第69話 くるみ割り人形 第二幕(十三)あし笛の踊り(フランスの踊り)

あし笛の踊り(フランスの踊り)

松井佐和まついさわ 森岡玲子もりおかれいこ 月原静つきはらしずか


 これも有名な曲だ。やわらかく優しい曲が心地よい。弦楽器の心地よいピッチカートに三本のフルートがかなでファゴットが続く。

――――――

〇ピッチカート

 ピッツィカート、ピチカート

 ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスなど弓で弦をいて演奏する楽器の弦を指ではじいて奏法そうほう

――――――


 ここでお菓子についてであるが、一つ前に踊られる『トレパック』は大麦糖といわれるお菓子を、そして、この『あし笛の踊り』はミルリトン(アーモンドクリーム)を表現しているという。これらのお菓子については諸説あるようだ。

 ミルリトンはフランスのノルマンディ地方のタルトという説が多い。この後に続くのは『キャンディ』『花のワルツ』で『キャンディ』は名前の通りキャンディ、そして『花のワルツ』はデコレーションケーキ……

 お菓子の名前や表現に多少の違いはあるが、第二幕はチョコレートがスペイン、コーヒーがアラビア、お茶は中国、大麦糖(トレパック)がロシア、ミルリトン(あし笛)はフランス、そしてキャンディ、デコレーションケーキ。

 チョコレートからトレパックまでは、それぞれ民族舞踊の要素が強く、あし笛はクラシックバレエを基調きちょうとした振り付けになっている。

 そして『キャンディ』も民族舞踊的要素はなく楽しい踊り『花のワルツ』もワルツ、クラシックバレエとして踊られる。


 ここに出てくるお菓子や飲み物は王侯貴族の間で貴重なものとして食べられていたものをその起源と思われる国と結び付けて踊りにしたものだ。


◇◇◇◇◇◇


 この振りは古都ことがチェックする。松井佐和が休んでいるので代役としてクララ役の由奈ゆな園香そのかに振りを覚えてもらうという。


「玲子ちゃんコロンビーヌを踊っていたね」

古都ことがやさしく話しかける。

「はい」

「頑張ろうね。月原つきはら君もきたえてあげてね」

「ええ、とんでもない」

月原静つきはらしずかが微笑みながら、

「よろしくね」

という月原つきはらは高校生で玲子とは年も近い。物静かで優しく好感が持てる。青山青葉あおやまあおばバレエ団で『あし笛の踊り』は踊った経験があるという。古都ことしずかに、

しずか君、この前の『くるみ』の舞台で『あし笛』踊ってたわよね」

「え、あ、はい」

「覚えてるよね」

「だいたい」

「だいたい? 振り付けは女性のところと、女性と男性が組んで踊るところだけでいいよね」

「え、あ、はあ、まあ」

「ん? 大丈夫?」

古都ことが不安そうな表情でしずかを見る。

「あ、大丈夫です」

しずか古都ことと玲子の方を見て言う。

「じゃあ、玲子ちゃんしずか君の右に立って、由奈ゆなちゃんが左。園香そのかちゃんは私の左ね。由奈ちゃんと園香ちゃんには佐和ちゃんっていう子の踊りを覚えてもらうわね」

そう言って振付を始める。

「三人並んで体の前で手をつなぐの。真ん中のしずか君は手を斜め下に伸ばしてひろげる。玲子ちゃんは右手、ひじを張るようにして体の正面でしずか君の左手をつなぐ。左手はまっすぐ斜め下、しずか君の腕の上を通してしずか君の正面で佐和ちゃん、今は由奈ちゃんね。由奈ちゃんと右手をつなぐ。そう、由奈ちゃんはしずか君の左手を自分の右手でつなぐ」


 三人が手をつないでみる。

「そうそう。手はできるだけひろげて。両端の女の子は二人ともチュチュ着てるんだよ。スカートの分を考えてね」


 プレパレーション(踊りに入る前の準備)から息が合わないとお互いに引っ張り合って踊りの邪魔をすることになる。

 上奥かみおくから下前しもまえに、ソテ・アラベスクから一歩踏み出してピケ・アラベスク……しずかが真ん中でサポートする形で両端の二人がしずかの手を取ってアラベスクでバランス。二人の距離がずれたり、バランスを崩すと真ん中のしずかを引っ張って三人が総崩れになる。

 このような手をつないで踊る踊りは有名な『白鳥の湖』の『四羽の白鳥』などもそうだが一人一人がお互いの距離を均等に取り、責任をもって自分の踊りを踊ることが重要になる。

 同じ振りを下奥しもおくから上前かみまえに繰り返す。そのあと玲子がアチチュードバランスでプロムナード。

――――――

〇プロムナード

 女性がポワントで立って(トゥシューズのつま先で立って)ポーズを取った状態で、男性がサポートに入り女性をそのポーズのまま回すよう女性の周りを一周まわる。

――――――


 アチチュードに入った瞬間、しずかが寸分の狂いもなく玲子のバランスの位置でサポートに入る。まったく軸がずれずにプロムナードに入る。一周する間もまったく不安なところがない。

 玲子は発表会で一度『白鳥の湖』のパ・ド・トロワを踊ったことがあるが、まだ、あまり男性のパートナーと踊ったことがなかった。しかし、そんな玲子でもしずかのサポートが上手だということはわかった。

 隣で見ていた園香にもしずかのサポートのレベルの高さがわかった。

 今まで青山青葉あおやまあおばバレエ団のゲストを見てきて本当に痛切に思うのは、個人の踊りの技術も凄いが、女性と踊るときのサポートの技術がとてつもなく上手だということだ。

 園香も小さい頃からバレエをやってきて中学生、高校生とゲストの先生と踊った経験は幾度もあるが、人によっては「バランスはここ!」という感じでサポートされ、どうにも違和感を感じながら踊ったこともある。

 しかし、恵人けいとも優一もそうだが、スッと一番バランスのいいところでサポートしてくれる。

 バランスがうまく取れれば、そのままの位置でサポートに入ってくれる。

 立った瞬間、しまった、と思ったときは、しまった、が頭をよぎる瞬間に一番いいところに修正してくれる。

 しずかも既にその技量を持っている。

 なんだろう……この部分に関しては、今まで感じたことがない凄まじいレベルの高さを感じる。青山青葉あおやまあおばバレエ団の男性が徹底的に訓練されてバレエ団全体で受け継がれ持っている技術の様に感じる。


 しずかが一人で見せる場面。気品ある踊りに玲子や園香、由奈も見惚みとれてしまう。古都ことにらむようにしずかを見ている。

「カトル、上体ブレてるって! 帰って特訓ね」


――――――

〇カトル

 アントルシャ・カトル

 五番ドゥミ・プリエからまっすぐ上に跳ぶ。右足前左足後ろの五番から跳ぶとき、空中で少し足を開いて左足前右足後ろにとじる、もう一度少し足を開いて右足前左足後ろの五番に下りる。跳んでいる間、ひざ、足首はまっすぐ伸ばす。

――――――


 一通り振りが通る。

 近くにいたげんが、しずかに耳打ちするように何かアドバイスする。


 古都ことげんの方を見る。こそこそと行ってしまうげん

「じゃあ、一回曲で通してみようか」

そう言って早速曲で踊る。

 玲子も何とか必死についていった感じだった。佐和の代役で由奈と園香が一回ずつ計二回通す。


 前で見ていた古都ことが微笑みながら、

「いいんじゃない」

と言ってくれた。

古都ことしずかに微笑みながら言う。

「いいんじゃない」

「はい」

 古都こと美織みおりの方に歩いて行った。

 驚いたのは振り付けが終わったとき古都ことしずかに注意した上体がブレているというところ。言われたの聞いたので園香も意識して見ていたのだが、まったく上体がブレていなかった。修正されていたのだ。あのたった一言、げんが耳打ちしたことで直ったのだ。

 優一や瑞希みずき恵人けいとが言っていた「げんさんは凄い」の一面を垣間見かいまみた気がした。

 園香はまだしずかとはあまり話したことがなかったが、気になったので聞いてみた。

「あのとき、なんてアドバイスされたんですか」

「え、ああ『古都ことさん、こわいな』って」

「ええ?」

「うそです、うそです」

「足で跳ぶな。上半身で引き上げる意識で跳べって。足を入れ替えることばかりに意識がいってると、上半身の意識がおろそかになるぞって」

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