第32話 園香と恵人 アダージオ

 恵人けいと園香そのかがフロアに出る。


 最初にフロアの中央後ろから二人で出てきて、正面前で左右に分かれ、それぞれが大きく円を描く様にフロアを歩く。

 そして、もう一度、フロアの中央奥で向かい合いお辞儀をする。

 最初のプロムナード。スッとバランスが取れた。


え? 何?


 園香は驚いた。何が違うのか分からないが絶妙の距離感。恵人の立っている位置と園香がポワントで立った位置の関係なのか、まったく軸がずれず一番バランスの取りやすい位置でプロムナードに入った。


 一周回ったあと、少し勢いをつけてそのままターンに入る恵人がウエストをサポートするのと同時に絶妙のタイミングで回転に勢いをつけてくれた。まるで自然にターンで勢いが加速した様に美しく流れるような動きだ。


 前で見ている真理子とあやめが思わず息を呑んだ。


 そして、恵人と園香が向かい合う位置、園香が客席に背を向ける向きでターンをピタッと止めた。

 恵人が園香のウエストやや背中のあたりをサポートし、そのまま園香は客席の方に体をらせる。その角度も美しい。

 決して体を反らせるポーズが得意ではない園香。それは普段のレッスンであやめやスタッフも知っていた。

 しかし、ポワントで立ったまま(つま先で立ったまま)バランスを崩さず、背を向けた状態で園香の胸から上体、顔まで客席側からはっきり見えるところまで、美しい曲線を描いてて体を反らせる。


 なに? この男性のサポートは? 明らかにサポートの技術が卓越している。バレエ団でいつも一緒に踊っているプロのバレリーナではない。初めてパートナーを組んで、今、合わせている教室の生徒をここまで美しく見せる……


 花村バレエの関係者は言葉を失った。恵人のことを、新人のお披露目の意味で青葉が連れて来た若手ダンサーかと思っていた。


 大先輩の優一や美織もいるので、新人に勉強させるため、彼らと一緒の舞台を経験させるために連れて来たのだと思っていた。

 しかし、それはとんでもない間違いだった。間違いなくバレエ団最高のプリンシパルを選んできてくれたのだと思った。


 女性がジャンプして男性の肩に乗るリフト。恵人はやさしく、

「こわがらなくていいから肩の上に座って取るポーズを確認しようか」

そう言って、まず、園香の後ろでウエストをサポートし、タイミングを合わせてスッと肩に座らせる。座ったときの足の形、腕の位置を教えてくれた。

「右腕は目線やや上遠く見る様に、左腕は横にやさしく広げる様に……」

「はい」

「そのポーズ覚えた?」

「はい」

「ジャンプしたら体を反転させるようにして園香ちゃんはそのポーズに入ることを意識して」

「はい」

「じゃあ、やってみようか。僕の近くまで、まっすぐ助走して来て、僕に背を向ける様に体を反転させながら真上にジャンプする。後はさっきのポーズに入ることだけ……いい?」


 園香は緊張していた。このリフトは初めてだ。


「離れすぎ」

恵人が笑顔で言う。

美織と瑞希がクスッと笑う。


「走り高跳びじゃないんだから、もうちょっと近くから助走するんだよ。僕の近くで真上に飛んでね」

「はい」

「大丈夫だから」


 園香が、なんとかなるだろう……そう思って恵人に向かって助走し、言われた通り体を反転……そう思うより早く恵人のサポートの右腕が園香のウエストを固定し、肩を滑り込ませるように園香を肩の上に座らせた。左手と首で園香の腰を固定する。

 まったく不安定さを感じない。この高さで余裕をもって自分のポーズに入れる。そして、ゆっくりリフトから下ろされ、もう一度反対側から同じリフトをする。


 その後のサポート、リフトも驚くほどスムーズにつながり、最後のポーズまで振りを通した。

「大丈夫そう?」

……

「?」


 恵人が園香の顔を覗き込むように、もう一度聞く。

「大丈夫そう?」

「あ、は、はい」


「そう、よかった」

何が起こったか分からないほど速いテンポで振り付けられたが、まったく不安な箇所がない。すべて振りが入った。


「もう一回サッと振りを通そうか」

そう言って振りを確認した。


瑞希が恵人に向かって

「曲でやりなよ」

「ええ!」

園香が驚いた声を上げた。


「大丈夫だよ。まあやってみようよ。分からないところは僕が教えながらサポートするから」

恵人が微笑みながら言う。

もう一度最初から簡単に動きをさらう。


「じゃあ、お願いします」

恵人が瑞希に言う。


美しい『くるみ割り人形』グラン・パ・ド・ドゥのアダージオの曲が流れだす。


 不安に思っていたが、今まで美織と優一の踊りも見ていたので、思っていたよりきちんと振り付けを覚えていた。所々ところどころ、恵人が踊りながら次の振りを教えてくれた。


 そして、何より恵人のサポートの技術の高さに驚愕する。周りで見ているバレエ経験者のスタッフはもちろん、子供を連れてきているお母さんたちにもはっきりわかった。

 今、目の前で踊っている恵人のサポートが、どれだけ上手か……まったく見ていて不安がないばかりか、これほどパートナーの女性を美しく見せられるものかと言葉を失う。

 曲の中で難しいリフトも何事もなかったかのように成功させた。プロムナードもまったくブレない。ピルエットなどターンのサポートも失敗したようなところはまるでなかった。

 最後まで踊り切りポーズ。


 周りで見ていたスタッフ、生徒やお母さんたち、ゲストの男性からもスタジオ中が大きな拍手に包まれた。


 青葉も特にダメ出しもなく、美織と瑞希も微笑みながら「よかった」と言ってくれた。

 恵人は優一のところに行き何かアドバイスを受けていたようだったが、特に大きな指摘もなかったようだった。


 恵人が園香のところにやって来た。

「園香ちゃん、上手だね。サポートしやすかったよ」

「いえ、いえいえ、恵人さんが上手過ぎて……そんな風にいうのも失礼かもしれませんが」


 微笑む恵人。

「これからよろしくね。敬語、やめてよパートナーだし、同級生だ」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「よろしく、ね」

「よ、よろしく」

「そう、そんな感じ」

二人で微笑む。


――――――

〇プロムナード

 いろいろな形があるが女性はアチチュード、アラベスクなど片方の足を上げた状態でキープ、軸足はポワントで立ち(つま先で立ち)バランスを保つ、男性が女性をウエストで支えたり、女性が一方の手で男性の肩。もう一方の手で男性の手のひらを取る形で、女性の軸足を軸にして、男性が女性の周りを一周回る。

――――――

〇アチチュード

 片足を後ろに上げキープする。上げた足のひざを緩やかに曲げた状態。あるいは上げる方の足のつま先を軸足に沿わすようにつま先が軸足のひざの位置にくるまで上げる。この時、上げた方の足のひざがくの字になる(ルティレとかパッセという、正確にはパッセは通過するという意味なのでこの形をさすものではない)この状態から上げた足をこの形のまま、つま先が真後ろ九十度のところにくるまで上げる。

――――――

〇アラベスク

 アチチュードの上げた足のひざを伸ばす。上げた足のひざを伸ばし、真後ろにまっすぐ九十度の位置まで上げる。

――――――

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