悪者
文化祭実行委員の仕事が本格化した翌週月曜日から僕は本格的に紗枝と距離を置いた。悪者を買って出た僕と紗枝が友人であることは、出来ればバレない方が良い。下手に親し気であることがバレて、彼女まで悪者になる必要なんて、どこにもなかった。
かくして、文化祭実行委員の仕事が本格化して一週間が過ぎた。
放課後の物理室では、今日も物々しい雰囲気での文化祭実行委員の定例会が行われている。
本来であれば週に一回だった文化祭実行委員の定例会を毎日するべきだと提言したのは、僕だった。作業時間は短く、遅延が許されないからこそ、こうして毎日作業進度を確認するべきだと提案した。
結果、僕の小姑のような待針でチクチクする作業進度定例会は今日も滞りなく行われている。勿論、時間はほんの十分。長時間打ち合わせに時間を費やして作業時間を削るだなんて、馬鹿のすることだ。
しかし、最近では定例会に参加してこない生徒もチラホラ見えている。僅か一週間にして、僕の方針に反発する人が後を絶たなかった。
それでも、作業進度に遅延はない。
顔を青くする文化祭実行委員長の新田先輩には敢えて言っていないが、僕はそのことを把握している。
文化祭実行委員の中で一番帰宅が遅いのは僕だった。毎夜の作業に加えて、その後僕は他の作業の進度が順調かを作業場を巡っては確認してから帰っている。遅れていれば勝手に作業をして、終われば次の作業場に行って。
そんなことをして、残業する先生よりも帰りが遅いことはしばしば。
巡回のおじさんは、賄賂を持って行って僕の行為を見逃してもらっている。日本酒と一緒にどうしても文化祭を成功させたいんです、と快活に言ってやったら、あっさりと見逃してくれた。一昨日くらいからは宿直室を開けてくれて、そこで作業を一緒に手伝ってくれている。
作業は順調。
守衛のおじさんは文化祭実行委員の連中より手先は器用だし、むしろ予定より早く作業は完了するだろう。
「駄目駄目ですね」
ただ僕は、そう言って定例会の場を乱す。
やる気のなくなりつつある連中に向けて、発破をかける目的だった。
「徳井。他の皆もここに来ていないだけで、個々人作業は進めているぞ」
そんな僕を咎める声も、最近では珍しくなかった。
「作業は順調なんですか? それがわかりません。わからないことにはこういうしかないでしょう?」
「順調だ。問題ない」
そりゃ順調だろうさ。僕が尻拭いしているのだから。
「本当に? あなた『設営準備』担当の人じゃないですよね。どうしてそうだと言い切れるんです?」
「……問題ないってば」
「なら、スケジュール表に則って今どういう状況なのかを示してください」
「……それは」
ないだろう。
恐らく、最初に指示したスケジュール表への更新など、とっくに連中は行っていない。圧政を敷く僕への対抗意識で。
勿論僕は個人的にそれを更新しているが、助け舟を出してやる必要はない。
「いい加減にしろ、徳井」
僕を咎める声を発したのは、坂本先生だった。
「お前は別に文化祭実行委員長ではないだろう。なのに、進度進度と声を張って、自分の担当分はキチンと終わらせているのか」
良し。
「終わっていますよ。証明しましょうか」
「いい。むしろだったら、他のチームを手伝うなどするべきだろうっ!」
良い傾向だ。
僕の作戦はこうだった。
こうして僕が恨み役を買い、連中の団結力を高めて作業進度は遅延させず、最終的に文化祭実行委員に入れなくなった僕は、板野君にその席を譲って二度と関わらなくなる。
そうすれば、文化祭も失敗に終わらず、板野君と紗枝の関係も進展出来て、一石二鳥。
「既に手伝っています。『正門作り』チームで一番最後に帰っているのは、僕ですよ」
「最後に帰るのが偉いわけじゃないだろっ!」
まあ、それは事実だ。
ただそれを声を大にして言うのは、教師としてどうなのだろうか。生徒一人一人の頑張りを尊重し、指導するのが先生の仕事なのではないだろうか。
一瞬苛立ち、まもなく彼女を叱れるような真っ当な人間ではなかったことを思い出し、僕は目を瞑った。
「そうですね。仰る通りだ」
……作戦を忘れるな。ここいらが潮時だろう。
先生が僕を言い負かした末、文化祭実行委員の連中は僕に向けてほくそ笑んでいた。
そんな連中の態度に、怒りもなければ苛立ちもなかった。
あるのは感謝だけだった。
思った通りに動いてくれてありがとう。
このまま僕がフェードアウトすれば、後は板野君と紗枝の関係が進展するだけ。
望んだ結果になる。
本当に良かった。
不思議だった。
心から良かったと、そう思っているのに、心はどうしてか晴れなかった。
定例会終わり、物理室を後にする直前、僕は紗枝を視界に捉えた。
と言うか、目が合った。
紗枝は、少しだけ寂しそうに、僕へ向けて瞳を揺らしていた。
少しだけ、気持ちが乱れた。
ただそれでも、土日と学校に来た僕は、休日を楽しむ生徒を余所に、部活動に勤しむ生徒の傍らで文化祭準備の作業を進めた。
補導に怯えながら終電間際まで作業を毎夜続けた結果……。
「頭痛い……」
僕は、また熱を出した。
思った通りに動いてくれる文化祭実行委員の皆に感謝もしたが、我ながら自分も思った通りに動いてくれる奴だと思った。
今、目の仇にされている現状で学校を休めば……間違いなく連中は僕の陰口で躍起になることだろう。
そうなれば尚更、あの場に僕の居場所はなくなる。板野君が代わりに入る機会は増えるのだ。
「これでよかったんだ……」
うわ言のように、僕は呟いた。
これで、僕は悪者になり、板野君と紗枝の関係は発展する。
当時と同じ状況になるのだ。
良かった。
……これで、良かったんだ。
ガンガン揺れる頭が痛くて、僕は目を瞑った。
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