第107話 青山青葉バレエ団 プリンシパルとのレッスン(一)

「おはようございます」


 真理子がやさしくゆいと唯のお母さんに声を掛ける。

 状況が呑み込めていない唯のお母さん。


 唯は元気に、

「真理子先生、あやめ先生、おはようございます」

と大きな声で挨拶をして、普段、花村バレエで稽古前にするルベランス(お辞儀)をする。

 稽古場のほかのダンサー達から笑みがこぼれる。


 唯のお母さんはあまりの展開に言葉を失った。


 少しして、すみれがレオタード姿で稽古場に現れた。

 床に座ってストレッチをしている園香そのか真美まみの前に来る。慌てて立ち上がろうとする二人に、

「いいから続けて」

と言う。

 足を開脚して体を前に倒すストレッチをしていた園香。すみれが後ろから骨盤のすぐ上あたりに手を添えて押す。

「痛たたたたた」

大袈裟おおげさね。硬いよ」

 同じようにストレッチをしていた真美に、

「ポワント(足首からつま先までまっすぐ伸ばせ)」

と一言いう。そして、真美のひざを左手で押さえ、右手でつま先が床に着くように押す。

「痛ぁ―――い」

ひざを曲げない! あんたち、うるさいよ」

 すみれは二人に微笑んで、

「ストレッチ……あなたたち、もっと綺麗になるから……ね。二人とも見てあげるから、ついてきなさい」

と、その時、唯がニコニコしながら二人の横に座り、

「私もできる」

と言って真似まねする。


 開脚して、ペタッと前に上体を付けた。足のつま先を天井の方に向けたまま、おなかがまったく浮かないようにペタッと上体を前の床につけた。


 すみれが唯に視線を向けた。ゆっくり近づき唯の足先に、やさしく触れる。

「このまま、おひざを曲げずに足先を伸ばしてみようか」

 唯がゆっくり足先を伸ばすひざを伸ばしたまま、足首のこうがしなるようなラインを取り、つま先が床につく寸前まで美しい線を描く。

「フーッ」

 後ろから見ていたルエルやディディエ、ラクロワたちが感嘆の溜息を漏らした。

 すみれが呟く。

「この子、小さいとはいえ完璧なアンディオールと張り出した足の甲……」

 チラッとお母さんの方に目を移した。緊張して背筋を伸ばす唯のお母さん。

 すみれは、一瞬にしてお母さんの頭のてっぺんから足先まで見渡したようだった。そして、もう一度、唯の方に向き直り、微笑みを浮かべて唯の頭を撫でる。

「いくつ?」

「唯はもうすぐ四つになるの」

「そう、お姉さんと一緒にお稽古しようか」

 笑顔で頷く唯。唯が美織みおりの方を向く。

 美織も唯に微笑む。

「よかったね」

「美織先生と一緒?」

 すみれが美織に目配せし、

「今日はお姉さんと一緒に踊ろう」

「お姉さんは誰?」

「すみれよ」

「すみれ先生?」

 すみれがやさしく頷く。

「お母さん、唯ちゃん、お稽古、いいですか?」

「え、あ、はい」


 すみれが後ろの隅の方のバーに唯を連れて行く。唯は稽古ができるとわかり喜んでついていく。

「お姉さんのところで、みんなのすることを見ながらやってみようね」


 すみれが園香と真美を呼び、唯の前に付く様に言う。園香と真美の前には恵人けいとや優一たち男性陣とルエル、古都ことが並ぶ。


 中央のバーには団員が並び、あやめもそれについて並んだ。そして、その日も中央のバーの先頭には美織みおり瑞希みずき


 ここのトップが美織と瑞希という並びだと唯のお母さんにも、はっきりわかった。


 鏡の前の椅子に真理子、衣装の由香、唯のお母さんが並んで座って見る形になった。


 ピアノの桐原きりはらという女性がゆっくりした曲を弾き始め、バーを使ってのストレッチから、プリエ、タンデュ……とバーレッスンが始まる。


 鏡の前で平原というバレエ教師が指導する。バレエ教師として前に立っているが、彼女も、ここにいる他の団員と同様、現役のプリンシパルダンサーだ。年齢はすみれと同じくらいの女性だ。

 前で、平原が順番を言うとき、皆ほとんど聞いてないような感じで、各自ストレッチをしながら聞き流しているのだが、曲が始まると全員一糸乱れず、きちんと同じ動きでそろえる。


 このクラスのバーは小さな唯には少し高い。みんなの後ろで壁に手を添えるようにして見様見真似みようみまねで一生懸命頑張っている姿に、皆から微笑みがこぼれる。

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