第172話 土曜日レッスン 北村

 バレエ教師の北村が、すみれのところにやって来た。

「あのお、次のレッスンやって頂けませんか」

 すみれが北村の気持ちを察して二人で話す。皆から少し離れたところで二人で話す。

「私も前のバレエ団でのこともありますから、先生が言われることはわかります。でも、本当に気になさらずに普段通りのレッスンをやってください。私も何かアドバイスできることはさせて頂きます。レッスンのサポートもさせて頂きます。それと、もしよかったら、明日はしましょうか? レッスン」

「いいんですか」

「ええ、なんだか、私もずっとバレエ団の団員としてやってきたから、正直、バレエ教室の勝手があまりわかってないんです。子どもたちへの指導は、瑞希みずき美織みおりの方が上手かも、特に瑞希は家がバレエ教室で彼女、学生の頃から、小さい子どもから小中学生、大人クラスまで教えてたみたいだから」

「ええ、そうなんですか」

 すみれが微笑む。話しているうちに北村も気持ちが楽になってきた。噂で『鬼のように厳しい人』と言われるすみれの印象が薄れていく。薄れるというより彼女に会ってから今まで『鬼』と呼ばれる片鱗さえ見ていない。


 ゆいや真由が鏡の前に行儀よく座る。今日初めて見学に来た子も数人いるようだが前で見ている。


 北村がレッスンを始める。

 バーの一番前に園香そのかが付く、その後ろに奈々、少し離れて真美が付く。このレッスンにも今日初めての体験レッスンを受けている小学生が数人入っている。

 真美はここでのレッスンは初めてだが、ずっとバレエをやっていただけある。バレエ協会の関係などで、他のバレエ教室で、いつもと違う生徒たちと一緒にレッスンを受けることもたくさんあったのだろう。

 いつもと違うレッスンを受けることにも慣れているようだ。初めての教室で、初めてのレッスンなのに、まったく躊躇することもなくレッスンについてくる。しかも、前評判通り、一つ一つのエクササイズを高いレベルでこなしていく。奈々が驚いた表情で真美を見る。


 美織みおり瑞希みずきのバーレッスンも美しい。

 園香は、すみれがきちんとレッスンをしているのを初めて見た。

 今まで青山青葉あおやまあおばバレエ団ではバレエ団の最高位クラスであるプリンシパルクラスのレッスンでさえ、体を慣らす程度にしかバーレッスンをせず、レッスンの流れと別に自分のペースでストレッチをしたり、時々、みんなと同じバーのエクササイズをしたり、普通の教室なら先生に叱られるレベルでは済まないようなレッスンの受け方をしていた。そのすみれが、花村バレエの北村のバーレッスンをきちんと受けている。

 美しい。その美しさは、まるで何か完成されたバレエ作品を見ているようだ。美織もそうであるが、足を出す位置、足を上げる高さ、そのテンポ、流れが前後左右まったく乱れず正しいバレエのポジションに、同じテンポで、レッスン曲の通り綺麗に繰り返される。顔の向き手の位置、腕が通る軌跡ポール・ド・ブラも見入ってしまうほど美しい。すべてが寸分の狂いもなく繰り返される。ルルベ・バランス(足のつま先で立ってバランスを取る)に至っては、人間業にんげんわざとは思えないほど正確にピタッとバランスを取る。曲が終わるまで微動だにせず曲と一緒に余裕を持ってかかとを下ろしポーズを終える。

 バーレッスンが一通り終わり、すみれが生徒一人一人にアドバイスしていく。由奈ゆなにも佐和にも、それ以外の生徒にも、千春さんにも気が付いたところを優しくアドバイスする。男子生徒たちにも一人一人アドバイスする。教室にいる全員に対し、よくそこまで見ていたなと思うほど細かい部分を、一般的な気を付ける点などではなく、今このレッスンで、その生徒ができてなかったポイントをアドバイスする。

センターレッスンも、美織やすみれ、瑞希は驚くほど完璧に踊る。そして、真美もアダージオ(ゆっくりした動き)からアレグロ(速い動き)のエクササイズ、細かい動きから大きな動きまで美しくこなす。

 真美も美織たちに勝るとも劣らず正確にポジションを取りながら美しく踊る。そして、アンシェヌマン(レッスンの最後にいろいろなバレエの動きテクニックを合わせて短い即興の踊りのようにした練習)でも真美は一回で覚え美しく表現する。瑞希が真美に微笑みかけながら、ここをこうしたらいいという様な話をして二人で振りを確認していた。そんな姿を見て、園香ばかりでなく教室のみんなが真美のレベルの高さに目を奪われた。園香もここの生徒の中では一番上手だと皆から言われていた。瑞希や美織、すみれからも褒められた。しかし、それは何度も練習した踊りでだ。真美は今日初めて参加して初めて踊るレッスンのパ(動き、踊り)を完璧にこなす。


 一通りレッスンが終わり園香が真美に声を掛ける。

「真美ちゃん、すごいね。東京でも思ったけど、みんなびっくりしてるよ」

「え、こいつ、本当にバレエ体験レッスン生なんか! って?」

「いやいや、もう、いいって、誰も真美ちゃんのこと初心者って思ってないから」

 すみれがやって来た。

「真美さん、どうでしたか? バレエのお稽古は?」

「や、やめてください」

 他の生徒や見学のお母さんたち、教室に笑い声が広がった。

 北村がすみれのところにやって来た。

「どうもありがとうございました」

「え? ありがとうございましたは、レッスンを受けさせてもらった私の方です」

 すみれが微笑む。北村も嬉しそうに微笑む。不安が自信に変わったようだ。

 その後、今日、本当に体験レッスン、見学に来ていた子たちも教室に入りたいと北村のところで話していた。北村は新しい入会者たちに、これからのスケジュールなどを説明していた。


 そして翌日は午前中キッズクラス、午後からオープンクラス。今日と同じだが、キッズクラスもオープンクラスも、すみれがレッスンを担当することになった。美織と瑞希がアシスタントをするという。

――――――

〇ポール・ド・ブラ

腕の運び。腕をあるポジション(位置、ポーズ)から別のポジション(位置、ポーズ)に移す、移動させること。腕の軌跡。

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