第129話 希望ふたたび

 青山青葉あおやまあおばバレエ団公演『白鳥の湖』第一日目。その日の朝、園香そのかと真美、瑞希みずきたちは主役を務める恵人けいとと一緒に劇場に着く。恵人はこの大舞台にも慣れた様子であまり緊張しているように見えなかった。

 それもそうだ、バレエ団のプリンシパルだ。プリンシパルとして初めての舞台でもない。園香はそばで見ていて、十二月には、こんなすごい人と『くるみ割り人形』を踊るのかと改めて自分の方が緊張してしまった。


 もう美織みおりとすみれは劇場のロビーにいた。真理子とあやめも一緒にいて何か和気藹々と話をしている。


 そこへ、この早い時間に、もうゆいと唯のお母さんがやって来た。唯はいつもの笑顔でやってくる。

 驚いた表情で美織とすみれが二人を見る。


「おはようございます」

 少し申し訳なさそうに唯のお母さんが挨拶する。


 美織とすみれが挨拶を返す。

「おはようございます。早いですね」


「先生おはようございます」

 唯が元気に挨拶する。


「こんなに早く、こんな大事な日に申し訳ないんですが……あのう、少しお聞きしたいことがあるのですが……」

 唯のお母さんが深刻な表情で、すみれと美織に話しかけてきた。

 二人は何かを感じ取ったように顔を見合わせた。

 すみれが優しい表情で、

「いいですよ。気になさらなくても……」


 美織が唯を抱っこして優しく話しかける。

「唯ちゃん、早いね。ちょっと美織先生とお話していようか、昨日は疲れてなかった?」

「うん」

 唯が微笑む。


 すみれが唯のお母さんと二人で少し離れたところで何か話し始めた。すみれも美織から唯のお母さんが、唯のことでいろいろ悩んでいるというのは聞いていた。


 園香たちも気になったが、唯のことを話しているのだろう思い、二人の様子を遠くから眺めていた。


 すみれと唯のお母さんは唯の前で話さないようにと気を遣っているのか、こちらを意識していないように、さりげない感じで話している。園香たちにも何を話しているか聞こえなかった。

 二人で微笑んで少し話したかと思うと、唯のお母さんの驚いたような表情をした後、すみれに深々と頭を下げた。すみれは優しい笑顔で頷いた。

 そして、二人は皆のところに帰ってきた。


 唯のお母さんは悩んでいたことがすっきりしたような晴れやかな表情だった。気になったが唯のことを話していたのだろうと、園香も真美も聞かなかった。


 その後、皆で控え室に一緒に行くことになった。

 瑞希が「ここに荷物を置いといていい」と楽屋の一室の隅の方に荷物を置かせてくれた。


「ここ、誰の楽屋なんですか?」

 真美が申し訳なさそうに聞く。

「瑞希さんの楽屋なんですか?」

 園香が聞くと、瑞希が自分のバッグを部屋の隅に置きながら、

「出演者でもないのに、私の楽屋があるわけないでしょ。青葉あおば先生の楽屋よ」

 微笑みながら振り返る。


 一瞬間があって皆が顔を見合わせる。

「え! そんなとこ使えません」


「今日は舞台本番なの。その辺の通路なんかに適当に置かれる方が邪魔なの。先生の楽屋に美織さんたちも置いてあるから」

 いつも美織が稽古場に持って来ている見覚えのあるバッグが置いてある。真理子とあやめも荷物を置かせてもらっているようだ。


「本当にいいんですか?」

「いいのいいの。青葉先生が『使ってもらっていい』って言ってたんだから」


 そこに青葉がやって来た。

「おはようございます」

 慌てて園香と真美が挨拶する。いつものよう元気に挨拶する唯。丁寧に挨拶する唯のお母さん。


「おはよう唯ちゃん。おはようございます皆さん。あ、お母さんもお荷物があったら、ここに置いてもらっていいですよ。ここ誰も着替えたり、メイクしたりしないから、ノックするぐらいで自由に入ってもらっていいから」


 瑞希が言葉を添える様に、

「誰か、団員とかスタッフの人が来て先生と話してるときは、声を掛けて入る感じでいいと思います」

 皆で青葉にお礼を言って部屋を出る。


 瑞希が舞台の方に行ってみようという。まだ早い時間で団員やスタッフもまばらだ。集合時間まで時間がある。

 園香たちが舞台に向かっていると、今、劇場に入って来る団員やスタッフもいる。


 舞台の方から、やさしく美しいピアノの音色が聞こえてくる。

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