第72話 日常と舞台の間で 真美

 大学の掲示板の前で講義のスケジュールを確認する園香そのか。七月の初めに出席を確認される授業が休講になっているのを確認する。

 出席とレポートだけで単位が取れるかどうかが決まると言ってもいい授業だ。楽といえば楽だが欠席が命取りになる。

 丁度、園香が東京に行くとき休講になっている……ラッキーだ。後の科目は講義のノートや試験の過去問で単位は取れそうだ。


 なんとか東京に行く期間は大丈夫と思った。掲示板をチェックしていると、同じ学部の真美まみも掲示板を食い入るように見ている。


「あ、真美ちゃん」

「ああ、そのちゃん、ここ休講続くんやね」


「そうみたい。私ちょっと用事があって、丁度、休講でよかった……」

「そうなん。私も出かける用事があってんけど、よかったわ」

「そう。真美ちゃんも」

「え、園ちゃんはバレエ?」

「そうなの。東京に行く予定なの」

「え? そうなん。私も私も……」

「え、そうなの。真美ちゃんも東京に行くの?」

「うん、大阪の人は東京に行かんとでも思ってた?」

「いや、そんなことはないけど、丁度、同じときに行くんだね」


 今日はこのあと授業もないので、一緒にお茶でもということになり、大学近くの喫茶店に寄った。

 真美は東京にいる高校時代の友達に会いに行くという。

「今日もバレエの練習なん?」

「今日は休み」

「そう、実はな、この前、園ちゃんがバレエやってるって聞いて、私もまたちょっとやってみたいなって思っててん」

「いいじゃない。うちの教室に来ない?」

「舞台練習始まってるんと違うん」

「まあ、舞台練習はしてるけど、普通のレッスンは普通のレッスンでやってるよ」

「じゃあ行けるかなあ」

「大丈夫だよ」


「そうそう、バレエといえば、今度東京に会いに行く友達もあっちでバレエやっててな。その友達が『行こうと思ってたバレエの舞台見に行けんなって困ったあ……』て言うてたんよ。で、聞いたら私も見に行きたい舞台やったから、そのチケット私うてあげるわ……てなって、私、向こうでバレエの舞台見に行くことにしてん」

「え、そうなの」

 驚いた顔で真美を見る。相変わらず大阪弁でまくし立ててくるのだが、それにも段々慣れてきた。

「うん、ちょっと高かったけど有名な舞台やから見ときたくて」

「へえ、どこのバレエ見るの?」

「バレエ団とかちゃうで」

「え、じゃあ、なんなのよ。どっかのバレエ教室の発表会?」

「違う違う『高い』『有名』言うてるやん『バレエフェスティバル』いうんがあんねん」

「ええ! バレエフェスティバル行くの?」

驚いた顔で真美を見る園香。

「うん 園ちゃんもさすがに『バレエフェスティバル』は知ってるわなあ。すごいやろあれ」

「私もそれ見に行くんだよ」

「ええ? そうなん。じゃあ、向こうで会えるかなあ」


 大学では一緒に花村バレエに通う奈々以外にバレエのことをわかってくれる人はいないと思っていた。

 思わぬところにバレエを理解してくれる友達がいたことに、園香は驚きと同時に今までにない嬉しさを感じた。


 真美が思い出すように言う。

「小さい頃、一回連れてってもらったことがあって、そのときは小さかったけど、すごかったって言うのだけは覚えてんねん」

「バレエフェスティバル?」

「そうそう」

「実は私は初めて見に行くんだ」

「そうなん」

 真美はずっとバレエをやっている私が今回初めてバレエフェスティバルを見に行くということに対して、特段驚くことでもないという受け取り方だった。


「すごいで。すごすぎる人ばっかりで何人か見てるうちに、麻痺して、それがすごいのも感じんなるわ。普通レベルが全然おらんからな」

「へえ……」

「なんていうか、臨場感? 臨場感を通り越して、客席と舞台の間にスクリーンがあってテレビか映画でも見てるみたい……なんか、目の前で踊ってるのに、現実の世界と違うとこで踊ってるみたいな感じかなあ」

何かを思い出すように言う真美。


 園香は改めて真美のことを見ると、どことなく小さい頃少しだけバレエをかじっていた風には見えなくなってきた。


「ねえ、真美ちゃんって本当に小さい頃やってただけ? バレエ」


 少し間をおいて真美が言う。

「……高校二年生の春までやって、もうやめようと思ったの」

「え、つい最近じゃない。なんで? なんでやめようと思ったの?」

「まあ、才能ないからな」

「才能って」

「関西のコンクールに出てたんやけど、上位入賞もできてなかったし、普通に大学行こうって思って」

「そうなの、でも高校二年生でコンクール出てたんだ。すごいじゃない」


 高校生でコンクールに出場するというだけでもすごいと思った。

 小さい頃、親や先生に「出てみなさい」と言われて出るのとは違う。高校生ともなれば自分で出たいという思いを持って出場したのだ。


 微笑む真美。

「ありがとう。今度、園ちゃんの行ってる教室行くよ。バレエはもうやめたって思ってたけど、園ちゃんに会えて、また、やってみようと思えたよ」


 園香も微笑む。フッと窓の外を見る様にして真美が言う。


「でも……コンクール、上位入賞はしてないけど……私、たぶん普通の子よりはだいぶ上手うまいで」

そう言って、もう一度園香の方を見て微笑む。


 アイスコーヒーを飲み店を出る。梅雨はもう明けたのだろうか、今年の夏は例年に比べるとそれほど暑くない気がするが、それでも日差しが強い。


「あ、そうだ、真美ちゃん、何踊ってたの? コンクール」


「……エスメラルダ」

「え?」

「タンバリンのやつ」


「す……すごいじゃない」

驚く園香。

 微笑んで園香の方を見る真美。


――――――

『エスメラルダ』について

 バレエ『エスメラルダ』という作品で主人公エスメラルダがタンバリンを持って踊る『エスメラルダのヴァリエーション』という踊りと、同じバレエ『エスメラルダ』という作品のなかに『ダイアナとアクティオン』という踊りがあり『ダイアナのヴァリエーション』というものがある。

 この両方の踊りを、どちらも『エスメラルダ』という人がいる。

 ちなみに『ダイアナのヴァリエーション』だけでなく『ダイアナとアクティオン』のパ・ド・ドゥ全部を『エスメラルダ』という人もいる。

――――――

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