暗闇のなかで踊ろう

ゆきいろ

【短編】暗闇のなかで踊ろう

 深夜。

 夜の街の静寂を引き裂くように、低く唸るエンジン音が近づいてきた。

 街灯の明かりが薄暗く照らすしみったれた裏路地に、一筋の光が走った。


 黒光りする中古のZ400が夜の闇のなかから現れる。マサだ。


「ちょりっす。タカシ」


 マサは近くにバイクを止めると、こちらを確認してヘルメットを脱いだ。

 うっとうしそうに長い金髪をかき上げながらヘルメットを片手にこちらに歩いてくる。


「おせーし」俺は文句を言った。「とっくに飲み会終わって、今から帰ろうって流れ。もう俺とサクラしか残ってないし」


「ごめんて。バイト長引いた。サクラは?」


「あそこ」


 俺が指さした先にはサクラがだらしない姿勢で寝そべっていた。

 サクラはさっきコンビニで買った一升瓶を大事そうに抱いて、アルファルトの上で気持ちよさそうにしている。無造作にまとめられた金髪が地面に広がっていた。


「行き倒れじゃん」とマサ。


「昨日寝てないんだって」


「なんで?」


「大学サボってずっと頂き女子してたっぽい」


「あーね」

 

 俺はサクラを抱き上げてずるずると地面を引きずる。

 彼女の長い金髪が頬をくすぐる。3日くらい風呂に入っていない濃い女の匂いと酒と香水の匂いが混じり合っていて、思わずうっとなった。


「帰るぞ。起きろ〜」


 体を叩いたり揺すったりしていると、ようやくサクラが目を覚ました。


「あー。マサじゃん。飲もうよ」酒でとろんとした目を輝かせてマサに抱きつく。


「別にいいけど」とマサ。


「ま? 俺帰っていい?」


「付き合い悪くね? せっかくマサ来たんだしタカシも飲もうよ」サクラは今度は俺に抱きついてきた。


「いや、もう深夜だし。それにお前すぐ寝るじゃん」


「あ、そうだ」サクラが思いついたように手を叩く。「近くに幽霊が出るって噂の廃墟あるの知ってる?」


「幽霊って」俺がツッコミを入れた。


「いま令和だけど」マサが同調する。


「幽霊に令和とか関係なくね?」サクラが反論した。


「わかる」「それな」


 サクラは酔っ払いながら、いきなり真剣な顔になる。「なんか本当に出るっぽいよ」


 マサが馬鹿にするように言った。「ま? 本気で信じてんの?」


「このまえ、その廃墟で肝試しした子が幽霊見たって。その子いい子だから信用できるし。それに、あたし霊感あるんだよね」


「あーね。でもイタいからそういうの卒業したほうがいいよ」サクラに忠告してあげた。


「うざ。嘘じゃないし。見にいかない?」


 マサと顔を見合わせる。


「別に俺はいいけど」マサが言った。


「ま?」俺はびっくりして答えた。


「タカシはいかないの?」とサクラ。


「めんどいしパス」


「こわいんでしょ」


「はあ、だる。明日テストなんだけど」


 すると、ふたりが笑い出した。


「勉強なんかしないっしょ」


「必修科目。落としたら留年するやつ」


「いいじゃん。とりまいこうよ」


 そういってサクラは腕を絡めて大きめの胸を押し付けてくる。


「いや、でもやっぱやばくね?」


「なにが」


「呪いとか」


「やっぱこわいんじゃん」


「それな」マサが同調する。


「うざ」


「大丈夫。幽霊出てもこれでぶっ叩くし」サクラは一升瓶を振りかざし、得意げに笑う。


「俺、先月から通信空手始めたし。ローリングソバットかますし」なぜかマサが対抗してその場でシャドーボクシングを始めた。


「通信空手ってYouTube?」とサクラ。


「ちげーし」


「悪いけど」俺は言った。「俺たち世界平和とか考えてる系じゃね? いきなり暴力とかないっしょ」


「わかる」「それな」


「でも、幽霊出てきたらどうすんの。タカシかばってくれる?」


 答えに困っているとマサが口を開いた。「そういや俺、生きてるやつのほうが死んでるやつより強いってなんかで聞いたことあるし。別にこわがらなくてよくね? 知らんけど」


「「それな」」


 ってわけで、俺たちは3人で歩き出した。マサは乗ってきたバイクを押して歩いた。

 どうやら目的の廃墟は徒歩でいける距離にあるようだ。

 とはいえ途中でサクラが吐いたりで大変だったけど、マサと一緒に背中をさすってやったりした。

 その後、サクラは胃を洗浄するとか言い出して一升瓶をラッパ飲みして、また吐いてた。


 ◆


 サクラが案内した廃墟は街の外れにあるホテルの跡地だった。

 窓ガラスは無惨に割れ、壁には落書きがびっしりと描かれている。まるでB級ホラー映画に出てくる怪物の棲家すみかみたいだ。

 ぶっちゃけ、俺はもう帰りたかった。


「けっこう雰囲気あるくね?」俺はスマホのライトであたりを照らしながら先頭を歩いていた。


「やっぱびびってんじゃん」とサクラ。


「うざ」


 サクラはそういったが、彼女のほうがびびってるのは間違いなかった。

 俺の背中に添えられた彼女の手のひらからも不安が伝わってくる。

 廃墟に着いたはいいものの、誰も先にいこうとしないから、結局こうして俺が先頭に立って探索することになったのだ。


 エントランスに入ると、壁紙は剥がれ落ち、床には砕けた瓦礫が散乱していた。古びた分厚い絨毯じゅうたんの上を歩くたびに埃が舞い上がった。

 静寂の中、俺たちの足音と呼吸の音が異様に大きく感じられる。


「ただのボロい建物じゃね?」マサは強がってるみたいだけど、ちょっと声が震えてた。


 ロビーの奥には、かつて受付だったと思われるカウンターがあって、その後ろには割れた鏡が壁一面に貼り付けられていた。スマホのライトをあてると、鏡の破片に映る俺たちの姿が歪んで見えた。


「ねぇ、やっぱ帰んない?」とサクラが震える声で言った。


 そのとき、ポン、と高い音が聞こえた。俺たちは驚いてそちらを振り向くと、窓から差し込む月明かりに照らされた古いピアノがあった。近くで薄いボロ切れみたいなカーテンが風で揺れていた。


 「風かな」俺は自分に言い聞かせるみたいにつぶやいた。


 すると、今度はロビーの割れた鏡に影がうつった。

 よく見ると、鏡の中には長い髪の小さな女の子が立っていた。彼女はワンピースを着ていて、鏡の中からこちらを見つめていた。


 「誰かいるっぽい」俺の声は震えていた。


 「むりむり。もう帰ろうって」


 サクラの言葉を無視して、俺はゆっくりと鏡に近づいてみた。だが、そこにはもう変なものは映っていなかった。俺たちの姿があるだけだ。


「見間違いか」俺が言い終えたその時、背後から物が倒れるような音が聞こえた。


「ひっ」マサが情けない声をあげる。


「いやぁッ!!」つられてサクラも大声で叫んだ。深夜の建物の中でこだまする。


「うおっ!」俺はむしろサクラの甲高い声に驚いて、体がびくっと反応した。


 なんだか悔しかったので俺は掠れた裏声を出していたずらしてみることにした。「一緒にあそぼう……」


「ひぃっ」


「いやあ!! もうやだやだ! おうち帰る!!」


 サクラが半泣きになってしまった。ちょっと驚かせすぎたみたいだ。

 

「ごめん。今の俺」素直に謝った。


 「タカシ声やばくね? 声優なれるくね?」そういって鼻水をすする。


 褒められた俺は気分がよくなって次々に幽霊っぽい声を出してみた。徐々にふたりに笑顔が戻っていく。


 すると、くすくす、という笑い声が闇の中から聞こえた気がした。サクラでもマサでもない。少女のか細い声だ。


 俺は驚いて声のした方にスマホのライトを向ける。

 すると、部屋の隅に血だらけの白いワンピースを着た小さな女の子が立っていた。彼女の体は半透明に透けていて、霧みたいに儚げにみえた。


「あっ!」俺は思わず声をあげた。


 ふたりも続けてそちらを見る。


「え? ま? ま? 本当に幽霊?」


「透けてるし! 完全に幽霊っしょ!!」


 俺たちはその場で叫んだり暴れたりしながら(一番うるさかったのはサクラだ)少しのあいだ腰を抜かしていたが、少女に敵意がないことに気がつくとみんなだんだんと落ち着きを取り戻しはじめた。

 少女は無表情のままじっとこちらを見ていた。

 マサがポツリと口にした。


「かわいくね?」


「わかる。あたしかわいい女の子だいすき。すこすこのすこ」


「俺もすこすこスコティッシュフォールド」


「は? ロリコンきも」


 サクラの言葉に傷つきながら幽霊の少女のほうを見ると、なんだか彼女は悲しそうな目をしていることに気がついた。


「幽霊が出る系のホラー映画ってさ」マサが語りだした。「実際に幽霊が出てからは意外とこわくなくね。いるかいないかわからない時はこわいけど、出てきたあとはモンスターのバトル映画みたいになるっていうか。知らんけど」


「わかる」


「かわいいし」


「ロリコンきも」


 サクラにそう言われ、マサは傷ついた顔をしていた。


「幽霊ってこんなもんか」と俺。


 なんだかさっきまで俺たちを包んでいた恐怖の波が一気に和らいでいく。


 そしてサクラが得意げに言い出した。「撮影してSNSにアップすればバズるくね?」


「100パーウケるっしょ。知らんけど」とマサ。


「天才」


 俺たちはさっそくスマホを手に取り、カメラを赤外線モードにして撮影しながら幽霊の少女とダンスをしたり肩を組んでポーズを取ったりした。


 少女は最初少し戸惑ったような表情を浮かべていたが、俺たちのノリに引きずられて、しだいにキャッキャッとはしゃいだり、かわいらしい笑顔を浮かべたりするようになっていった。少女が笑うと、俺もなんだか嬉しくなった。


 10分も経った頃には俺たちはすっかり打ち解けていて、4人で一緒に撮影した写真や動画を確認しあった。

 少女の姿はバッチリ写っていた。


「「「「うぇーい!」」」」


 俺たちはハイタッチして喜びを分かち合った。少女の半透明の手のひらをすり抜ける時、ひんやりとした冷たい空気が体を通り抜けるのがわかった。


 その後、4人で廃墟の床に座っていると、幽霊の少女は俺たちに心を許してくれたみたいでぽつぽつと語りだした。サクラは日本酒をラッパ飲みしていた。


「昔、わたしはこわい男の人に誘拐されてここで殺されたの。誰にも助けてもらえなかった」


「はあ? 最悪なんだけど」


「犯人は捕まってないのかよ」


「許せねえわ」


「もういいの。ずっとひとりぼっちで寂しかったから、今日はお兄ちゃんたちと遊べて楽しかった」


 幽霊の少女の言葉は、冷たい風みたいにすっと俺の心に入ってきた。

 マサとサクラのほうを見ると、目に涙が溜まっているのがわかった。

 情けない話だけど、俺も胸がじんとなって鼻の奥がツンとするのを感じた。


「やっぱ動画アップするのやめね?」


 俺は自然とそう口にしていた。

 うまく言えないけど、この子をおもちゃにするのは間違ってると思ったんだ。


「だな」とマサ。「バズったらこの子に迷惑かかるかもだし」


 サクラは袖で涙を拭きながら静かにうなずく。「ごめんね。うるさくして」


 幽霊の少女は、かすかに微笑んで「ありがとう」とささやいた。その声はすぐにでも闇に溶けていきそうなくらいか細いものだった。


「でも、あんまし人前に出ないほうがいいよ。ちょっと噂になってるし。寂しかったらうちら遊びに来るし。世の中いい人ばっかりじゃないから」サクラがこちらをふり向く。「また来るよね?」


「とうぜん」とマサ。


「俺らもうマブダチっしょ」と俺。


「でも、幽霊って成仏したいんじゃね? 地縛霊ってやつっしょ? 知らんけど」マサが疑問を口にした。


「そうかも。成仏したいの?」


 サクラが幽霊の少女にたずねたが、少女は困った顔をするだけだった。あまりピンとこないようだ。


「もし成仏したくなったら言って。お寺とかに頼むから。こう見えてうちら割とお金持ってるし」サクラは笑顔で少女にピースしてみせる。


「俺金欠なんだけど」マサが言った。


「バイク売れば?」俺は提案した。


「ま? それだけは勘弁」


 その後、俺たちは少女に別れを告げると、ゲラゲラと笑いながら廃墟を後にした。

 スマホで撮影した写真や動画のデータは全部きれいに削除して、今日ここで起きたことは誰にも話さないでおこうとみんなで約束しあった。

 外に出ると、澄みきった夜空に無数の星がまたたいていた。

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