第32章 ホールリハーサル

第356話 ホールリハーサルに向けて

 生徒もバレエ教師たちスタッフも、日に日に緊張感が増して練習に気合が入る。

 真理子やあやめ、すみれや美織みおりたちも、最初、この本番の一ヵ月前という時期にホールリハーサルという話が出た時、ホールまで借りてリハーサルをするには少し早いという気がしていた。

 しかし、ここに来て、作品の仕上がり具合や出演者たちの集中力など本番のホールを使ってリハーサルをするのに十分な状態に仕上がってきているということを肌で感じていた。

 小学生や中学生、高校生たちも浮足立った感じの出演者はいない。ふわふわした感じの出演者はいない。皆それぞれにここまで練習を積んできたという自信も持っているようで気持ちの面でもしっかりしている。

 この状態に至った一つの大きな要因は明らかに知里だった。

 キッズクラスの子どもたちはもちろんのことだが、小学生や中学生、高校生から大人クラス、いつも稽古場で練習を支えてくれているお母さんたちまで。

 知里のために最高の舞台に仕上げたいという思いが、全員の気持ちを一つにしていた。


 知里はゆいや真由たちキッズクラスの子たちと楽しそうに、そして、真剣に日々のレッスンに励んでいる。すみれや美織、瑞希みずきも可愛らしい子どもたちの踊りや演技を優しく見守りながら指導していく。

 園香そのかもキッズクラス子たちとの距離が今まで以上にずっと近くなった気がした。最近では、ゆいや真由、知里も、他の子どもたちも、

「園香先生、園香先生」

 と園香のところに近付いて来ては、踊りの事や演技の事から、今日はどんなことをしたとか日常の何でもない様なことを楽しそうに話してくれるようになった。


 すみれが『くるみ割り人形』の踊りや演出について、あらゆる細かい部分にも気を配り指導していく。

 一幕の客人の演技、ハレルキン、コロンビーヌ、ムーア人が踊る時の、周りの子どもたちや大人たちの自然な演技など、これまで比較的自由に各自に任せていたような演技の部分も立ち位置や仕草、表情まで、細かく演技指導し調整をした。

 一人一人のマイムや立っている時の体の向きなど、園香や真美も、その些細な調整に、どれだけの意味があるのだろうと思って見ていたが、曲で全体を通し、全員でその場面を演じてみると信じられないほど、はっきり今までとは、まったく違うクリアなシーンに変貌していた。

 場面、場面が見やすく、そして、全体的な見た目の印象が、どこかのバレエ団の全幕公演の様に、玄人はだしの雰囲気すら感じさせるような仕上がりになっていた。


 リハーサルの間の休憩時間、楽しそうに練習したり、遊んだりする知里と唯たちキッズクラスの子どもたち。

 知里のお母さんばかりでなく、他のお母さんたちも子どもたちにカメラを向ける。


 すみれは以前はいつも美織とばかり話をし、どこか他の生徒が近付きにくい雰囲気もあったが、最近はいつも園香を輪の中に入れ、分け隔てなくすべての生徒やバレエ教師たちとレッスン中も休憩時間も気さくに話をするようになった。

 その雰囲気が功を奏しているのか、最近では、すみれたちと生徒たちの関係ばかりでなく、キッズクラスの子たち、小学生や中学生たち、高校生たちと大人クラスのレッスン生と、すべての生徒たちの間に垣根がなくなり、誰もが自然に話しをする雰囲気が出来上がってきた。

 すべての生徒たちがお互いの踊りや演技を見て意見や感想を言ったり、アドバイスをしたり、この場面ではこうしようなどと話し合ったり……それが更に舞台の上での自然な演技に繋がっていくような流れができてきた。


 園香は、いつか、すみれと出会ったばかりの頃、すみれがゆいに対して言った言葉、ゆいを通して自分に言った言葉を思い出す。

「一人ぼっちのお姫様なんていない。皆がいるからお姫様はお姫様でいられる……」 

 その言葉をこの雰囲気ができて改めて感じた。

 すみれは知らず知らずのうちに、導く様に、言葉ではなく、この稽古場に漂い始めた雰囲気を通して、園香にプリンシパルとしての心構えを教えてくれているように感じた。

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