第23話 お姫さまだった?
優一は
瑞希がもう一度ビデオカメラを確認する。美織と優一の方を見る。
「お願いします」
瑞希が再生ボタンをオンにする。
『くるみ割り人形』よりグラン・パ・ド・ドゥ
ハープの音が奏でる導入部分から、やさしく美しいチェロの音色につながっていく『くるみ割り人形』のアダージオ。
二人が踊る振りは、先程、優一が
〇アダージオ
空間の中で二人の呼吸が一つになっているように感じる。二人で踊っているのに完全に一つの芸術になっている。
時々見せる美織のやさしい表情。それはこの作品の中で「お菓子の国」の王女である金平糖の精のやさしい表情であり、王子への愛情、お菓子の国のすべての者たちへの愛情を思わせる。
中盤のリフト。女性が男性に向かって助走からジャンプし体を反転させながら男性の肩に座るリフト。軽やかだ。
美織と優一が織りなすリフトは、難しい技術を必要とするリフトでも、まるで何事もない一つのシーンであるかのように見ている者に美しい映像だけを残していく。
それは超絶技巧を見た驚きの感動ではなく。二人が創り出すやさしく美しい愛の表現に対する感動のように思えた。
見ている人たちすべてが驚きや興奮ではなく、美しい芸術の瞬間に我を忘れて見入っているような感覚だった。
〇男性ヴァリエーション
王子のヴァリエーション。気品ある踊りの中にジャンプの高さと安定したターンの技術、正確なクラシックバレエの技術。どこ一つを取っても美しい。
曲はタランテラという南イタリア地方の曲、ロ短調、フルートの音色が独特で高貴な雰囲気を醸し出す。
『ドン・キホーテ』や『海賊』といった超絶なテクニックに憧れがちな中学生や小学生の男子たちも、この気品あふれる王子の美しい所作、正確なテクニックに真剣な眼差しを向けていた。
〇女性ヴァリエーション
『金平糖の精の踊り』繊細で最初から最後まで高度なクラシックバレエの技術で織りなされるヴァリエーション。
世界中のバレエの舞台で、たくさんのバレリーナによって踊られる有名すぎるこの踊り。
それだけ有名な踊りであるだけに、このヴァリエーションは個性や独自の表現、テクニックを入れる余地があまりない。
美織の踊りはその一つ一つの動きが見ている者を吸い込むように惹きつける力を持っている。気品溢れる所作と幻想的で繊細な曲の取り方、そして表現の豊かさ。
技術の高さは分かるが、つまりのところ何が他のダンサーと違うのか、それが判然としない。
長年バレエをしてきた者が、目の前で踊っている彼女を見ても、今一つ再現性がない。バレエ経験が長い者でも、彼女の踊りを見たからといって真似できるものではないと思った。
「ああ、こう表現するのか……」
「こういう風に踊るのか……」
とはならない。
見ている者全員が息をするのも忘れて見入ってしまう。
〇コーダ
グラン・パ・ド・ドゥの最後を飾る華やかでテンポの良い曲。男性と女性がテクニックを披露する。
優一のマネージュの後、教室の
フェッテをしながら移動する幅がまったく変わらない。ターンのタイミング、一回、一回、回っている姿勢もまったく変わらない。足を振るときの
見ている全員が真剣な眼差しで見ている。それは超絶技巧を見た時の興奮ではなかった。至高の芸術作品を
◇◇◇◇◇◇
踊り終わったところで、前で見ていた三歳か四歳ぐらいの女の子がいきなり美織のところに駆け寄って、
「お姫さま」
といって美織の足に抱きついた。
「こら!」
止めようとするあやめと周りのスタッフに、美織が微笑みかけたかと思った瞬間、スッと左手片手でその女の子を抱っこした。
そして、その子にやさしく微笑みながら、
「お姫さまだった?」
と聞く。喜んで頷く女の子に、美織も頷きながら
「今度一緒に踊ろうね」
とやさしく声を掛けた。
周りで見ていたお母さんたちがその光景に驚いた。それは一瞬の出来事だった。爽やかでやさしい光景に見えたその瞬間。
美織は左手片手で、ぬいぐるみか人形を抱くように三歳の子供を抱き上げた。そして片腕で抱いたまま微笑みかけ話をしている。
彼女が今片手で軽く抱いているのは小さいとはいえ十五キログラム以上ある女の子だ。ぬいぐるみではない。
美織が稽古場に来た時から、彼女をテレビや雑誌で見たことがあった誰もが思った。
想像していたよりずっと小柄で
先程もそうであったが踊っているときは別人のように大きく見える。背も高く手足の長い女性のように見えた。
しかし、こうして近くに来ると、見ていた中学生や高校生女子、お母さんたち、誰もが思う。
え? 私たちより小さい……
そんな小柄で線の細い彼女が三歳の女の子を左手だけで軽々と抱き上げた光景はその場にいる全員を驚かせた。
――――――
〇シェネ
足を一番(両足の
――――――
〇グランフェッテ
女性がグラン・パ・ド・ドゥのコーダなど作品の中の最大の見せ場で見せる技術。
軸足をドゥミ・プリエ(
――――――
〇腕の力?
アームレスリングの選手のように腕の力が強いのではありません。
「背中と脇を引き上げる力が強い」と言われたりする。
この感覚は背中をまっすぐ、腹筋を引き上げるように意識し、
肩を下に引き下げながら、まず手のひらを後ろ向けにした状態で両腕を外に広げる。この時、指先が肩よりやや下にくる位置で、両方の
そのままの肩の位置、向き、胸も背中も広げる意識。
手、指は力を抜くが遠くへ引き伸ばす。胸、背中の中心から両指先まで大きな弧を描く様な形を作る。
これをすべて意識した時、自然に背中の後ろから脇の下にかけての腕をキープする筋力が強化される。
脇の力をキープしたまま
この横に広げた腕のポジションがアラセゴンド。
体、腕のすべての筋力、感覚をそのまま胸、背中を広くしたまま、両腕を体の前、両指先が十センチくらいの位置で体の前に円を作る腕のポジションがアンナバン。
肩を下げ、すべてそのままの意識で腕を上げれるところまで上に上げた位置がアンオー。
両腕をへその前辺りまで下に下げた位置をアンバーという。
これらをすべて意識することで体幹、脇から腕を支える力が強化される。
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