第47話 くるみ割り人形 第一幕(八)冬の松林の場
第一幕
冬の松林の場
クララ ・
クララ/金平糖の精 ・
王子 ・
この曲は第一幕で最も荘厳で美しい場面の一つ主役が踊る場面だ。
ねずみの王様とねずみたちと、くるみ割り人形と兵隊人形の戦いの末、くるみ割り人形たちが勝利。くるみ割り人形の魔法が解け王子の姿に戻る。
そして、この場面……
二台のハープのアルペジオ伴奏。ホルン、クラリネット、ヴァイオリンの奏でるゆっくりと壮大な空間を思わせる曲。
最初に魔法の解けた王子・
今までにない
「
今までの
「恵人、由奈ちゃんの位置、距離、踊りを感じて。目だけじゃなくて……体全身で相手を感じやさしく見るの」
恵人に対しても、いつもにない細かい注意をする美織。
恵人が由奈のサポートに入ると、今まで何も口を出していなかった
「ここだな」
頷く恵人。
「この後同じ振りが
「はい」
由奈がグリッサード、グランジュテからジャンプ。由奈を舞台中央で受け止め、自分の頭の位置までリフトする恵人。
由奈を下ろすと、由奈は腕を広げ、そのまま大きく円を描く様に舞台を回るように
それと同時にその幕の後ろから、今の由奈と同じように
まるで一瞬で子供のクララが大人になったかのように、そのまま
曲のクライマックスの音に合わせて、自分の頭の位置、一番高いところまでリフトする。
美織が園香の細かいズレも許さない腕の位置、指先を向ける方向。体の向き。顔の向き。恵人との距離。
彼女の目線がほんのわずかな角度、位置のズレも直していく。
園香の腕の位置、指先を向ける方向。体の向き。顔の向き。恵人との距離。舞台で彼女が踊る位置。
それらすべてが先程の由奈とまったく同じになるように直していく。
「由奈ちゃん幕に入るとき流れる様にスッと入っていくの。園香ちゃんはその流れを止めないようにスッと出てくる……もう一回」
「はい」「はい」
二人の真剣な返事が稽古場に響く。美織が厳しい目線で見る。
同じ振りを繰り返す。
「もう一回」
「はい」「はい」
……
「舞台を駆けるスピードが、ちょっと違う。もう一回」
……
「舞台を駆けるときの二人の腕の高さが違う」
美織が園香のところに行き腕の高さを直す。
「由奈ちゃんも、ここ。バーレッスンでやってるでしょ。腕はこの高さ」
「はい」「はい」
「もう一回」
……
「恵人、由奈ちゃんのときと園香ちゃんのときのリフトのタイミングがちょっと違う。もう一回」
「はい」
「由奈ちゃん。リフトされた時の後ろに伸ばす足まっすぐ、気を付けて。園香ちゃんがその位置に合わせるから。もう一回」
「はい」
「園香ちゃんも、そこ気を付けて。由奈ちゃんと合ってない。もう一回」
「はい」
……
美織の厳しい目線。
「もう一回」
「はい」「はい」
……
「違う。もう一回」
「はい」「はい」
……
美織が二人に真剣な表情を向け、
「由奈ちゃん、園香ちゃん。よく見ていてね……恵人も」
魔法が解けた王子優一の晴れやかでやさしい踊り。
王子になった『くるみ割り人形』と踊れるクララの嬉しさと
魔法の解けた王子と一緒に踊れる喜びを体いっぱいに表現する大人になったクララを表現する美織。
優一のサポートやリフト、二人で踊る距離感も
ドロッセルマイヤーの後ろを通り抜ける一瞬で子供のクララが大人に変わる演出を見事に踊って見せた。
由奈と園香は言葉を失った。美織が二人に言う。
「できるから。あなたたち二人なら絶対にできるから練習して。何度も、何度も」
「はい」「はい」
頷く美織。
「じゃあ、もう一回」
……
「もう一回」
……
何度も何度も繰り返す。
デッキについている
何回繰り返しただろう。何度も何度も同じ振りを繰り返し踊る。
美織の表情の中に、いつもの微笑みはない。厳しい目線でわずかな違いも注意し繰り返す。
「もう一回……」
衣装の由香も真剣な
花村バレエのスタッフも、これが主役に対する本気の指導かと思い知らされた。
……
「よくなった」
美織が二人に言う。
「よくなったよ」
美織が二人の肩をやさしく抱く。由奈も園香も初めて美織の厳しい指導を受けたと感じた。そして終わってかけてくれた優しい言葉に二人は涙がこぼれた。
「二人とも、お疲れ様。また、これからも頑張って行こうね」
美織が微笑み二人に言う。
恵人が床に倒れる様に
「疲れたぁ……」
優一が仰向けになった恵人の肩を叩く。
「お疲れ、いいじゃん」
「お疲れ様、恵人。明日もやるぞ」
笑いながら歩いて行った。
美織が微笑み由奈と園香の二人に言う。
「あなたたちも初めての主役の練習で疲れたでしょうけど……彼」
恵人の方に目を向ける。
「あ」
今日、一体何回二人をリフトしてくれただろう。二人が恵人のところに行きお礼を言う。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
恵人が仰向けになったまま二人に目を向ける。
「ハハ、お疲れ様。由奈ちゃん、園香ちゃん。こちらこそありがとう。頑張ろうね」
微笑む恵人。
「園香ちゃん」
「え」
「敬語はいいって」
「あ、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
由奈の母が恵人と美織のところに行く。
「ありがとうございました」
美織が驚いたような表情で由奈の母に言う。
「いえ、遅い時間まですみません。お母さんもお疲れ様です。これからもよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる美織。恵人も立ち上がりお辞儀をする。
青山青葉バレエ団のスタッフも全員、由奈のお母さんに頭を下げた。
あやめと真理子が由奈の母に、
「遅くまでありがとうございます。明日もまたよろしくお願いします」
そう言って頭を下げる。
時計は十一時を回っていた。
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