥の方も、こういう初めて会った人からの有名人的な扱いに慣れている。手際てぎわよくサインを書いたり、一緒に写真に写ったり……

和也も一緒に写真を撮ってもらった。『美弥ちゃんってサインがあるんだ』と思って和也も持っていた手帳に書いてもらったが、普通に『青柳美弥』と書いた感じだった。

 しばらく人だかりができてざわざわしていたが、店の中を見たいという美弥に気を遣って、野次馬のような人達はいなくなった。美弥が何を買ったのかはよくわからなかったが、何かヴァイオリンに使うもの買ったようだ。女の子の親子も買い物を済ませ最後は美弥と握手をして帰って行った。


 それと同時に朗が大きな袋を持って帰ってきた。

「朗、なに買ってきたの?」

「おお、おれ、マラソン始めたがよ。なので、シューズを買いました!」

「なんか、マラソン人口増えてるみたいね」

「おお、フルマラソンの大会があるき。奈緒子もやらんかや」

「へえ、フルマラソンやるの。すごいじゃん」

「まあ去年始めたばっかりやけど」

「こっちは美弥の演奏に感動したよ」

「え、さっきのヴァイオリン、美弥の演奏?」

「そうだよ」

「おれも聴いた。聴いた。この下にスポーツ用品店があるがやけど、聴こえてきて、一階におった人も足を止めて聴きよった。美弥すごいな。なんか素人しろうとのおれが褒めるとか、そういうレベルじゃないな」

そんな話をしながら、そろそろお昼を食べにフードコートへ行こうという話になった。


 五階の飲食店街にフードコートがある。あっという間の午前中だった。このほんの少しの時間の間に和也たちは美弥の姿を見た気がした。

美弥の本当の姿……

 そう思う一方で、さっきの楽器店で天使が降臨こうりんしたような演奏をした彼女が、世間で言われる『ヴァイオリニスト青柳美弥』なら、今こうして和也たちと一緒に歩いている、おとなしく、ちょっとな彼女こそが、世間には見せない姿なのかもしれない。

そんな風にも思えた。

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