第290話 すみれ 第一幕キトリのヴァリエーション
鏡の前に座っている
すみれが静かに呟くように言う。
「いいよ。真美ちゃん。すごくいい。これから私が踊るのは、あくまでも私の表現だから参考にしてもらってもいいし、そこは自分の感性、自分の踊りを大事にしてもらっていいから」
稽古場に居合わせた全員が息を呑んだ。快い緊張感に包まれる。
◇◇◇◇◇◇
すみれが
美しく大きなパデシャ。空中で最初に上げた右足をまっすぐ伸ばす。
すみれの非の打ちどころがない美しいパデシャ。空中で見せる美しいシルエットが印象に残る。
パデシャは小さいパデシャの場合、右足を先に上げるとき、空中で両足のひし形を見せた後、すぐに右足を下に伸ばし着地するのだが、大きく見せる場合、両足のひし形を見せた後、左足はひし形の時の状態をキープし、最初に上げた右足を一度まっすぐ横に伸ばして、大きく右に移動する。
右足をエファセ・ドゥバンに振り上げる。百八十度、真上の位置まで……
今まで、すみれの踊りを見てきて思うことは、彼女の柔軟性は美織や瑞希を遥かに上回るが、踊りによって足の高さ、体の柔軟性の見せ方を巧みに変えている。足が上がるからといって、不要に、それを強調するような踊りをしない。しかし、ここぞというときは、他の人が敵わないと思うほどの身体能力の差を見せてくる。
右回りのピケ・アンデダン。正確なポジションが残像として残るほど美しい。続いて細かく足を刻むパ・ド・ブレで
もう一度同じ振りを繰り返す。
軽いジャンプで両足を五番ポジションにそろえ、見せ場のシソンヌ・フェルメ。両足を一気に前後に開く。真美に劣らず、後ろに振り上げた足が、反らせた上体の頭の上を越えてくるほどの柔軟性を見せる……が、この最高点に達して後ろの足が頭の上を越えるほどの空中姿勢、このポーズで一瞬止まったよう見えた。
この空中でのポーズが見ている者の心に残像として残る。真美よりほんの少し滞空時間が長かったように感じた。
見ている者全員が言葉を失う。
その後のアチチュードは正確なポジションを取る。
そして、最後の十八回転のフェアテ。正確無比な回転と一直線でまったくブレない移動。一本の線上を移動しているのがはっきり分かる。ピルエットの回転は一回転、一回転、正確に回転し着地した後、流れず一瞬正面できちんと止まる、真美よりほんの少し早い回転速度が、この一瞬の止まった残像を印象付けるように思えた。
踊り終わって最後のポーズ。
見学している者たちは一瞬拍手をするのも忘れて見入っていた。そして、思い出したように拍手する。
先程、褒めてもらった真美も圧倒的な差を見せられたと感じた。
園香も、これが、すみれの踊りだと改めて思った。何か、ほんの少しの差を正確に何度も印象付け、気が付くと、他の者に到底敵わないと思わせるほどの力の差として心に強い印象を刻み込む。美織や瑞希が尊敬しているというのが実感できる。
唯や真由は嬉しそうにニコニコしながら拍手を送る。
「すみれ先生カッコいい」
唯が微笑みながら言う。すみれも唯に微笑む。
すみれが拍手をしている真美のところに来て、微笑みながら、
「私はこんな感じで、このヴァリエーション踊ってるの。いいと思うところは、聞いてくれたら教えるから」
「はい」
呆然と返事をする真美。
「最初にも言ったけど、あなたのキトリも、かなり完成していると思うから、そこは大事にしていいと思うよ」
そう言って微笑む。真美はすみれを見ながら、何か遥か先にいる人を見つめているような感覚を覚えた。
美和子と
唯が、早速、すみれのキトリを真似する様に踊っていた。小さいながら一生懸命、今見た踊りを踊ろうとしている唯の姿に皆から微笑みがこぼれた。
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