第132話 開演前

 園香そのかたちがロビーで話をしていると、バレエ雑誌やテレビなど、どこかで見たことがあるようなバレエダンサーやバレエ教師、様々な人が通り過ぎて行く。園香たちも客席の方に向かう。

 改めて観客として劇場に入ると威厳のあるホールに圧倒される。気が付くとこの大きなホールの客席が満席になっていた。園香は偶然、真美、ゆいと唯のお母さんと席が近くだった。真理子とあやめは少し離れたところに座っていた。


 園香の前の席に座っている女性数人がパンフレットを見ながら話しているのが聞こえる。

「今回、恵人けいとさんと古都ことさんが踊るんだよ。すごいね……」

「でも、私は美織みおりさんと優一さんのオデットとジークフリートが忘れられないよ」

「本当だね。なんかさあ、あの二人がこのバレエ団からいなくなったのが、まだ信じられないよ」

 そんな声が聞こえてくる。


「今度、どこかのバレエ教室の公演に、ここのバレエ団の人達がたくさん出演するらしいよ」

「知ってる。恵人さんとか瑞希みずきさん、美織さん、優一さん、他にもいろんな人が出るって噂聞いたけど……」

「私、すみれさんが出るって噂聞いたよ」

「え! それはすごいね。すみれさんが他のバレエ教室の舞台に立つなんて聞いたことないよ」

「うちのバレエ教室の人たちもたくさん見に行くらしいよ」

「私が聞いたところでは全国のいろいろな教室から注目されていて結構話題になってるって噂だよ」

「そうそう『クララ』と『金平糖の精』踊る人すごく上手らしいよ」

「すごいね。なんか、青山青葉あおやまあおばバレエ団の公演みたいだね」

「噂で聞いたキャスティングだと、こっちでもなかなか見られない構成みたいだよ」

「へえ、うちの教室なんかここの男性ゲスト一人来てもらうのも、なかなかないことなのに、女性ダンサーもたくさん出演するなんて、どうして、そんなすごい公演ができるの?」

「なんでも、そこの主催者の先生が花村真理子先生って方らしいけど、青葉あおば先生も尊敬しているすごい方らしいの。昔、ずっとこっちでいろいろな公演で主役踊ってた人らしいの」

「へえ」

青葉あおば先生と花村真理子さんっていう方が二人でオデットとか金平糖の精とかジゼルとかほとんどの作品の主役踊ってたって……」

「へえ、なんか今の古都ことさんとすみれさんの関係みたいね……」


 園香は驚いて聞いていた。唯のお母さんや真美にも聞こえていたようだ。今の話を聞いて『古都こととすみれの関係』を園香は、どうとらえていいか分からなかった。この話の輪に入れて欲しいと思った。

 古都ことは世界的なプリンシパルだ。しかし、このバレエ団において、明らかに団員全員が『おそれ』とか『こわい先輩』という接し方ではなく、すみれに対して最高の敬意をもって彼女に接している。

 実際に瑞希や美織もそうであるが、ここへ来てわずかの園香も、すみれに対して畏敬の気持ちを持っていた。そればかりではない主催者である青葉あおばや、今、目の前で噂されている園香の師である真理子さえも、すみれに一目置いている。

 古都ことという世間で広く認められている公認の世界的なバレリーナと、すみれという誰もが肌で感じる神のような存在のバレリーナの二人の関係はつかみどころがなかった。


「すみれさん、今回の舞台で退団するんだよ」

「泣くぅ、また、時々こっちの公演にも出るんでしょう」

「そう聞いてる。でも、優一さんのお姉さんでしょう、なんかよくわからないけど個人的な事情で優一さんが行ったその教室にすみれさんも行くって噂だよ」

「ええ! 私も行こうかな」


 その言葉に園香は驚いた。


「本当だよね。そこのバレエ教室、全国から生徒が殺到するかも。だって、こっちじゃバレエ団のプリンシパルだった三人だよ。そうそう、美織さんが行くっていうので瑞希さんも一緒に行ってるんだよ。」

「プリンシパルが四人もそろってるの?」

「瑞希さんは今度出場する国際コンクールまで美織さんに指導してもらうために行ってるらしいけど」

「へえ、すごいね」

「東京では、ここのバレエ学校に通っても習えないどころか、会うこともできない人達なのに、そこのバレエ教室の生徒さんたち、その四人と普通に話したり、教えてもらえるんだよ」

「本当だよね。こっちじゃ雲の上の人達で同じバレエ学校にいても会えないのに、その四人が稽古場に普通にいるって、どう?」


……


 園香はずっとその会話を聞いていた。真美も、唯のお母さんも、そして、唯も小さいながら話を聞いている。


「でも、そこの教室って、その四人も尊敬している花村先生っていう先生がいるんだよ。そこの生徒さんたちって知ってるのかな……自分たちのいる環境、目の前に現れた四人の大スターにばかり気持ちを奪われるんじゃない。本当のバレエの神様はずっと前からそばにいて、今も、今までも、ずっと……その四人も指導を仰ぐほどの先生から最高の指導を受けているのにね」


 開演を告げる場内アナウンスが流れる。


 そして、客席の照明が静かに消えた。

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