第179話 すみれ 鬼のように厳しい人

 皆、近くのコンビニで買いに行っていたようですぐに帰って来た。真っ先に戻って来たのはゆいだった。唯とお母さんが帰って来た。そして、園香そのか、真美、次々に帰って来た。詩保しほ葉子ようこも帰って来た。唯は見学席でサンドイッチを食べながら見ている。キッズクラスの子どもとお母さんたちも次々帰って来る。真由や佐和、理央りおと三人のお母さんもやって来た。


 すみれが稽古場の鏡の前の床に座って厳しい視線で見ている。瑞希みずきは『ドン・キホーテ』のグラン・パ・ド・ドゥが終わって『ジゼル』のヴァリエーションを踊っていた。見学席で見ていた者は皆、瑞希の表現力の高さに息を呑む。それでも、その踊りに対して美織みおりが更に細かく、厳しくアドバイスをする。舞台に登場するところから指示する。


 すみれはずっと下を向いていたように見えたが、何か考えるような表情で言う。

「なんていうか、全部自分でコントロールしてる踊りで見せてよ」

「はい」

 頷く瑞希。周りで聞いている園香たちは何を言ってるかよくわからなかった。

「ポワント(つま先)で立って、たまたま乗れたからバランスが長く取れましたみたいなのはダメだよ。乗っても曲できちんと下りて収めてよ。曲の取り方がまばらになるから、見ててわかるから、違和感しかないから」

「はい」

「偶然、上手にできましたみたいなのはやめて。音を大事にして」

「はい」


 唯も今まで見たことのない、すみれの厳しい口調に目を丸くしている。園香も周りのスタッフも、初めて鬼のように厳しいと言われるすみれの一端を見た気がした。


「もう一回」

 すみれの言葉で、また、瑞希が踊り始める。注意点を細かく意識して踊る。踊り終わって、すみれが声を掛ける。

「よくなったよ。今はとにかく細かいところに厳しくなって。その踊りが体にみ込むまで神経をとがらせて、そのうえで本番は伸び伸びと踊ったらいいから。今はまだ細心の注意を払って踊って。あんたは人よりテクニックがあるんだから、そこをあまり誇示するような踊りをしなくていいから、そこは軽くこなしている感じでいいから」

「はい」

 まっすぐ、すみれを見て返事をする瑞希。すみれが微笑んで頷く。

「よくできてる。自信もっていいから」

「はい」

 少し涙ぐむ瑞希。美織も瑞希の肩を叩いて励ます。ふと思い出したように、すみれが瑞希に聞き直す。

「ところで、結局、ジゼル踊るの?」

「今、少し考えてます」

「そう、まあ、ジゼル、大丈夫だと思うよ」


 すみれも、一旦、見学席の方に戻り美織と瑞希、優一と持って来ていた果物を口にする。

 すみれのところに唯がやって来た。少し不安そうな表情で恐る恐る、すみれの顔を覗き込む。すみれが優しく唯に話し掛ける。

「唯ちゃん。こわかった?」

 首を傾げる様にする唯に微笑むすみれ。

「唯ちゃんも、いつかプリンシパルになる時が来たら、さっきぐらい厳しいお稽古になるけど……頑張れる?」

 少し考えて唯が頷く。すみれも微笑みながら唯の頭を撫でる。

 唯が何かを確かめるように、すみれに抱きついていく。すみれが唯を優しく抱き上げて微笑む。やっと安心した様に唯がすみれに抱きつく。すみれも唯を抱きしめた。唯が嬉しそうに体を動かす。真由もすみれに抱きつく。すみれが真由も抱き上げる。二人とも嬉しそうに微笑む。

 周りの生徒、バレエ教師、見学者は、その光景を微笑みながらも、華奢な、すみれが二人の女の子を両腕で軽く抱き上げたのに驚いた。

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