第235話 九月のリハーサル クララ、由奈、すみれ

 三体の人形の踊りの後、ドロッセルマイヤーが子どもたちにクリスマスプレゼントを渡していきます。


 クララがドロッセルマイヤーから『くるみ割り人形』をもらう場面。

 ドロッセルマイヤーが持って来たプレゼントの中から『くるみ割り人形』を取り出し、子どもたちに見せると、子どもたちはあまりかわいらしくない『くるみ割り人形』を敬遠して受け取ろうとしません。

 その中で、ただ一人、人形に興味を持ったクララ。ドロッセルマイヤーはクララに人形をプレゼントします。

 周りの子どもたちが興味を示さなかったばかりか『くるみ割り人形』を受け取ったクララをからかいます。


 このクララがドロッセルマイヤーに頼んで『くるみ割り人形』をもらう場面。

 クララ役の由奈ゆなの演技に対し、すみれが細かくアドバイスする。クララの優しさが際立つシーンだ。

 人形を大切に手に取るクララの演技を、すみれが由奈に見せる。人形を優しく抱く仕草、一つ一つの手の動き、歩き方、そのすべてがクララの素直さ、人形への愛情を表現している。

 音の使い方が素晴らしい。あらゆる細かい音も、美しい音も、すべてクララの気持ちを奏でているように感じる。


 真剣な由奈の表情から、すみれからすべてを学ぼうという由奈の気持ちが伝わってくる。周りの青山青葉あおやまあおばバレエ団のダンサーも、この指導の風景を真剣に見ている。


 この『くるみ割り人形』という作品は、青山青葉あおやまあおばバレエ団の数ある演目の中で、最も人気のある演目として名高い作品である。

 その『くるみ割り人形』の主役クララを長年プリンシパルとして演じてきた一人すみれ。

 彼女の演技、踊りは、今ここにいるバレエ団のダンサーたちからも憧れられ、尊敬の眼差しで見られてきた演技、踊りだ。このクララという役を直接、すみれから指導され表現、技術を受け継いだダンサーは、ここにいるダンサーの中で美織みおりしかいない。

 青山青葉バレエ団でプリンシパルを務める佐由美さゆみや麗子たちでさえ、すみれが作品の中で演じる姿、踊る姿しか見たことがなかった。

 彼女から直接、指導を受けたことも、指導しているところを見たこともなかった。

 バレエ団の中で神とも鬼とも呼ばれる存在、そんな、すみれがクララの演技指導をする姿を、今、初めて見た。

 こまやかなクララの表現を丁寧に教えるすみれの指導を、花村バレエの生徒ばかりでなく、居合わせた青山青葉バレエ団のダンサーまでが真剣な眼差しで見つめた。

 園香そのかと真美も我を忘れて、その指導に集中した。今までも十分、由奈が上手に演じていたと思っていたが、すみれが指導を始めて数分、このクララがドロッセルマイヤーからクリスマスプレゼントをもらう場面が、いつしか、見違えるほど美しいシーンになっていた。

 由奈の踏み出す一歩、手を差し出す仕草、その一つ一つの細かい動きまで、見事に音楽と呼応する。わずかな時間で、信じられないほど、美しく、やさしい一場面に変貌した。

 真理子と青葉あおばが顔を見合わせて頷いた。

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