第53話 くるみ割り人形 第一幕(十三)通し練習(三)

〇冬の松林の場


 ここまでの騒然とした空気から一転。

 王子(恵人けいと)とクララ(由奈ゆな)の踊り。


 荘厳で美しい曲が流れ始める。初めてみる生徒たちも見学席のお母さんたちも言葉を失って見入っている。

 やさしく気品のある王子。クララ(由奈ゆな)の繊細な手先指先。非の打ちどころがないほどの美しい踊り。

 改めてこんな子が教室にいたのかと、同じ小学生ばかりでなく中学生、高校生、大人クラスのレッスン生もお母さんたちも、まるでプロのダンサーを見るような目で由奈ゆなの踊りを見た。


 その繊細で美しい踊りのまま曲のクライマックスの場面で、本当に目の前で子供から大人に変わったのかと思うほど美しい流れで由奈ゆな園香そのかが入れ替わった。


 そして、同じ振り付けで顔、腕、指先、足先までまったく同じクララであることを思わせるほどの表現。

 見ていた生徒やお母さんの中には込み上げてくる感動の涙を抑えようと思わず顔を覆う者もいたほど、美しく完成された踊りが目の前に繰り広げられた。


 小さな子供の中にも何かわからないが、目の前で起こっているあまりに美しく感動的な踊りに泣き出す子もいた。


 そして、何より誰もが思った。たった一日、昨日の夜練習しただけでこの完成度。

 どれだけ集中して厳しい練習をしたのか……昨日、稽古場から追い出されるように帰された意味も理解できた。


〇雪の場


 そして二人の踊りが終わると感動している間もないほど流れる様に『雪の場』の曲につながっていく。


 王子(恵人けいと)とクララ(園香そのか)を包むように美しいフルートの音色。


 まるで雪が舞ってきたかのように瑞希みずきが舞台に舞い出していく。続いて反対の舞台袖から寿恵としえ


◇◇◇◇◇◇


 先程、振り付けられたばかりの雪の踊り。決して簡単な踊りではない。しかも曲も長い。瑞希みずきが入ったら『そろう』と言われても、さすがに、先程振り付けられたばかりとあっては間違える生徒もいる。


 しかし、何かが違うと花村バレエのスタッフや見学者は思った。


 誰も振りや全体の流れ、段取りに戸惑ったり、迷子になる生徒がいない。

 間違いなりにも全員がお互いのダンサーを邪魔せず、きちんと動いている。曲の中で振りや構成の流れが止まらない。

 二十四人という大人数で複雑に入れ替わる構成。しかし、ダンサー同士がぶつかって止まるということがない。


 瑞希みずき寿恵としえがいるからなのだろうか?


 今まで発表会など舞台の度に、何回練習しても群舞がそろわないと注意され、なかなか踊りにならないことが多かった小学生から大人のレッスン生たち……

 普段の群舞の練習と違うのは、この二人が入っていること以外にない。

 小学生高学年から中学生、高校生、大人まで、先程、振り付けられて、まだ数回しか踊っていないのに、これだけ踊れている、動けているのが驚きだった。


 雪の二十四人が踊り終わって全員が最後の隊形を取りポーズ。


 王子(恵人)とクララ(園香)がお菓子の国に旅立っていく。


 とおるが言う。

「ここで一旦幕が下ります」


 雪を踊った二十四人。緊張からか、その場に崩れる生徒もいた。全員の緊張が解けたかと思った瞬間。


「ルベランス(お辞儀)!」

 衣装の由香がストップウォッチ片手に声を上げる。


 瑞希と寿恵が全員を横一列に並べる。

そして、少し間を置く。


「はい、もう一度、幕が上がります」

由香が言う。


 雪の二十四人がお辞儀をする。

そして、瑞希と寿恵が恵人けいとに目配せする。

 恵人が由奈ゆな園香そのかをエスコートし、雪の列の前に並びお辞儀をする。

 後ろの二十四人も三人と一緒にお辞儀をする。

 そして、恵人と由奈、園香が横に移動し雪のダンサーにルベランスを促す。

 二十四人のダンサーが一歩前に出てお辞儀をする。

 もう一度、一歩下がり、恵人たち三人が中央に出て全員でお辞儀をする。


「はい、幕が下りました。はーい、お疲れさまー。五十八分かな」

珍しく由香がみんなに声を掛ける。


「お疲れ様です。ごめんなさい最後仕切って。バレエは一曲一曲踊り終わる度にお辞儀をする作品が多いけど。この作品の第一幕は全編通してお客様にお辞儀するの今舞台に立っている、あなたたちだけなの……まあ、演出によっては、最後にいろんな人が出てくるのもあるかもしれないけど」


 誰もが由香に対しただの衣装担当者ではないと思った瞬間だった。


 やっと緊張が解け、倒れる様に座りこむ生徒たち。大人クラスの千春さんも泣きながら他のレッスン生と抱き合っている。


 キッズクラスの生徒も由奈と園香のところに駆け寄る。子供たちのお母さんも口々に素晴らしかった……感動したと言い、涙を拭いている者もいた。


◇◇◇◇◇◇


 徹が説明する。

「ここで一旦休憩が入ります」


 今日はくるみ割り人形や剣、恵人がくるみ割り人形になったとき顔につける面などはあるものとして演じていたが、次に来るときまでに青山青葉バレエ団から持ってこれるものはすべて前以って送っておくと徹が言う。

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