第277話 恵人の話 美織とすみれ(一)

 園香そのか恵人けいとが、どうしてそんなに、すみれや美織みおりが持っているCDや普段聞いている音楽を知っているのだろうと気になった。


「恵人君、美織さんや、すみれさんが持ってるCDとか普段よく聞いてる曲を知ってるんだね」

「そうだね。僕は優一さんに踊りを習うことが多かったんで、よく優一さんの家に遊びに行ってたから……そうしたら、美織さんや、すみれさんがいるから……園香ちゃんは遊びに行ったりしない? 優一さんたちの家」

「いえいえ、そんな恐れ多いです」

「恐れ多いって……多分、園香ちゃんが思っているより、優一さんたちはウェルカムだと思うよ。あの人たち稽古場やレッスンでは異世界のレベルの人たちだけど、稽古場出たら割と普通の人たちだから……バレエ関係者で周りにいる人たちは外であっても神様にでもあったかのような感じで接している人も多いけど……この前、東京で僕の家に来た時、瑞希みずきちゃんもそうだったでしょ。普通の女子だったでしょ。彼女も、まあ、一般的には、すごいバレリーナの部類に入ると思うけど、あんな感じだから」

「ああ、それはそうだね。瑞希さんは神レベルのバレリーナよ。恵人君も」

 考えてみたら青山青葉あおやまあおばバレエ団のダンサー、しかも、プリンシパル級のダンサーが花村バレエのゲストで来るのも考えられないことだった。自分の車の助手席に乗っているなどあり得ない状況だ。


 恵人が微笑みながら、

「距離感が難しいと感じるかもしれないけど、声を掛けてみたら喜んで『どうぞ』ってなると思うよ。一人では声掛けにくかったら、真美ちゃんと一緒に声掛けてみたら」

 恵人は軽く笑いながら言うが、そんなことなかなか言えるものではないと思った。美織やすみれとの距離感が難しいかと聞かれれば、やはり遥かに遠くにいるような気がする。

 恵人や瑞希も名門バレエ団のプリンシパルですごいレベルダンサーだが、美織たちは、その恵人や瑞希たちの遙か上空にいて、恵人たちのところからも見えないほどのレベルにいる人たちのように思える。

 何が違うのか、はっきり言葉にはできないが、そういうものを感じる。


 恵人が話を変えるように言う。

「かなりいい感じに仕上がってるって優一さんが言ってくれたよ」

「そうなんだ。今回、ありがとう」

 園香自身も徐々に踊りが自分のものになっていっている感覚はあった。恵人が園香の表情を見て微笑みながら言う。

「普段は、ずっと、すみれさんや優一さん、美織さんから指導受けてるんだよね。それは上手になるよ。うまいでしょ。あの人たち、教えるの」

「上手ですよ。的確というか、すみれさんたちに指摘されるところを手直しすると、たちまち、自分の出来てなかったところや、なんとなくもやっとして、なんで出来ないんだろうって思うところが、目からうろこって感じで出来るようになったり、霧が晴れたように理解できたり……なんか、すごいです」


 園香の言葉を聞きながら微笑む恵人。

「それは……それは霧が晴れたら完成するところまで、今までの先生が仕上げてくれてるから、すみれさんや美織さんの言葉が理解できるんだよ」

「え……」

「つまり、なんていうのかな……今まで、もやっとしてたものが取り払われたり、霧が晴れたら、まだ山のふもとだったなんてことはないってことでしょ。霧が晴れたら山の頂上で絶景が広がった……という感覚なんでしょ」

「……」

「それは、すみれさんや美織さんだけのお陰じゃないってことだよ。真理子先生や、あやめさん、北村先生や秋山先生が、園香ちゃんを頂上まで導いてくれてたんだよ。すみれさんや美織さんが霧を取り払ってくれたんだ」


「そうかもしれない。それと、すみれさんと美織さんって指導の仕方に特徴があるなって思うの」

「二人とも踊って見せてくれるでしょう」

「そう、いつも踊って見せてくれる」

「勉強になるでしょ」

「うん、とても勉強になる」

 頷く園香。


「そういうことだよ」

「え?」

「彼女たちが踊りを見せてくれたとき、見学席のお母さんたちは『きれい』『上手』『素敵』っていう思いで見てると思うよ」

「それはそうでしょう」

「園香ちゃんは『勉強になる』と言った。それは、そのレベルに達している人の口から出る言葉だ」

 園香はその言葉にハッとした。

 今まで真理子、あやめ、北村、秋山に同じことを何度も言われていた気がした。美織とすみれが『今まで、あなたが、ずっと言われ続けてきたことを、きちんと踊りにしたらこうなる』と見せてくれたのだと気が付いた。

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