第7章 くるみ割り人形 第二幕 振付

第54話 ひとときの休息

 第一幕のリハーサルを終え、奈々と千春が園香そのかのところに来てくれた。

「園香すごかったね」

「園香ちゃんすごかったよ。恵子さんも紀子さんも園香ちゃんの踊りを見た後、泣きながら『雪の踊り』に入ったのよ」

「ええ、ありがとう」


 稽古場の時計を見ると昼の十二時前。

 向こうの方で恵人けいとが優一とげんと二人で話している。花村バレエの中学生でハレルキン、コロンビーヌ、ムーア人を踊ったいつき玲子れいこひかるはゲストダンサーののぞみしずか寿恵としえと何か踊り方のことで楽しそうに話をしている。

 寿恵としえ玲子れいこにポワントからドゥミ・ポワントへの下り方を教えている。

「アンディオール、アンディオール」

やって見せる寿恵。真剣に頷きながら聞く玲子。


 あやめと北村、秋山はとおる古都ことと話をしている。古都ことが北村と秋山に何か生徒への指導の仕方を教えているようだ。

 瑞希みずきは由香と話している。美織みおりはどういう訳かまた、キッズの小さい子たちと手遊びのようなことをしている。よくわからないが両手をじゃんけんのグーのような形にして頭に付けほおふくらませてクマの真似まねでもしているのだろうか。小さい子たちもみんな美織みおり真似まねをしてケラケラ笑っている。


 あやめがみんなに声を掛ける。

「はい、皆さんお昼にします。午後のレッスンは一時半にします。それまでにお昼を済ませてここに集まってください」


 稽古場で持って来たお弁当を食べる者。買ってきたものを食べる者。食べに行く者。青山青葉あおやまあおばバレエのダンサー、スタッフたちは喫茶エトワールに行ったようだ。


 美織みおりと優一、瑞希みずき恵人けいとは何か買ってきた物を見学スペースで食べていた。園香そのかと奈々がどうしようかという顔をしていると瑞希みずきに呼ばれた。

「園香ちゃん、奈々ちゃん、一緒に食べようよ」

「は、はい」

少し慌てる二人。

「ちょっと近くのコンビニで買ってきます」

奈々の言葉に頷く瑞希。


 園香と奈々が帰ってくると、四人が話をしながら食べていた。

「こっち、こっち」

 瑞希が呼んでくれる。美織が恵人に青山青葉バレエの公演のことを聞いていた。

「今度の『白鳥』トロワは誰がやるの?」

のぞみしずかがダブルキャストでやります。女性はダブルあやさんと寿恵としえ美樹みきです」

「ふーん、美樹か……頑張ってるね。でも、ダブルあやとトロワって緊張するんじゃない。あの男子二人」

「カアヤさんはほわっとした感じだけど、彩さんはフッと厳しくなるときあるから」

「そうだね。瑞希。ダブル彩はここにも来るかもなんだよね」

美織が瑞希に確認する。

「ええ、たぶん、人数足りてもお手伝いで来ますよ。ダブル彩と裕子ゆうこ

「あ、そうなの?」

サンドイッチを食べながら恵人けいとが言う。


 大峰彩おおみねあや川村彩あわむらあや、同じ『あや』がバレエ団の同じ世代に二人いるので、まとめて呼ぶときは『ダブルあや』個々に呼ぶときは、大峰彩おおみねあやは『あや川村彩かわむらあやの方は『川村かわむら』の『か』を頭に付けて『かあや』と呼ばれていた『あや』と『カアヤ』は瑞希の同世代で、瑞希の弟である恵人にとっては頭の上がらない先輩女子二人だった。


 瑞希が恵人に聞く。

「七月はここにはゲスト来ないの? なんか公演終わった後も、みんな何かと忙しいって聞いたけど」


 恵人が頷きながら言う。

「うん、そうみたい。七月の初めは何かとみんな忙しいみたいで……でも、みんな『バレエフェスティバル』美織さんと優一さん見に行くって」

「ありがとう」

 美織が微笑みながら言う。

「わたしたちもバレエ団公演見に行くつもりよ。そうそう、ルエルとディディエが見に行きたいって言ってたからバレエ団の山野やまのさんにチケット置いといてもらうようにお願いしてあるの、私お金はちゃんと払ってるのよ」

「え? アニエス・ルエルとローラン・ディディエ? オペラ座のエトワールじゃないですか! お金のことより、美織さんって、なんでそんな人とつながってるんですか?」


「ここにも来たいって言ってたから、ひょっとしたら来るかもだよ」

「え? ルエルとディディエですか? それ真理子先生とかあやめ先生に言っといた方がいいんじゃないですか……」

「でも、来なかったら、とんでもないオオカミ少女じゃない」

「少女?」

恵人がボソッと言う。

「なによ『オオカミおばさん』とか言うの?」

「いえいえ、とんでもない、オオカミおんな……」

「ホラー映画か!」


 恵人が思い出したように言う。

「そうそう、七月、もし誰も来れないんだったら、すみれさんが来るかもって言ってましたよ」

「……」


一緒に食事をしていた園香と奈々にも、一瞬、三人に緊張が走ったのがわかった。瑞希が優一と美織を交互に見る。


「すみれさんって誰ですか?」

恐る恐る、園香が聞いてみた。聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか……


「うん、瑞希ちゃんの憧れの人……一人は美織さん、で、もう一人……バレエ団の中には鬼みたいな人って言って恐れる人もいるけど、瑞希ちゃんは憧れてるみたい」

恵人が微笑みながら言う。咄嗟に園香は今朝のあやめとの会話を思い出した。

「鬼の神……」

「え? オオカミ?」

不思議な顔をする恵人。

「いえいえ、オオカミなんて言ってません」

慌てる園香。


 瑞希が紙パックのコーヒー牛乳を片手に美織の方を見ながら言う。

「私は……私は美織さんを尊敬してるから、だから、こっちに付いて来たんだから、美織さんが一番好きだから」


 恵人が微笑みながら、

「バレエ団に連れ戻されたりして……」

というと、瑞希が恵人をにらみ返して言う。

「な、なによ」


 美織も少し困った顔をして瑞希に言う。

「心配しなくても、もしそんなことになりそうだったら、私が何とかしてあげるよ」

「本当ですか、美織さん」

「ま、まあ、そういうときは優一がいるじゃない」

「そ、そうですよね」


 園香と奈々も美織たちの会話を聞いていて、やはり噂通り怖い先輩なのだろうかと思った。


 外へ食べに行っていた生徒が少しずつ稽古場に戻ってき始めた。

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