第128話 迷いと驚き

 ゆいのお母さんはこの数日間の出来事でいろいろ迷うことがあった。美織みおりから唯のことはきちんと見てあげますと言われた。唯が自分で将来のことを決められるようになってからでも間に合うように基礎をしっかり鍛えましょうとも言われた。

 しかし、今日、青葉あおばから言われた「いつかバレエ団でオデット姫を……」という言葉で、一刻も早く青山青葉あおやまあおばバレエ学校の門を叩かなければならないのではないかと思った。美織には申し訳ないが、すみれも唯を見てくれると確信していた。


 先程まで嬉しそうにパンフレットを見ながら「ママ、すみれ先生でてるよ」などと言っていた唯はさすがに今日一日のゲネプロに疲れたのだろう、いつの間にか眠ってしまっている。

 唯をきちんとベッドに寝かせパンフレットを眺める様に見る。プリンシパルの写真が並んでいる。


「え!」

 思わず大きな声を出してしまった。

 唯が一瞬目を覚ましたようだが、また、眠ってしまった。


 もう一度パンフレットを見返す。最初の方のページに青山青葉あおやまあおばの写真と一緒に挨拶の言葉がつづられていた。その中の一文に目が留まった。


「今回の公演を最後にバレエ団プリンシパル久宝くぼうすみれが退団します……」


 内容としては、この公演が青山青葉あおやまあおばバレエ団の大きな一つの転機になるということが書かれていた。

 長年バレエ団でプリンシパルを務めてきた京野美織きょうのみおり久宝優一くぼうゆういちが退団して最初の公演であり、今回の公演を最後に久宝くぼうすみれが退団する。


 これは青山青葉バレエ団のファンでもある唯のお母さんには大きなショックだった。すみれと美織は多くのバレエ団ファンにとって、このバレエ団の顔ともいうべき存在だ。


 何か大きな目標を見失ったような気がした。


◇◇◇◇◇◇


 同じ頃、瑞希みずきの家で、園香そのかと真美がこれに気付いて動揺が隠せなかった。

「瑞希さん知ってたんですか?」


 園香と真美の言葉に頷く瑞希みずき恵人けいとも二人の動揺を察したかのように、

「まあ、すみれさんバレエをやめるわけじゃないし、また、バレエ団にはゲストとか、そういう形で来てくれると思うから」


「どうするんですか、すみれさん、これから」


「それは、ちょっと」

 瑞希も恵人も黙り込む。


「なんか知ってるんですか? これから、どうされるか」

「うん、それについては思うところがあるみたいだけど、まだ、確定じゃないから、いろいろ騒ぎになってもいけないから、ちょっと、ごめん、まだ言えないんだ」


「え、でも、別に私たちテレビとか雑誌とかマスコミの人じゃないから、知っても別に……ねえ」

 園香が真美の顔を見る。


「うん、そうだね。でもまあ、すぐわかるから、ちょっと待ってよ。あんまり言うと美織みおりさんに叱られるかもしれないから」

 瑞希がどうしても言えないという口振りで恵人の方に視線を向ける。


「え? なんで、すみれさんのことで美織さんに叱られるんですか?」

 真美が不思議そうな顔をする。


「え、ほら『まあ! あなたはなんてお喋りなんでしょう!』とかさあ」


「なんですか、それ」


「美織さんは知ってるんですか?」


「うん、まあ、確定ではないから、すみれさんが、どう考えてるかを知ってるって感じかな」


「ふーん、別に言ってくれてもいい気もするけど、まあ、このパンフレットくれてるんだから、明日、美織さんに聞いてみるのは別にいいですよね」

「うん、いいんじゃない」


「海外に行くとか……ですか」

 園香が呟く。


「でも、ついこの前私たちの踊り見てくれるって、園ちゃんの『金平糖』だって見てくれるんでしょう」

「そうだ。そう言ってくれた。じゃあ、どういうことだろう? バレエ団の人は知ってるんですか?」


 園香の言葉に恵人が頷きながら答える。

「もちろん知ってるよ。こんなサプライズ公演直前に伝えられたら、それこそ団員全員が動揺するでしょう。あ、その、やめることを知ってるってことだよ。これからのことは、まだ、すみれさん、たぶん誰にも言ってないと思うから」


 結局「まだ、はっきり決まってないから言えない」の一点張りで、瑞希も恵人も言ってくれなかった。

 園香と真美が「決まってないという前提でいいから」と言っても「それでも言えない」という。


 余計に気になる二人だった。

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