第66話 くるみ割り人形 第二幕(十)コーヒー(アラビアの踊り)

コーヒー(アラビアの踊り)

花村あやめ 青葉徹あおばとおる


 ディベルティスマンの中で印象的な曲だ。うれいを含み官能的な曲と表現されることもある。チャイコフスキーがマリウス・プティパの勧めでグルジア地方(ジョージア地方)の子守唄をもとに作曲したという。

――――――

〇マリウス・プティパ

 バレエダンサー、振付家『眠れる森の美女』『ドン・キホーテ』『ラ・バヤデール』などを振り付けた。

『くるみ割り人形』はプティパが台本を担当し、レフ・イワノフが振付。

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 この『コーヒーの精』『コーヒーの踊り』がアラビアというのも王侯貴族に重宝されたコーヒーがアラビアから伝わったものとされアラビアの踊りと結びついている。


◇◇◇◇◇◇


 この踊りは『くるみ割り人形』第二幕の中では一番静かな曲になる。この曲を花村バレエのバレエ教師であり、教室のトップダンサーあやめが踊る。

 そして、一緒に踊るのは青山青葉あおやまあおばバレエ団の芸術監督でありプリンシパルダンサーでもある青山徹あおやまとおるが踊る。

 真理子が二人の踊りを見る。


 この踊りは男性が女性をリフトする振りやサポートする振りが多く、民族舞踊的な振り付けの中で難しいリフトも入ってくる。

 曲全体を通してゆっくりした踊りなので一つ一つの動きポーズがはっきりわかる。バレエを初めて見る人に対しても、まったくごまかしがかない踊り。

 アラビアの踊り独特の超絶な柔軟性を見せる振り付けもある。周りで練習をしながら見ていた生徒たちも、改めてあやめの凄さを見せられた気がした。


 普段は口で「こうしなさい」「こういう風にしなさい」と指導され実際に踊って見せてくれることがあまりないあやめ。稽古場の鏡にもたれかかるようにして、やる気なさそうに指導しているように見える彼女。


 しかし、今、青山青葉あおやまあおばバレエ団のプリンシパルとおると踊っている彼女の姿は、口だけの指導者ではない。一緒に踊っている名門バレエ団のプリンシパルをも圧倒するようなバレリーナあやめだった。

 横目で見ていた美織みおり瑞希みずき古都ことも驚いて目を丸くするように見るほどの柔軟性とテクニック。


 ゆっくりと回るターン……隣で練習していた園香そのかも、奈々も驚いた……


 なに? 今のターンは……


 初めて見た、何回転も回るターンではない。

 スピードのあるターンでもない。


 こんなことできるの?


 と思うほど、ゆっくりと回転しトゥシューズで立ったまま止まりポーズを取る。

 完全に止まっているあやめをサポートに入りリフトにつなげる。


 リフト……


 彼女がリフトされるのを見て、見ている生徒ばかりでなく、バレエ経験のない見学席のお母さんたちにもはっきりわかる……


軽い……


 とおるはプロのダンサーだ。しかし、その彼の技術を抜きにしても、おそらく誰がリフトしてもそう感じるのではないか……いや、実際の重さが、どうとかではなく、男性がまったく重さを感じていないように見える。

 そして、それはとおるの技術ではなく、彼女の技術でそう見えているのもはっきりわかった。

 古都ことが凄いという表情で首を振りながら「フーッ」と息を吐いた。美織みおり瑞希みずきも思わず拍手をする。


「すごいね。園香そのかちゃんとこの先生」


 恵人けいとの言葉に、園香そのかは口をポカンと開けて見とれていた自分に気が付いた。


 一通りアラビアの踊りを通した。


「負けないよ」

 恵人けいとの言葉に、園香そのかも彼が何を言おうとしているのか理解できた。恵人けいとが目配せするように園香そのかと奈々、のぞみを、そして、寿恵としえしずかの方を見た。

「どれか一つでもお客さんを退屈にさせるような踊りを見せたら、全部アラビアに持っていかれるよ」

全員が頷く。


「退屈な踊りしてたら、私たちが持っていくわよ」

ヴァイオリニストの彩弥さやが微笑んで言う。


「あなたたちが少しでも退屈な踊りをしたら、私たちが演奏で持っていくわよ。劇場の空気は私たちが支配するから……」

静かに微笑みながら言う彩弥。


 恵那えなが微笑みながら言う。

「彼女たちが本気の演奏をしたら……たぶん、誰も感じたことがない……空気が震える」

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