第324話 秋の文化イベント(八)『くるみ割り人形』

 舞台袖ぶたいそででは山野バレエの生徒たちが、つい先ほどまで舞台の余韻に浸るように踊りの話をしていたが、花村バレエの小さな子どもたちが『キャンディボンボン』の準備をしている姿を見ると「頑張ってね」と声を掛けてくれた。

 ガムザッティを踊った恵梨香とニキヤを踊った由美も、花村バレエで『あし笛』を踊る佐和と玲子を励ます言葉を送った。


 ステージでは司会者の二人が山野バレエの『ラ・バヤデール』の演目の素晴らしさに感動したと賛辞を述べた。

 そして「次は花村バレエの皆さんが『くるみ割り人形』『ドン・キホーテ』の抜粋を続けてお送りします」と紹介してくれた。


 観客席に散らばって観ている花村バレエの千春たち大人クラスのレッスン生やお母さんたち、たくさんの花村バレエ関係者が一斉にイベント会場のあちこちから大きな拍手を送る。その花村バレエの関係者の近くにいた人たちも釣られるように一緒に拍手をする。公園を埋め尽くすようなたくさんの観客に拍手の波が広がる。

 公園の空気が揺れた。


 客席に座る見ず知らずの人たちにまでも舞台に引き込む花村バレエを支える人たち。この会場にいる全てのお客さんを、自然に、一気に盛り上げる力は他の団体や同業の他のバレエ教室にない花村バレエならではの文化だ。イベント前に誰が指示したわけでもない。自然に、そこにいる全ての人を自分たちの世界に引き込む。この空気がイベントに参加している全ての団体を圧倒する。

 今まで様々な司会を務めてきた百戦錬磨の司会者の二人もこの空気に震えた。これがバレエを見たことがない者でも、その名を聞いたことがある花村バレエ研究所の底力かと肌で感じた。

 一瞬で会場全体を出演者たちが踊りやすい空気で包み込む。


 最初に踊るのは『キャンディボンボン』だ。キッズクラスの子どもたちが踊れることを嬉しそうに舞台袖ぶたいそでで待っている。

 観客席では、子どもたちのお母さんや家族の人たちがビデオカメラを構え乗り出すようにして舞台を見守っている。


◇◇◇◇◇◇


 バレエ『くるみ割り人形』の『キャンディボンボン』が始まる。教室で最年少のゆいや真由が踊る。

 その可愛らしい姿に客席からも舞台袖ぶたいそでの山野バレエの生徒たちからも「かわいい」と言う声が聞こえる。美織みおりがキッズクラスの子どもたちと楽しそうに踊る。

 この前のリハーサルでアクシデントがあった知里も楽しそうに唯と顔を見合わせながら踊る。踊り終わると会場中に大きな拍手が鳴り響く。

 嬉しそうに唯や真由、知里が舞台袖ぶたいそでに帰ってくる。


 引き続き、佐和、玲子、優一が『あし笛の踊り』を踊る。先程『バヤデール』でソロルを踊った優一の印象は、まだ観客の心に残っている。

 この踊りでは気品あるノーブルの踊りを見せる。丁寧に正確にバレエの基本を押さえて踊る。この気品溢れる踊りには先ほどのソロルのような派手なテクニックはないが、これぞクラシックバレエという紳士的な踊りだ。

 佐和と玲子も美しいクラシックチュチュに身を包み、非の打ちどころのない正確なポジションを取りながら踊る。

 山野バレエの生徒たちも言葉を失い見入っている。バレエ教師の山野美佐子と詩保も、先程の『キャンディ』といい、この『あし笛』といい、公演本番の二か月前にして、この仕上がりかと驚かされる。


 その後『トレパック』は今回のイベントではいつきひかるの二人で踊るが十分迫力ある踊りを見せた。この踊りは誰もが知っている曲ということもあり客席も大いに盛り上がる。


『中国の踊り』を沖本心おきもとこころ三杉桂みすぎかつらが踊る。軽やかさとコミカルな雰囲気を持つ踊り、この曲もまた誰もが耳にしたことがある曲だ。馴染みのある有名な曲が『あし笛』から続く。


 そして『くるみ割り人形』の抜粋の最後を飾るのは園香そのかの踊る『金平糖の精の踊り』だ。会場がチェレスターの不思議な音色に包まれる。公園の客席を埋め尽くす観客が園香の踊りに引き込まれる。


 踊り終わると会場が拍手の渦に包まれた。舞台袖ぶたいそでに帰ってきた園香を真美が微笑みながら迎えてくれた。

「園ちゃん、やるなあ。すごい盛り上がりやで」

 すみれも美織も園香を抱きしめてくれた。優一が園香の肩をポンと叩く。

「さすが主役だね」

 と言ってくれた、その一言が嬉しかった。

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