第12話 「入れ」

 頭頂部の、真ん中から引かれた分け目。その持ち主である、僕を蹴ったあいつは、自分の胸元に視線を注いでいるらしかった。学ランとシャツのボタンは全てあけ放たれている。胸元には、白い帯状のものが巻かれている。白い帯と、ちょっと日焼けた肌色と黒の学ランが、三色の対比をつくっている。


 両の手が、胸元にあてられた。さらしで潰されても、服がなければそのふくらみは明らかである。すこしばかり覗ける鎖骨や、お腹の線が、僕に対して、彼が彼女であったことを告白した。驚きはしたけれども、それよりもっと、もっと体を観察したいという欲が上回った。


 彼女は片手をさらしの裏側に入れて、そのあまりを引っ張った。慣れた手つきでさらしはするするほどかれていく。一周して、二周して、三周する。空気が、乳房に直接触れようとしている。露わになった乳房は、さっきまでの窮屈さから解放され、その存在を世界に示した。でも、ちょっと学ランが邪魔だ。ちょうど乳首のところが、憎く上手く隠れている。さらしを巻くくらいだから大きいのは確かだ。もっと真上から見れたら、仔細に覗けるのに。さらしはぐるぐるに丸められ、閉じられた的の上に置かれた。


 彼女はシャツと学ランを一緒に脱いで、膝の上に乗せた。僕の目の焦点が、乳房に集中される。はりがある。紅葉さんの母親の乳房はぶるんだけれど、こちらはぷるんといった具合だ。まだ若く、けれども大人びた自分の乳房を、彼女は見ている。

「はあ」と女はため息ついた。


 このため息には、秘密と、それを守るためについてきた嘘といった重みが含まれているように思われた。僕をあざ笑った、あのきつい印象を与える釣り目は、今は心持垂れているかもしれない。そう勝手に彼女の心中を想像しているうちに、僕は罪悪感を覚え始めた。

 

 いくら嫌な奴だからって、そいつを覗いていいわけじゃない。しかし、無音で着地できるだろうか。最後に、乳房を脳に焼き付けよう。それくらい構わないじゃないか。あいつは僕を蹴飛ばしたのだから。

 欲が僕の未来を、暗い紫色に照らした。予備動作はないし、第一この時の僕は、腕に力を込める以外には、ほとんど性欲でしか構成されていなかったのだからしようがない。


「んーっ」と言いながら伸びした彼女と、目が合ってしまったのだ。彼女は目を細めて、腕と顔を天井に向けたのだ。顔は一瞬間、真上を向いていた。その顔は、短い安息を、精いっぱい享受していた。女の顔だった。見惚れた。

 

 顔がこちらに傾いて、僕はやっと隠れなければと思った。思うのが遅かった。目はばっちりあった。


「うわっ」と彼女は言って、背中を丸め乳房を腕で隠した。腕の締め付けが強いようで、隠せずはみでたところが盛り上がっている。


 僕の高校生活が終わった。これから僕は、女を覗いた者として、三年間を送らなければならないのだ。腕に力が入らない。ずるっと、手が縁から離れて、視界が灰色一色になって、尻を強く、タイルの地面に打った。

 痛い。でも、痛みよりも目の前の状況をどうにかしなければ。


 タイルの継目の本来白い部分が、黒く汚れている。僕も生まれたばかりの頃は、きっと穢れていなかった。今はどうだ、この黒が可愛くみえるくらいには、ずっと穢れたに違いない。


 ゆっくり立ち上がり、ゆっくり鍵を開けて個室から出る。僕は一つの希望に掛けた。それは、彼女が知らんぷりしてくれるというものだ。

「おい」彼女の発した声が、個室の向こうから僕に投げられた。

「は、はい」思わず返事する。

「入れ」




 

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女武士と妖怪小僧 @umibe

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