第354話 大阪から帰って すみれという人

 大阪から帰ってきた三人の報告を聞き、稽古場で待っていた、あやめや北村、美織みおりたちも驚きと喜びに包まれた。

 待っていたメンバーの中で一番驚いたのは、やはり真美だった。まさか、美香が承諾すると思っていなかった。常識的に考えて大人でも驚異的なスケジュールだ。小さな瑠々るるの出演を認めるとは思えなかった。

 そして、更に美香が、一ヵ月間、花村バレエに来ると聞いて顔色が変わった。

 真美の表情を見て、園香そのかも改めて、あの大阪で見た美香のレッスンが花村バレエで繰り広げられるのだろうかと一抹の不安を感じた。


◇◇◇◇◇◇


 すみれがスタッフ全員に声を掛け、すぐに美香との約束であったリハーサルビデオを探した。美香の希望である振付と構成が見やすいものを探す。

 幸い、リハーサル風景は普段から真理子が撮影を許可していたこともあって、花村バレエのスタッフはもちろん、すみれや美織、瑞希みずきばかりでなく、お母さんたちも自分のビデオカメラで撮影していた。


 ここで役に立ったのが、北村がキッズクラスの生徒をメインに撮影したビデオがあったことだ。

 これは北村が、今回の公演のキッズクラス用に、小さな子どもたちをより効果的に上達させるため『キャンディ』『花のワルツ』『終曲のワルツ』『ねずみと兵隊人形の戦い』など、キッズクラスの生徒に集中して日頃から撮影していたものだ。

 すみれや美織、瑞希がいないとき、自分たちが振付や表現を確認しながら教えるために撮影したものだ。

 そして、普段のキッズクラスのリハーサル風景もたくさん撮っていた。お陰で様々な角度からキッズクラスの踊りを撮った映像をたくさん集めることができた。


 その中から美香の役に立ちそうな遠景えんけいで全体を撮ったもの、個人個人の振り付けが分かりやすいものをピックアップして編集し一本のビデオテープにまとめた。

 知里の踊りもわかりやすく編集できた。


◇◇◇◇◇◇


 すみれが宮崎美香バレエスタジオに連絡を入れた。園香がそばで聞いていると、どうやら瑠々るるの衣装の事で連絡しているようだった。

「すみません。美香先生。青山青葉あおやまあおばバレエの来生由香きすぎゆかというものに衣装の採寸に行くようお願いしますので……はい……近々、来生きすぎの方から美香先生の方に、直接、連絡がいくと思いますので……はい……よろしく、お願いします」


「すみれさん、瑠々るるちゃんのパンフレット用の写真はどうしますか?」

 美織が聞く。

「今度ホールリハの時、小野山さんが来てくれるみたいだからお願いするわ」

「和歌さんですか」

「そうよ。サンプルのパンフレット持って来てくれるみたい」

「え、この前、皆の写真撮ったばかりなのに、もうサンプルができてるんですか?」

「ええ、何冊か持って来てくれるから、取り敢えず一冊は知里ちゃんにあげようと思ってるの」

「いいですね」

 美織が微笑む。

「他の生徒にはわからないように、小野山さんには美香先生と瑠々ちゃんに会ってもらうようにするから」

青葉あおば先生だけじゃなくて、青山青葉あおやまあおばバレエ団の皆は知里ちゃんのことも瑠々るるちゃんことも知ってるんですよね」

 美織がすみれに聞く。

「もちろんよ。全員知ってるわ。ちなみに瑠々るるちゃんが決まってることも、瑠々るるちゃんの事は内緒にしておくことも」

 すみれが微笑む。

「そうですか、安心しました」

 そう言って美織も微笑む。


◇◇◇◇◇◇


 また、すみれがどこかに電話を掛けている。

「もしもし、由香をお願い……由香、仕事よ……また、奢るから……青葉あおば先生から聞いてるでしょう。キャンディの知里ちゃんの件……由香、あなた、出張よ……大阪『宮崎美香バレエスタジオ』ってとこ……芹沢瑠々せりざわるるちゃんっていう子の採寸……キャンディと子ねずみの衣装、あと一幕の客人……お願い。え……新しく作るのよ。出ないから返してって、知里ちゃんから衣装を取り上げる訳にはいかないでしょう。知里ちゃんには全部プレゼントよ……由香が行くこと。もう、美香先生には連絡してあるから」

 近くで聞いていると、受話器の向こうで、何か大声で言っているのが聞こえる。


◇◇◇◇◇◇


 園香はふと思った。東京の青山青葉あおやまあおばバレエ団に行ったとき、すみれはいつも他のバレエ団員たちとは別行動を取り、どこか勝手気ままに行動している人のように思えた。

 初めて彼女を見たとき、皆が真面目に稽古場で練習しているところへ、自分のペースで稽古場にやって来て、他の人と違うペースで調整している……なんで他のダンサーや先生は彼女に注意をしないのだろうと思った。

 しかし、彼女は自分勝手に自分の用事のために遅刻してきたりしていた訳ではなかった。

 この数日間、すみれと行動を共にして思った。

 すみれは今回の公演のために走り回ってくれている。彼女は青山青葉バレエ団でプリンシパルをしていたバレリーナだ。バレエフェスティバルにも出演するこの世界では神様のような存在だ。バレエの世界では、どこへ行っても顔がく。そんな彼女が、皆がバレエの練習に集中している中、あらゆる方面へ出向いて話をまとめてくれている。


 彼女のお陰で、ホールリハーサルに知里の幼稚園の関係者を招待することができた。

 彼女のお陰で絶対に無理と思われた、瑠々るるの公演出演が決定した。


 生徒たちの知らないところで、公演直前に起こったあらゆる問題が解決していっている。まるで何もなかったかのように公演の成功に向けて事が進んでいる。

 園香はすみれのバレリーナ以外の偉大な一面を見たような気がした。あの青山青葉あおやまあおばがすみれに判断を任せるような場面がある。真理子がすみれに事を任せるような場面がある。

 それは彼女に全幅の信頼を置いているからだと分かった。

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