第307話 コール・ド・バレエの神様 瑞希の言葉

 すみれが出演者を見ながら呟くように美織みおりに話し掛ける。

「すごいね。山野美佐子やまのみさこバレエスタジオって『バヤデルカ』の『かげの場』のコールドを踊れるダンサーが三十二人もいるの?」

「本当ですね。大きいバレエ団みたい」


 すみれと美織が瑞希みずきに目を向ける。

「え? いや、すみれさんと美織さんがいるんだから、コールドの指導は、すみれさんと美織さんで……」

青葉あおば先生の言葉がバレエ雑誌に載ってたわよ。河合瑞希かわいみずきがいたら魔法にかかったようにコールドがそろうって」

 すみれが微笑みながら言う。

「いえいえ」

「そうよ、あなた、この前の青山青葉あおやまあおばバレエ団の『白鳥』も急遽コールド指導してたじゃない」

 美織も笑顔で言う。

「いや、あれは」

 そんな会話を主催者の山野美佐子やまのみさこ山野詩保やまのしほが隣で聞いていた。詩保が瑞希に、

「お願いします」

 と言う。

「え、いや、はい」

 と、しどろもどろな返事をしながらダンサーたちに目を向ける瑞希。


 瑞希が『かげの場』を踊るダンサーたちのところへ行き、見るからに緊張している様子のコールドのダンサーたちに声を掛ける。

 笑顔で話す瑞希に出演者たちも、幾分、緊張がほぐれたようだ。笑顔と笑い声が聞こえる。


 瑞希が踊る時の目線をどこに置いて踊るか、姿勢をしっかり保つようにという様なことを言っているようだ。

 コールドの先頭で踊るダンサー恵梨香えりかに、舞台に登場して進んでいく方向を指差しながら、背中、肩甲骨の間あたりを軽くさわるようにして、背筋を伸ばし上体を引き上げるように言う。

 ダンサー全員が瑞希の一言一言に全神経を集中するように聞き入っている。


「バレエブラン、白のバレエって言われるバレエのコールドはバレエの中でも最も美しく荘厳で、見ている人を感動させる踊りだけど、この『バヤデルカ』も『白鳥』も『ジゼル』も、コールドの踊りは舞台から見ると客席全体が真っ暗になって舞台上がブルー系の照明っていう中で踊るでしょう。踊っているダンサーは自分の周囲わずか数メートルの青白い空間と大きな暗闇に包まれて、視点と体幹を失ってしまうと自分が、どこに立っているか、まっすぐ立てているか、わからなくなってしまう」

 聞いているダンサーたちが真剣な表情で頷く。

「まあ、今度のイベントの舞台は、私は初めてだけど、屋外の舞台っていうことだから、舞台以外、周りが真っ暗ってことはないでしょうけど、でも、緊張したら、それに近い感覚になると思うの。周りが明るくても、空間に飲み込まれるような感覚。そういう時、あまり遠くないところに視点、スポットを決めて、自分と見える空間の中で距離感をつかむ。そして、日頃の練習でやっている通り、自分のまっすぐを信じて真上に体を引き上げる。そんなことかな」

 瑞希が微笑みながら話す言葉に、周りのダンサーにも微笑みが広がる。

「ルーティンって、あるでしょう。いつも違う場所で、いつもと同じパフォーマンスを求められるとき、初めて行った場所でも、何か『いつもと同じ』という感覚を体に知らせて不安や緊張を取り除いているんだと思うよ。本番前のバーレッスンは、そういう意味もあると思うよ。毎日、毎日、同じことをするバーレッスン。それを本番前にもする。その日、初めて踊るの舞台でも『いつもと同じ』を体に言い聞かせてるんだと思うよ」


 そして、また、全員に、何か一言二言話をした後、ダンサー全員から笑い声が聞こえてきた。リラックスしている様子が窺える。


 山野詩保やまのしほが曲を出し『ラ・バヤデール(バヤデルカ)』の『かげの場』のリハーサルが始まった。

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