第370話 ホールリハーサル前日 リハーサル(八)

 美織みおりが周りを見回してゆいをかばう様に言葉を添える。

「ほんの少し、ほんの少しだけ、一つ前のアチチュードの回転が足りなかったんだと思います」

 すみれが美織の方に視線を向ける。そして、少しうつむき加減にゆいを見ながら微笑んで呟く、

「そうね。体の向きが少しだけ回り切ってなかった。それを修正した一瞬、足を上げるのが遅れた。そんな僅かな違いを……演奏していたオーケストラの方と私以外に気が付いてるのは先生方と美織ぐらいだと思っていたけど……」


 唯が首をかしげる様にして、すみれを見上げながら微笑む。

 すみれが唯の前にしゃがむ様にして唯の頭をもう一度撫でる。そして優しく微笑んで唯に話し掛けた。

「唯ちゃん。唯ちゃんは私の先生ね。これで二回目だ。先生に注意してくれたの。これからも、私の踊りを見て、できてないところがあったら教えてね」

「はーい」

 と元気に手をあげて微笑む唯。

 すみれと美織は微笑んで唯の頭を撫でて抱きしめたが、そこにいる全ての者が唯の秘められた才能におそれのようなものを感じた瞬間だった。

 嬉しそうに知里ちさとや真由のところに戻って行く唯。


 青山青葉あおやまあおばバレエ団、バレエ学校のバレエ教師である松野がすみれと美織のところにやって来た。

「あの子が唯ちゃんなの。噂には聞いていたけど凄いわね」

「はい」

 すみれが微笑む。

「で、あの子踊りを見る目と音を聴く耳は凄いようだけど、踊れるの?」

「ええ、踊りも上手ですよ。小さいですけど。輝くものがあります。この後のリハーサル見てあげて下さい」

「そうね。楽しみにしてるわ。すみれのことが好きで、どこも見逃さないほど見てるのね……すみれか、美織の再来ね……どっちにしても、あの才能、ちょっと手に負えないレベルのようね。ここには真理子先生もいらっしゃるけど、あなたたちが協力して大切に育ててあげなさい」

 松野が微笑みながら唯を見て呟く。すみれと美織が顔を見合わせて微笑んだ。


◇◇◇◇◇◇


 六人のエキシビションのリハーサルが終わった。

 次元の違う踊りが繰り広げられたエキシビションに園香そのかは圧倒された。改めて、これ程レベルの違う人たちと一緒に舞台に立つのかという震えるような緊張感と、こんなに素晴らしいダンサーと共演できる誇らしさを感じた。


◇◇◇◇◇◇


 その後、すみれが真理子のところに行きアドバイスを受けていた。先程のヴァリエーションの細かいアドバイスの様だった。園香が近くで聞いていると、一つ一つ動きの中でプリエに下りる時のかかとの位置や向き、体、腰の向きを微調整するようなアドバイスが聞こえた。

 正確なポジションが要求されるこの踊りでは体の回転が足りないのもいけないが、回り過ぎるのも次の動きへスムーズに繋げられない原因になる。見た目には僅かな回転の足りなさや、回り過ぎでも、それによって体重がある方向にかかり過ぎていたりすると次の動きに入れない場合がある。

 園香からすると細かすぎるほどの指摘だったが、すみれを見ていると指摘された箇所を瞬時に修正していく。

 これほど高度で緻密な指摘に対し、言われたその場で体で修正できるのは、さすが世界的なプリンシパルだと驚かされた。

 そして、同時に、これほど細かいところをアドバイスができる真理子の指導にも驚かされた。

 彼女がレッスンで生徒を指導するとき、生徒の踊りがすぐに直らないことがあったとしても、それは彼女の指導に原因があるのではなく、指摘された生徒の方にアドバイスについていく技量がないのだと思えた。


◇◇◇◇◇◇


 エキシビションに出演するダンサーたちも『くるみ割り人形』のリハーサルの準備が整った。


 ゆい知里ちさと、真由がシュタールバウムの屋敷に向かう客人の衣装で楽しそうに演技の練習をしている。唯と知里が大人クラスの千春たちに、しきりに何か話しかけては笑っている。

――――――

〇プリエ

「折りたたむ」という意味。両膝、または片膝を曲げること。プリエはバレエに於いて、ほとんどすべてのパ(動き)に付随する。

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