第46話 くるみ割り人形 第一幕(七)指揮者恵那
第一幕の冬の松林の場。
主役のみが残って振り付け。
今日のレッスンは終わりと言ったが、小さな子たちのお母さんも、生徒たちも全員が残っている。お母さんが帰らないので小さな子供たちも当然残っている。時計は夜の九時。
『くるみ割り人形』全幕バレエの中で、これから振り付けられるところは第一幕の最初のクライマックスと言ってもいい、クララのやさしい思いでくるみ割り人形の魔法が解け王子の姿に戻る。
そして王子とクララが踊る。作品の中で最もドラマティックな美しい場面である。ここをどう表現するのか、これから、まさに最高峰のバレエ団のトップの芸術監督とバレリーナが主役の三人に振り付けと演出をする。
それが今から始まる。今日の練習に参加していた全員が残っている……
「あ、そうですか……大丈夫ですか。ありがとうございます」
指揮者の
「いつも助けて頂いてありがとうございます。え……借りは返しますよ……今まで見たことのない最高の舞台で、あなたたちの声を響かせることができますよ……」
笑いながら電話を切る。
少し困ったような表情の
その時、電話から返ってきた
「皆さん明日から二日間、長丁場のお稽古が続きます。小さいお子さんは疲れるでしょう。今日はまだ練習が始まったばかりで楽しいし、気が張っているから大丈夫だけど、これから何か月もこういう練習が続き、舞台が近づく頃はもっと練習が厳しくなります」
主役たちのリハーサル前の静かな稽古場に恵那の声が響く。
「少しずつ溜まった疲れや慣れや不満が舞台の直前でピークになる。一番大事な時に……
今からのリハーサルを見たい生徒やお母さんたちはバレエに関係ない人が何を言っているのだろうと言う表情で見る。
「明日からまたたくさん練習があります。帰って明日に備えてください。小さいお子さんは……ほら、もう眠くなってる。ご飯を食べて、お風呂に入って、寝ないと……ね」
渋々、教室を出て行く見学者たち。主役の三人とスタッフだけが残った。恵那が
「
頷く由奈の母。
「由奈ちゃん主役は初めてですか?」
「はい」
頷き恵那の顔を見る由奈の母。
静かな稽古場に恵那の声が通る。
「彼女はどれだけ疲れても頑張らないといけない……出演者全員、スタッフも、そして当日観に来て下さるお客さまも……すべての人の思いを背負って舞台に立つ……由奈ちゃんと園香ちゃんは、この舞台のプリマです。これから練習が重ねられるなかで、いろんな言葉を聞くでしょう『みんなが主役』とか『頑張っているのはみんな同じ』とか……でも、間違いなく、この二人が主役で特別なんです。これから先、舞台に係わるすべての人がこの二人のために舞台を作っていると感じることがあるでしょう。周りからの羨む気持ちや妬みもあるかもしれません。その重圧に耐えるには練習です……練習です。誰よりも練習したという事実だけがそのプレッシャーを吹き飛ばす……彼女を支えてあげてください」
「はい」
と応える由奈の母。
その言葉は
「どんな形であれ……今、ここに残っている人はみんな経験しているプレッシャーだ……私も聞いたことがありますが……そんな中でも壮絶なプレッシャーと競争心……それらが生み出す
「え……」
その場に居合わせた花村バレエの誰もが驚いた表情をした。
「彼女は生まれ持った才能と身体能力ではなく、技術も表現力も……努力して手に入れた努力の天才……だから、バレエ団のみんなも彼女から学びたいんですよ」
青葉と徹が恵那のところに来る。
「恵那さんありがとう。小さいお子さんのお母さんたちに言いにくいことを言ってくださって……」
「ありがとうございます」
「いいんですよ。バレエ関係の人が言いにくいことは私たちから言いますよ。皆さんが言って関係がギクシャクしたらリハーサルの進行に係わる。私は稽古場の隅で黙っとけばいいんだから」
笑う青葉と徹。
「忙しい時にごめんなさいね」
「え」
「お電話されてて……」
「あ、いえ、あれは忙しいということではなくて、そうそう、さっきの電話、青葉さん、徹さん、花村バレエの皆さんにも朗報ですよ。オーケストラにコーラスが加わります」
「え、なんです」
「『雪の場』ですよ」
「え!」
「私たち『くるみ割り人形』抜粋で演奏するとき、あの曲はあんまりやらないんですよ。知り合いに連絡したらOKってなって」
「何人くらい来られるんですか?」
「二十四人」
「え!」
「ギャラがでないわよ」
「チケットに上乗せすればいいじゃないですか」
「売れなくなるわよ」
「冗談ですよ。そいつらも友達価格できてくれるんで、こっちの予算で何とかしますよ」
恵那が由奈と園香の方に目を向け、青葉と徹に言う。
「主役たちの踊り」
「そうね」
……
「じゃあ、始めましょうか」
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