第110話 青山青葉バレエ団 唯とすみれ キャンディボンボン
その後、少し、すみれと真理子が二人で何か話していた。
なんだろう?
「それじゃあ。
と唯に声を掛ける。
唯がニコニコしながら大きく頷く。すみれが微笑みながら
「美織先生がちょうど来たからジゴーニュおばさんと一緒に踊ろうか」
唯が美織に微笑む。美織も唯に微笑み唯の頭を撫でる。
すみれが唯を稽古場の中ほどに連れて行く。
「唯ちゃん『キャンディ』は大勢で踊るのかな?」
「うん、キッズクラスのお友達とお姉さんたちと一緒に踊るの」
「そう、今日は唯ちゃん一人だけど自分の踊る場所はわかるかな」
「うん。唯はね。小さいから端っこなの。端っこの、後ろ。ここで踊る」
「そう、美織先生と二人だけでも大丈夫?」
「うん」
すみれが美織に目を向ける。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
美織が応える。
たくさんの人数で踊る踊りを、自分の立ち位置まで考えながら、一人で踊るというのはなかなか難しい。
真理子もあやめも不安そうに唯を見つめる。花村バレエの公演『くるみ割り人形』の出演者の中でも、唯は一番年下だ。
たくさんいるお姉さんたちの中で唯はセンターで踊る生徒ではない。
この何もない稽古場の空間の中、隣で一緒に踊る生徒もいない状況で、きちんと自分の立ち位置を取って踊れるのだろうか……踊りの中で移動もある……
かといって、小さな唯に、今から
周りで見ている者は不安が募るばかりだったが、
◇◇◇◇◇◇
花村バレエの今回の振り付けで『キャンディボンボン』の踊りは曲の最初から舞台に立っているわけではない。
曲の途中で舞台の
曲の導入部分の二小節を聞いた後、三小節目に、一組目のグループ、唯より少し年上のお姉さんたちが登場する。
そして、一組目のグループが八小節踊ったところで、唯たち二組目のグループが合流する形で登場する。
他の生徒たちがいればタイミングも取りやすいが、周りに誰もいない中で自分の出番で踊り始めるのは三歳の唯には難しいと誰もが思った。
すみれが美織に言った。
「少し、あの子のことを見てみたいから『
美織は頷いた。
◇◇◇◇◇◇
「じゃあ、やってみようね」
すみれが曲を流す。
『くるみ割り人形』第二幕 キャンディボンボン
美織は一緒にジゴーニュおばさんを踊りながら、唯が不安な状況に陥れば、すぐに助けてあげる自信はあった。
曲が流れ始めた。誰も一緒に踊る子はいない。稽古場に曲だけが流れる。
唯は笑顔で曲を聴いている。
すみれも美織も唯の方に視線を向けない。唯が周りを見て気が散ってはいけないと思った。
唯は稽古場の横(舞台の
……六小節目、七小節目、八小節目……
曲の導入部分から数えて……
十一小節目。
唯がスキップをしながら、小さな手を大きく広げて笑顔で出て来た。
ジゴーニュおばさん役の美織が笑顔で応えるように出てくる。
ルエルやディディエたちも信じられないという表情で唯を見て微笑む。
その後も、唯は、まだまだ、手や足の正確なポジションは取れてないながらも元気よく踊る。唯のあどけなさとバレエの基本ポジションを意識した踊りは、周りにいるプロのダンサーを納得させる踊りだった。
踊り終わって、美織と一緒にルベランス(お辞儀)をする。稽古場にいた全員が温かく大きな拍手をしてくれた。
唯は嬉しそうにお母さんの方を見る。
すみれが抱きしめてくれた。
「すごい! うん、注意することはないよ。」
そう言った後、すみれは唯の頭を撫でて、
「でも、ちょっとだけ、お姉さんも、この踊り踊りたくなったから踊ってみるね。ちょっと前で座って見ててくれるかな」
大きく頷いて、唯が鏡の前に座る。
すみれが美織に目配せして言う。
「ジゴーニュおばさん、もう一回お願い」
「はい」
美織が微笑む。曲をかけて、すみれが踊る。
『キャンディーボンボン』
この踊りをプリンシパルすみれが踊る。全員が注目した。
唯は目を輝かせて見ている。
スキップの軽やかさ、曲の取り方、少し首を傾げるような仕草をしたときの、首の傾け方、手の位置、細かい所作……子供っぽさ、あどけなさ、純粋さ、あらゆる輝きを秘めている。
ジゴーニュおばさんの美織との掛け合いも自然だ。
唯の表情がいつしか、幼いきらきらした笑顔から、真剣な表情に変わっていた。
すみれからのメッセージを幼いながら、まっすぐ受け止めているように見えた。
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