第368話 ホールリハーサル前日 リハーサル(六)

 五番目、美織みおりがオデットの衣装で舞台(稽古場)の中央に立つ。


 園香そのかは美織が衣装を着てオデットを踊るのをなまで見るのは初めてだった。テレビで見たことは何度かあった。園香は彼女のオデットが好きだった。名門青山青葉あおやまあおばバレエ団の頂点でオデットを踊る彼女は園香にとって世界一のプリンシパルだった。

 その彼女が今、目の前にオデットの姿で立っている。

 すみれが、古都ことが美織の姿を見ている。優一も舞台(稽古場)のそでで見ている。優一はいつも、この場所で美織のオデットを見ているのだろうか。

 花村バレエの生徒、スタッフ、稽古場にいる全員が注目する。

 恵那えなの指揮で久木田くきたがヴァイオリンの弓を弾く。ホ長調の美しい音色が稽古場に響く。踊り始めた美織の美しいポール・ド・ブラ(腕の運び)それは白鳥そのものだった。


 決して高い跳躍や何回転も回る回転技があるわけではない特殊なテクニックがあるわけでもない。

 ただ一つ白鳥に見えること。

 この踊りは人ではない白鳥を表現するため、腕を翼の様に広げて表現する振りが多い。その際、腕を自分の体よりやや後ろに広げる。足もアラベスク、アチチュードと後ろに上げる振りが多い。総じて肩と背中が柔らかくなければ取れないポーズ、振りが多い。

 そういう点で、この振りを踊りながら美しくバランスを取って踊るためには並外れた柔軟性とポーズをキープする筋力が必要となる。


 いつか誰かが言っていた身長に対する手足の長さのバランス頭の大きさ肩や背中の柔らかさ。それが美織は他のダンサーと比較にならないほど美しい……と、こうして目の前でなまで見ると、腕をやや後ろに広げ白鳥が翼を広げたポーズを取った時の美しさが尋常ではない。

 小さなゆいでさえ身を乗り出して見てしまうほど美しい。

 その姿はまさに白鳥だ。

 青山青葉バレエ団の康子や佐由美も美織のオデットにはかなわないという表情で見ている。すみれと古都も彼女の踊りを静かに見つめている。


 美織の卓越した身体能力。恵まれた体のバランス。そして、吸い込まれるような表現力に稽古場に居合わせた者全員が我を忘れたかのように見入っていた。

 誰もが思った。名門青山青葉バレエ団のプリンシパル。その中でも、美織、すみれ、古都こと瑞希みずきといえば、バレエ団の顔ともいうべきトップのプリンシパルだ。それを理解したうえで見ても、これほど凄いダンサーなのかと思い知らされた。

 こんな凄いダンサーが公演ではキッズクラスの子どもたちと一緒に踊ってくれる。それは花村バレエのダンサー、スタッフにとって本当に嬉しいことだった。

 しかし、考えてみれば、このエキシビションの話がなければ、この六人のこれほど素晴らしい踊りを、どこまでお客さん見せられただろうと思う。そんなことを考えて、やはり、今回のエキシビションの企画は突然のことではあったがやることにして良かったと誰もが思えた。

 美織が踊り終わって稽古場中に拍手が渦巻いた。


 そして、エキシビションの最後、六人目はすみれの『グラン・パ・クラシック』最高難度のヴァリエーションの一つだ。


――――――

〇ポールドブラ

腕を動かして表現すること。バレエ表現の腕の動き。

腕の運び。腕をあるポジション(位置、ポーズ)から別のポジション(位置、ポーズ)に移す、移動させること。腕の軌跡。

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