第30章 それは大きな出来事

第342話 思わぬ相談

 エキシビションの演目が決まって、すみれは青山青葉あおやまあおばに演目の連絡をした。

 青葉あおばは「それは素晴らしいわね。エキシビションの曲は私の方から恵那えなさんに伝えておくから」と言ってくれた。

 すみれが慌てて「それはちょっと」と言いかけたが、青葉が、いつもの感じで「気にしなくていい」と言ってくれた。そして、次の十一月のホールでのリハーサルはエキシビションも含めてオーケストラ演奏でやるから、音響の事は全部こちらに任せてくれてよいと言ってくれた。


 このかん、舞台の小道具や細かいものが、色々と青山青葉バレエ団から花村バレエに送られて来ていた。花村バレエの小林が管理する。


 毎日、レッスンでは『くるみ割り人形』のリハーサルが順調に進んでいた。エキシビションの方も、元々レベルの高いダンサーが選出されていたこともあり、既に舞台で見せられるレベルに仕上がっていた。多岐川一美たきがわかずみも鹿島真美も衣装を実家から送ってもらい準備は万端という感じだった。

 リハーサルが終わった後、一美は、いつも優一と楽しそうに話している。そして、話をしているかと思えば、何か難しいテクニックをお互いに確認したり楽しそうにやっている。一美は優一から自分が踊る『白鳥の湖』のジークフリートのヴァリエーションだけでなく『眠れる森の美女』のデジレ王子のヴァリエーションも教えてもらっていた。


◇◇◇◇◇◇


 そんな中、すみれと美織みおり、真理子とあやめが話していると、キッズクラスの知里ちさとのお母さんがやって来た。園香そのかと真美も近くにいたので、何だろうと耳をそばだてていた。


「すみません。真理子先生、皆さん、折り入って相談があるのですが」

 神妙な顔つきの知里の母親に、真理子が、

「ここでいいのですか?」

 と聞くと、

「はい、できたら皆さんに聞いて頂きたいことですので」

 と話を切り出した。


 すみれや美織も真剣な眼差しを向ける。

「実は一ヵ月ほど前からあった話なのですが確定ではなかったので、今まで言い出せていなかったことがあったのですが……」

「なんですか?」

「実は、主人が転勤することになりまして」

「ええ! それで」

 真理子が驚きながらも優しく問い掛ける。

「来月の初めには転勤先に行かなければならなくて、皆さんには大変ご迷惑をお掛けするのですが、公演には参加ができないんです」


 すみれと美織も顔を見合わせ、驚いた表情をする。

「ええ! 知里ちゃんとお母さんだけでも、公演までこちらに残ることはできないんですか?」

 すみれが思い止まらせようと提案するが、知里のお母さんが涙混じりに、

「転勤先が海外なので、家族で、どうしても……」

「え、海外ですか……どちらへ行かれるんですか?」

「ロンドンです」

「ロ、ロンドン……知里ちゃんは、知ってるんですよね」

 すみれも少し動揺を隠せない声で聞く。

「はい、実は先月、もしかしたら、こうなるかもしれないという事は伝えてありました」


 すみれや美織、真理子も先月の文化イベントの頃から、少し知里の様子がおかしかったことを思い出した。

 真理子もあやめも何とか公演に出られる方法はないかと必死に引き止めるが、やはり、転勤先が転勤先なだけに、どうにも公演出演は難しいらしい。来月にはロンドンに家族で行くという。

「知里ちゃん。今日もお稽古来てましたけど、もう、きちんと、その事は理解してるんですか?」

「はい」


 すみれが少し悲しそうな表情で呟く、

「そう……知里ちゃん強い子ですね」

「いえ、このところ、よく泣いてて可哀そうで、十二月の公演のことを楽しみにしていて『幼稚園の先生やお友達に見に来てもらう』って……皆にも言ってあったみたいで」

「……」

 お母さんの言葉に、聞いていた皆が言葉を失う。


「お稽古は、いつまで来られるんですか?」

 すみれが聞く。

「今度のリハーサル……ホールのリハーサルまでは来られます」

「そうですか。なんとか、必ずホールリハーサルに来てくださいね」

 すみれがお母さんの目をまっすぐ見て言う。

「は、はい、ホールのリハーサルは必ず参加させて頂きます」

 その言葉にすみれが頷く。そして、すみれが真理子に、

「真理子先生、一つお願いがあるのですが、ホールリハーサルの日、知里ちゃんのご家族一同と、幼稚園の友達をご招待させてくれないでしょうか」

「ええ、それは……それはいいですよ」

 真理子も状況が状況なだけに即答で了承する。

 すみれが、もう一度、知里のお母さんに向き、

「お母さん、ホールリハーサルはご家族一同、皆さんで来場ください。おじいちゃん、おばあちゃんにも、是非お声を掛けてくださいね」

「は、はい」

「知里ちゃん、市内のさくら幼稚園に通っているんでしたっけ」

 すみれが聞く。

「はい……」

 すみれを見つめながら返事するお母さんに、すみれが頷きながら優しく言う。

「残りのお稽古、一回、一回、知里ちゃんとお母さんにとって、素敵な思い出にしましょうね」

「はい」

 すみれの思い掛けない提案に驚きながらも、親身になって知里のことを考えてくれる彼女の姿に、知里のお母さんは涙が止まらなかった。


 周りにいた園香たちも、この知里のお母さんとの話でもらい泣きしてしまった。

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