第125話 エトワール

 客席から指示を出しながら舞台照明のスタッフ青野あおのが最終チェックをしている。

 オーケストラピットには指揮者の恵那えなと新高輪フィルハーモニーのオーケストラの団員が準備している。

 園香そのかは、もう一度客席全体を見渡した。なんて大きいホールなんだろう客席は五階ぐらいまである。二階から五階までの客席は、それぞれ、この劇場全体を包みこむように左右の壁にもバルコニー席がある。この劇場の舞台に立ったら一体客席はどんな風に見えるんだろう。

 そんなことを考えていたら、照明の青野が園香たちのところにやって来た。


「すみません。照明の光の具合を見たいんで、ちょっと、みなさん、舞台に立ってみてくれませんか?」

「え、舞台にですか」

「いいんですか」

「ええ、みなさん六人」


 園香たちは顔を見合わせた。

「いいのかな」

 真美が呟く様に言う。

「いいですよ」

 青野が微笑みながら言う。

「え、私もいいんですか?」

 ゆいのお母さんが言う。

「いいですよ」

 もう一度、青野が微笑む。

「じゃあ、行ってみましょうか」

 真理子がみんなに言う。

「ここって、どこから舞台に行くんですか?」

 不安そうに言う唯のお母さんに、真理子が慣れたように、

「こっちですよ」

 と案内する。

 オーケストラピットでは、恵那が指揮し『白鳥の湖』第二幕『情景』が演奏される。幻想的な曲が劇場を包む。

 舞台のそでに向かう六人を、まるで『白鳥の湖』にいざなう様に美しい曲が流れる。舞台のそでで数人のスタッフが何かの準備をしている。

 ここまで来て、やはり舞台に立つのは何か気が引けてしまう。そで美織みおりとすみれが話をしていた。

「どうぞ、舞台へ」

 と二人が微笑みながら促す。


 ここが夢にまで見たバレエフェスティバルも上演される劇場。オーケストラは先ほどまでの演奏が終わり、まるで次の出演者の登場を待っているかのような静寂が漂っている。

 六人は、その舞台の中央までゆっくり歩いていく。

 広い……

 足が震える……園香は緊張した。

 舞台の中央まで行き、客席の方を向く。


 すごい……言葉を失った……


 まるで円筒形の荘厳な建築物の谷間にいるような空間。

 舞台の上から見た客席……そこには想像を遥かに超えた巨大な芸術作品を思わせる美しい景観が広がっていた。

 それは今まで長年舞台に立ってきた園香や真美、あやめも見たことがない景色だった。

 舞台の前に『客席』が並んでいるという感覚ではなく、格調高い歴史ある芸術作品の中に立っている感覚。


 先程の照明スタッフ青野が客席の方から、もう少し舞台の奥に立つように手で合図を送った。六人はその場所に立つ。


 真理子が五人に言う。

「ここがどういう場所かわかる?」


 小さなゆいが微笑みながら手をあげていう。

「オデット姫が踊り始めるところ」


 オーケストラの恵那がその言葉に合わせるかのように、第二幕のオデットのヴァリエーションの曲を演奏し始める。

 美しくやさしい曲が劇場を包む。


「この場所で、この曲を聴けるのはバレエ団の頂点に立つ人だけ……」

 真理子が客席を見つめる様に言う。

 その言葉に涙を浮かべるあやめと真美。

 いつもきらきらした表情で笑顔を見せる唯も、この場所と、この曲に涙を見せた。

 唯のお母さんはハンカチで目元を抑えながら、それでも、この景観を目に焼き付けようと客席を見つめていた。

 園香も感動のあまり溢れる涙を抑えられなかった。

 隣で客席を見つめる真理子。その真理子の表情が、なぜか遠い過去を思い出しているように思えた。


 園香は思った。

 真理子先生は、この場所を知っている……ここに立つのは、初めてじゃない……それが確信できる何かを感じた。


 六人は夢のようなひとときを過ごした。

 曲が終わり、照明のスタッフ青野が微笑んでOKの合図を送った。

 唯のお母さんがカメラを持ちだすと、青野が微笑みながら頷いて、もう一度OKの合図をする。

 舞台の上で記念撮影をさせてもらった。


 舞台のそでに帰ってくると美織みおりとすみれが迎えてくれた。


 美織が微笑みながらいう。

「真理子先生に教えて頂いたと思うけど、この劇場のあの場所で、あの曲を聴ける人は、バレエ団の頂点に立つ人よ。有名なオペラ座バレエ団で、その人たちのことを何というか知ってる?」

 顔を見合わせる園香たち……


 すみれがまっすぐ六人を見つめていう。


「エトワール」

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