第2話 それは四月のこと 和也 出会いのとき

 大学を卒業して六年。いつもと変わらない四月がやって来た。和也かずやは都内のIT企業に勤めていた。IT企業といっても有名な大手企業ではない。取引先も小規模な会社や個人事業主が多く、仕事の内容についても情報システムに関する様々な仕事を請け負っている会社である。和也の仕事は世間一般で言われるwebデザイナーという仕事で、依頼されたwebサイトを作るという仕事をしていた。

 この業界はめまぐるしい進化と発展を遂げており、直接そこに関わってない者からすると、その世界で活躍する人たちが具体的に何をしているかなど聞いてわかるはずもなく、学生時代の友人から「今、何してるの?」と聞かれたとき、「IT関係」といえば、聞いてきた友人の方も「へえ」と、それ以上は聞いてもわからないと思うのか細かく突っ込まれることもなく、そこで話題が変わる。そんな感じの業界である。

 新入社員のフレッシュな風は少しばかり日常の空気に新鮮な色を与えてくれる。入社して二年間くらいは学生時代のだらけた生活から一転、社会の歯車に乗ったような気がした。規則正しいリズム、新鮮な感覚にやる気や生きがいのようなものを感じていた。しかし、それも三年、四年と経ち、六年目にもなると、毎日、毎月、一年が、また繰り返す一年になってしまう。

 社会人になったばかりの頃は大学時代から仲の良かった佐織と付き合っていたが、月日が経つごとに、お互い何か違うと感じになり、喧嘩になることもなく二年前に別れた。

 それからというもの益々変化のない日常を過ごすようになった。そして最近は、この変化のなさに心地よさを感じ始めている。昼休みスマホのアラームをセットして昼寝するのも心地よい日課。スマホのアラームが鳴る。

「おはようさん。憂鬱な午後の始まりだ」

という先輩の声。ほんの少しの睡眠だったが、目を覚ますと少し気分がよくなり午後の仕事にかかれる。

『こんなのでいいのか……』

という気持ちより、こんな感じがよくなり始めている。

 帰宅する小田急線に揺られて三十分。祖師ヶ谷大蔵駅で電車を降りる。世田谷区きぬたに住んで十年になる。学生時代からここに住んでいる。住み慣れた町だ。新宿駅から祖師ヶ谷大蔵駅まで電車に乗っている時間は三十分程度かもしれないが、というのは、どこからの時間を考えるかによる。もちろん会社から駅までの時間や駅から自宅までの駅は省くとしても、は出発駅から到着駅までの時間に入っている気がする。

 祖師ヶ谷大蔵駅に着くと白いコートに白いスカート、白い帽子をかぶり、何か小さなケースのようなバッグのようなものを持って駅の改札を出ていく女性がいた。顔ははっきり見えなかったが、あまり見たことがない気品のようなものを感じさせる女性だった。『同じ電車に乗っていたのか……』隣の成城学園前と異なり比較的庶民的な風情の漂うこの駅近くではあまり見ない装いだった。和也はその女性に目を奪われた。

 それから何度かその女性を駅で見かけた。いつも帽子をかぶっている女性は、未だに顔ははっきり見えない。が、美しいには違いない、そう思えた。いつも持っている小さなケースのような、バッグのようなものには、白いフクロウのマスコットがついていた。

 そんなある日、電車で学生時代の友人に偶然出会った。ひとしきり懐かしい学生時代の話が続く、聞けば狛江に住んでいるという。意外と近くに住んでいることがわかり、また今度一緒に飲みに行こうなどという話をしたところで、

「ところで木崎さんのこと聞いたよ」

「ああ、佐織ちゃん。もう二年前の話だ。それにまあ、お互い何か違ってたって感じだったしな」

「……最近の話は?」

「え、最近は連絡もしてないし」

「……そうか……結婚したらしい。おれも知らなかったけどな」

「あ、そう。聞いてなかったな」

そう応えながらながら、和也は、という言葉に対して何も感じていない自分に気づいた。

「幸せになってほしいね」

「ああ、幸せになるんじゃないの。きっと。そうなってほしいね」

祖師ヶ谷大蔵駅に着いた。また会おうなどと取り留めのない挨拶を交わし、和也は電車を降りた。

 ふと改札の方を見ると、白い帽子、白のコートに白いマフラー。ジーンズに白のスニーカー。白いフクロウのマスコットのついた小さなバッグのようなものを肩にかけている女性。『あの女性だ』今日は少し顔が見えた『なんてきれいな女性なんだろう』その小柄で華奢きゃしゃな女性は和也の目線に気づき、少し会釈したようにも見えたがすぐに改札を出て行った。

 夜の春風はまだまだ寒さを感じるが、彼女との出会いは和也の代り映えのない日常にさわやかで心地よいときめきを与えてくれた。

そんな四月のこと。

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