第11話 僅かな冒険

 僕は無事、美術の授業が受けられることになった。今日の四限目は美術である。そして今は、三限目を終えて、四限目の始まる前の短い十分の、大体五、六分が経過した頃だ。他の教室よりも色の明るく濃い景色を視界に認めながら、そこに意識を配る余裕なく、あの男が居ないかびくびく確認する。居ない、良かった。

 

 安心する。していたら、小便に行きたくなったので席を立った。歩きながら、大きい方も出たがっていることに気付き、僕は一番奥の個室へ入った。鍵閉めて、かちゃかちゃベルト外して、うんこ座りする。もう少しで小便がちろちろ出そうだったが、騒がしい足音に引っ込んでしまう。

 

 ばらついた足音が、扉の向こうから聞こえる。声と足音から察するに二人だ。そのうちの一人は、確実にあの男であった。声色が印象的だったからよく覚えている。

「お、おい。ついてくるなよ」とあの男の、どうしてか慌てた声が聞こえた。

「ついてきてねえよ。俺だってしょんべんしたかったんだ」と知らぬ男の声。

 使い走りの時に遭遇した、二人のうちの一人だろうか。

「そ、そうか。すまん」とあの男は、落ち着かぬ様子で答えている。


 あいつが体育を選択したのなら、とっくに体操服に着替え終え校庭に居るはずだ。運が悪いではないか。どうしてあいつは美術なんぞ選択したのだ。わからない。授業中に、恥かかせられたり嫌がらせさりたりするのだろうか。そう思うと、胸の辺りがずんと重くなったように感じる。でも、彼にだって彼の世界があるし、僕になんか意識を向けないかもしれない。僕は自意識過剰なのだ。


 それに授業中であれば、流石に以前のように僕をいきなり抱えてさらったりすることはしないだろう。授業を終えれば、さっさと教科書持って出て行けば良いのだ。という考えが、濁流のように僕の中を駆け巡った。


「なんかお前、変だぞ」こつんと足音。

「ちょっ。近づくな」いきなり触れられた猫のような声。

「熱あるんじゃないか」

「良いから、早く行けって」


 短い沈黙のあとに「すまんすまん。先行ってる」ともう一人の男が言って、その足音が徐々に遠ざかって行った。

 あいつがため息と安心のはざまのような、長めの息をついて、僕の居る個室の隣の扉が開かれる音がした。


「はあ。ちょっとこれ、きつく巻きすぎちゃったな。息が苦しい」

 僕を蹴飛ばした時とも、ついさっきの会話の時とも違う、ちょっと高い声。

 あいつには、何か秘密があるのだ。そしてその秘密は、僕が僅かに冒険すれば明らかになる。


 気になるあまり、僕は静かにベルトを締め、あいつと僕とを隔てる壁の前に屈んで蛙のように飛び跳ね、縁を掴んだ。失敗したらどてり尻餅付いて僕の存在がばれるとこだったが、成功だ。こんな状況で、まさかパムさんとの修行の成果を発揮することになろうとは思わなかった。


 体をぐいと持ち上げ、隣の個室を上から覗く。


 





 


 


 


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