第355話 小さな天才バレリーナと衣装の神様 大阪

 青山青葉あおやまあおばバレエ団の衣装を担当する由香と一花いちかは、すみれに言われた住所を頼りに大阪の宮崎美香バレエスタジオにやって来た。

 大きなバレエスタジオだ。衣装係といっても二人とも元バレエダンサーで、今も衣装係として深くバレエに携わっている。宮崎美香バレエスタジオは関西の名門バレエスタジオだ。さすがに二人も、ここのバレエ教室の名前は知っている。緊張してスタジオに入った。

 入り口で一人のバレエ教師が迎えてくれた。宮崎美香が待っていると言われ、三階の稽古場に案内された。

 二階は広い稽古場で大人クラスのレッスン生たちがバーレッスンをしていた。そのレベルの高さに目を奪われるが、時々飛び交う大阪弁に圧倒される。


 三階の教室では一人の女の子がレッスンをしていた。鏡の前の椅子に扇子せんすを持った宮崎美香が座っている。美香の隣の椅子に小さなタンバリンを頭に被せた黄色いぬいぐるみが置いてある。

 女の子は『キャンディボンボン』の練習をしていた。

 由香と一花は驚いた。すみれから連絡をもらって数日しか経っていない。この子が瑠々るるという子なのか……花村バレエの『くるみ割り人形』の出演が決まって、まだ、数日しか経ってないはずだ。しかし、彼女は既にあの花村バレエの生徒と同じレベルの『キャンディ』の踊りを踊っている。その光景は花村バレエのリハーサルに何度も立ち会った由香に衝撃を与えた。


 踊り終わってポーズを取る瑠々るるの足先と手の位置を美香が扇子で叩いてポジションを直す。

瑠々るる、バレエや。お遊戯ちゃうで、可愛らしい踊りでも、きちんとバレエのポジションや。首をなごう見せな、あご上げるんちゃう! 肩下げや、腕は下げるな……そやな」

 瑠々るるが頷く。

「ほな、も一回、最初から通しとこうな」

 曲を流して最初から踊る。四歳の瑠々るるはたった一人、他に誰もいない稽古場で、まるで他の『キャンディ』のダンサーたちが周りにいるかのように自分のパートを正確に踊る。

 レベルが桁違いに高い。美香からポジションを注意されていたが、青山青葉あおやまあおばバレエ団でプロのリハーサルを何度も見てきた由香や一花いちかでさえ許容できるほどの細かい指摘だ。

 青山青葉あおやまあおばバレエ学校でキッズクラスの子どもたちもたくさん見てきたが、この子の踊りは凄いを通り越して恐ろしさすら感じる。

 由香と一花いちかの前で、一人で、ほぼ完璧に『キャンディボンボン』を踊り切った。

「今日はここまでや、また、明日『花のワルツ』と『おしまいのワルツ』も練習しよな」

「うん」

「うん、ちゃう、はいや」

「はい」

 美香が由香と一花いちかに振り返り、改めて丁寧に挨拶する。

「遠いところ、ありがとうございます」

 水筒の水を飲みながら、瑠々るるがやって来た。

「お姉ちゃんら誰?」

 美香が扇子で瑠々るるの頭をパシッと叩く。

瑠々るるの衣装作ってくれる先生や。きちんとご挨拶し」

「よろしくお願いします」

 近くに来た瑠々るるを見て由香と一花いちかは改めて驚く。本当にそばで見ると小さな幼稚園の子だ。上目遣いに二人を見上げる姿があどけない。


 少し話した後、瑠々るるの採寸を始める。

瑠々るるちゃんは小さくて可愛いねえ」

 由香と一花いちかが声を掛けると、

「四歳やからなあ。衣装も可愛らしい作っといてな」

 パシッと美香が隣から扇子で頭を叩く。

 採寸をしながら由香と一花が顔を見合わせる。

「瑠々ちゃん、凄いですね。小さなバレリーナですね。私たちもバレエ学校やいろいろなところで採寸してると分かるんです。この子はバレエ向きとか……そういうことが、この年で、こんな恵まれた子、見たことがない」

 美香が微笑みながら瑠々るるに言う。

瑠々るる、ありがとう言うとき」

「お姉ちゃん測りながら皆にそんなこと言うとるんか?」

「え?」

 由香が驚いて瑠々るるを見る。横から美香がパシッと瑠々るるの頭を扇子で叩く。

瑠々るる、ありがとうや」

「ありがとう。でも、ゆいちゃんもバレエ向きやで」

 と瑠々るるが言う。

「え、瑠々るるちゃん、花村バレエのゆいちゃんを知ってるの?」

「お友達や」

「へえ、ゆいちゃんも上手よね。瑠々るるちゃんから見て、ゆいちゃんはバレエ向きなの?」

 由香が笑いながら瑠々るるを見る。

「他の子と違うんは、普通に立ってるだけで分かるわ。お稽古中だけバレエの姿勢してる子と、普段、普通にしててバレエの姿勢になってる子の違いや」

 由香と一花いちかが、一瞬、真顔まがおで顔を見合わせた。一体この子は何なの……そんな気持ちが二人を包んだ。

 この年でそんな風に人が見えているのかと驚く、他の子と見えているものが違うのだ。先生が皆の目の前で踊りを見せても、他の子と見ているポイントが違う、その差が彼女の人並外れた上達に繋がっている気がした。


 一通り採寸が終わり、美香と話をする。

 瑠々るるは椅子に置いてあった黄色いぬいぐるみと一緒にストレッチをしている。

 なんて体が柔らかいのだろう。由香や一花いちかは、この世界で長年たくさんのバレリーナを見てきた。瑠々るるぐらい子もたくさん見てきたが、この子の柔軟性は秀でている。


「じゃあ、また、花村バレエでお会いしましょう」

 由香と一花いちかが美香に挨拶する。美香も由香たちに微笑む。

「よろしくお願いします。瑠々るる、ありがとうは」

 瑠々るるがぬいぐるみを持って近づいてくる。

「ありがとう。プウちゃんの衣装も作って」

 美香が瑠々るるの頭をパシッと扇子で頭を叩く。

 由香が微笑んで、瑠々るるのぬいぐるみにメジャーを当てる。

「可愛いね。このクマちゃん。プウちゃんっていうの?」

「クマちゃうで、トラや」

「ええ」

 由香と一花いちかが微笑む。

「じゃあ、瑠々るるちゃん花村バレエで会おうね」

「うん、お姉ちゃんらも気い付けて帰りな。帰りに、たこ焼きうて帰ったらええわ」

 美香からパシッと扇子で頭を叩かれていた。

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