第101話 青山青葉バレエ団 レッスン(三)

 園香そのかのところに、すみれがやってくる。三曲踊って、まったく息が上がっていない。


「『金平糖の精』いける?」

「はい」

 緊張する。鏡の前に青葉あおばと真理子が座っている。そして、その隣には古都ことが立っている。

 さらに稽古場の横のバーにもたれるようにロレンスとラクロワが立って見ている。

 床に座ってストレッチをしていた真美も思わず立ち上がって姿勢を正す。


「失礼します」

 稽古場の扉が開いて衣装の由香が入って来た。

「おお!」

 由香は稽古場の光景に驚いたようだった。ここの稽古場で世界トップのバレエダンサー、バレリーナが踊る姿を見ることには然程さほど驚かない。

 驚いたのは、このダンサーたちの中で、園香そのかが踊ろうとしていたことだった。用があって来たに違いなかったが由香も立ち止まった。

 すみれがデッキにつき曲を探す。

 緊張する……園香は思った。

 しかし、考えてみれば、何度も何度も、美織みおり瑞希みずき、優一に見てもらったヴァリエーションだ。完璧ではないまでも、箸にも棒にも掛からないとは思えない。


 すみれがこっちを向く。曲の準備ができたようだ。


「大丈夫?」

 すみれが確認する。

「はい」

「OK」


 曲が入る。

 曲と同時に舞台に歩いて入ってくるように登場して踊り始める。

 今まで注意されたことをすべて意識して丁寧に踊る。ポジション、体の向き、音の取り方。

 表現、表現、表現……自分に言い聞かせながら踊る。

 すみれの視線が気になる。何かこっちを向いてないような気がする。

 見てくれてないのだろうか……最初の数秒を見て、見るに値しないと評価したのだろうか……緊張が不安に変わる。

 真美の目線が、青葉あおばの、真理子の目線が刺すようにさえ感じる。

すべて踊り終えてポーズ……

 周りにいたロレンスとラクロワが微笑みながら拍手を送ってくれた。

 すみれさんは、きちんと見ていてくれたのだろうか……

 うつむき加減に何か考えるような様子でデッキの前にいた、すみれが顔を上げるようにして、


「いいよ」

 と言う。

「いいよ。よく練習できてる」

 そう言って微笑んでくれた。

 そして、園香に鏡の前に立てというように右手で促した。

「え?」

 すみれはポーズを変えずに園香を見つめる。

「は、はい」

 園香は促された通り、鏡の前に行く。

 すみれはもう一度曲を準備しながら、

「園香さん、あなた、今まで、美織みおりたちに見てもらっていたのよね」

「はい」

 何を言われるのか緊張が走る。


 スッと振り返りながら、すみれが言う。


「これからは私が見ます」


「は、はい」


「よく、ここまで仕上げてもらっているわ。真理子先生やあやめ先生、それから、美織みおりたちに感謝しなさい。これからは、私が見れる時は、私が見ます。私がいないときは今まで通り美織たちに見てもらいなさい」

「はい」


 すみれは自分で曲をかけ、


くるみ割り人形『金平糖の精』のヴァリエーションを踊る。


 一つ一つの動きがすべて曲のリズムを取っているかのようにピタッと音に合っている。ポジション、足を上げた時の高さ、腕の位置。そして、顔の向き。

 すべてがまるで今まで見てきた『金平糖の精』と別物の様に美しい。

 上品で優しく、どの動き、止まった時のポーズも、一番美しい位置を正確に取っているように思えた。

 最後の瞬間まで息をするのも忘れて見入っていた。

 園香と真美だけでなく、稽古場にいた全員が気付くと拍手を送っていた。

 ポーズの後、スッと横目で流すように園香の方を見る。


「最初からさらいましょう」

 そう言って、曲の最初から振りを丁寧に説明しながら教えてくれた。足を上げる高さ、腕の位置、体の向きなど、どうしたら気品のある表現ができるのか、雑にならず、かといって小さくまとめるような表現にならないように……

 丁寧に、繊細にアドバイスしてくれる……

 見てくれていたのか……出来が悪かったので機嫌が悪いのか……と不安に思ったが、驚くほど細かいところまで、園香の踊りを見てくれていた。


 彼女のことを『鬼のような人』などという噂も聞いていたが、瑞希みずきと同様、園香も完全にすみれのとりこになってしまった。


 ちょうど、美織と優一、ルエルとディディエが帰って来た。


 そして、最後にもう一度、曲で踊る。

 踊り終わり、美織が驚いて声を掛ける。

「おお! すごいじゃない。園香ちゃん。見違えるくらいよくなったわ」

「すごいな」

 優一も驚いたという風に声を掛ける。


 真美も驚いた。ほんの少し前に踊った踊りと比べても、見違えるほど踊りが変った。稽古場の全員が拍手を送った。

 すみれも頷きながら、

「また、見てあげるから」

 ちらっと真美の方に目を向け、

「あなたも、今度、見てあげるわね」

と言って歩いて行く。

「ありがとうございました」

と深々とお辞儀をする園香を背に、すみれは振り向きもせず稽古場を出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る