第288話 キューピッドのヴァリエーション すみれから理央へ

 すみれは今回も曲を口ずさみながら手際よく振り付けていく。あっという間に理央りおがキューピッドのヴァリエーションを覚えた。

 もう一度、最初から最後まで、すみれが曲を口ずさみながら踊りを通す。理央りおの踊りは、園香そのかの目から見る限り、既に相当仕上がっているように見える。この数分で振り付けた踊りであるにもかかわらず、その完成度に驚かされる。


 そばで真美と話しながら聞いていた美織みおりが呟くように言う。

「ここからよ」

「え?」

 園香も瑞希みずきも何だろうという表情で美織を見る。美織が理央を見ながら静かに言う。

「ここから、すみれさんが理央ちゃんを本物のキューピッドに仕上げていくの。バレエ『ドン・キホーテ』のキューピッドに仕上げていくのよ」

 園香と瑞希が顔を見合わせる。


 すみれが理央に微笑みかける。

「細かいところはこれから教えていくから、まず今日のところは振りを入れましょう。少し曲で踊ってみようか。まず、音の取り方を見せるから見てて。後、理央ちゃん、あなた勘がいいようだから、注意して見ておいて欲しいところを言っとくわね。一つ一つの振りの体の向きをよく見ておいて」

「はい」

 理央が頷く。


「瑞希、曲お願いしていいかな」すみれが瑞希に言う。

「はい」急いでデッキにつく瑞希。


 すみれが稽古場の前、舞台の客席側から見て下手奥しもておく(左手奥)の位置に構える。

「私が舞台のセンターについたら曲お願い」

「はい」


◇◇◇◇◇◇


 準備しているところに、次のレッスン、キッズクラスの子たちが集まり始めた。


「おはようございます」「お は よ う ご ざ い ま す」

 小さなゆいが稽古場の入り口で、両手を広げて右足をちょこんと前に出してお辞儀をする。その仕草しぐさが余りに可愛らし過ぎて、美和子と香保子かほこがクスッと笑う。


 ゆいと真由が一緒に稽古場に入って来た。唯は、すみれが踊る準備をしていることに気が付き、

「すみれ先生、何踊るの?」

 とニコニコしながら聞く。

 すみれが唯に微笑み、

「キューピッドの踊りを踊るのよ」という、

「ふうん」

 興味津々という感じで見ている唯に、すみれが微笑む。稽古場の鏡の前に理央が立つ。


 稽古場の前から見て左手奥からかろやかに小走りで出てくる。そしてセンターのやや後ろにつく。

 曲がかかり、すみれが踊り始める。一つ一つの振り、足、腕のポジションが鮮明で曖昧なポーズがまったくない。

 踊る前に、すみれが理央に言った『体の向き』も正確にポジションを取って踊る。今まで園香が見た、あらゆるキューピッドのヴァリエーションより美しく軽やかに見えた。


 前で見ていた唯の表情が見る見る驚きを含んだキラキラした笑顔に変わった。

瑠々るるちゃんの踊り」

 唯が手をあげて言う。

「本当、瑠々るるちゃんが踊ってた踊り」

 真由も笑顔で言う。


 すみれが一通り踊った後、理央に微笑んで言う。

「こんな感じかな。今日はとりあえず、一回曲で踊ってみようね」

「はい」

 そう言われて、理央が踊る。


 理央の踊りは、踊りも曲の取り方も振り付けられたばかりとは思えないほどの出来だった。

 すみれが「今日の段階でここまで踊れるのは上出来だ」と言って理央に微笑む。その後、簡単に手足のポジションや足を上げる高さや体の向きをアドバイスして、その日のキューピッドの練習は終わった。


 園香は練習の一部始終を見て呆気あっけに取られた。これほど早く一つのヴァリエーションをこのレベルまで仕上げれるものかと驚いた。

 美和子や香保子かほこは、ただただ拍手をしながら見ていたが、長年バレエをやっている園香から見て、これは通常の振り付けのペースではない。


◇◇◇◇◇◇


 園香は普段のレッスンの中で、その性格からも目立ちがちな姉の佐和や、唯と仲がよくキッズクラスの中で元気いっぱいの真由に比べ、理央は少し影が薄い子のように感じていた。

 園香ばかりでなく真美も、理央がこれほど魅力的な踊りを踊る生徒だったということに驚いた。

 すみれは彼女がレッスンを受ける姿を東京でも見たと言っていた。しかし、理央と出会って、この僅かな時間で彼女の技術、才能を見抜いたというのだろうか? そんなことを思い園香は、また、すみれの凄さを見た気がした。


◇◇◇◇◇◇


 気が付くと唯と真由が、早速、キューピッドの踊りを踊っている。可愛らしい唯たちの姿に見学していた美和子と香保子からも笑顔がこぼれる。

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