第130話 公演の朝に

 舞台に向かって行くと通路や舞台袖でストレッチをしているダンサーがいる。舞台のそでにあるピアノを誰かが弾いている。その音色が劇場中にやわらかく響き渡っている。なんて上手なんだろうと園香そのかたちは舞台に向かいながら聞き入ってしまう。


 この時間に来ているのだから、バレエ団員の朝のレッスンのために来ているピアニストだろうと思った。それにしても、素人の耳にもレッスンの時のピアノ演奏とは全く別次元の演奏のように聞こえる。

 もしかしたらオーケストラの団員ではないかと思った。弾いている曲は『白鳥の湖』の『情景』だ。


「めちゃくちゃうまいなあ」

 真美が呟く。

「え? 上手とは思うけど、やっぱり全然違う?」

「うん、うまく言えんけど、なんていうか、めちゃくちゃ繊細な弾き方してる。オーケストラの人かな。ピアノ奏者とかおらんと思うけど……」

 園香には上手な演奏ぐらいしかわからないが、真美にはまったく別のものが聞こえているらしい。


「一人で弾いてないみたい」

 ゆいが微笑みながら言う。


 驚いた表情で真美が唯を見る。

「え? そう、唯ちゃんも、そう思う? なんていうか繊細なところと迫力のあるところを、こんなに弾き分けれるんやって……あと、この曲って、こんな曲やったんやって改めて気付かされる感じやな」

 呟く真美。その横で唯が微笑む。


「唯ちゃん、唯ちゃんは本当にすごい耳持ってるね」

 真美が唯の頭を撫でる。


 一緒にいた瑞希みずきが呟く様に言う。

「これ、たぶん、すみれさんだよ」


「え?」

 驚いた表情で瑞希を見る真美。


 舞台袖ぶたいそでに立った園香と真美、唯と唯のお母さんの四人は、グランドピアノを演奏するすみれの姿に言葉を失って見惚みとれてしまった。


「すみれさん……」

 園香が呆然ぼうぜんと立ち尽くす。


「この演奏……すみれさんって、どんだけ、すごいん」

 真美もその光景に心を奪われる。


「おはよう。彼女ピアノコンクールに出ても入賞できるレベルだよ」

 そう言ってオーケストラ指揮者の恵那えなが微笑みながら通り過ぎて行った。


「おはようございます」

 園香と真美が慌てて恵那えなに挨拶する。


 その後、集合時間まで、すみれは『白鳥の湖』の曲を何曲かピアノで演奏した。


 少しして美織みおりが舞台袖に来たので、園香は聞くともなしに、すみれが今後どうするのか聞いてみたが「すぐにわかるよ」とはぐらかされた。

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