怠惰
文化祭実行委員を決めたその週末に、僕と紗枝は早速文化祭実行委員の集まりへと参加をした。十二月に行われる文化祭へ向けての最初の定例会は、他の学年クラス全員が集い、物理室で行われることになった。
騒がしい教室で、僕と紗枝は隣同士に定例会の開始を待った。
「はい、皆注目」
物理室の教壇にて、文化祭実行委員の担当を受け持った坂本先生が手を叩いた。美人ながら学校内でも一二を争う怖い先生を前に、さすがに実行委員の皆は静かになった。
それから、文化祭実行委員内での役員決めは開始された。慣例的に、文化祭の実行委員長はまもなく受験の迫る三年ではなく二年が受け持つことになっている。粛々と実行委員長が決められ、そして唯一、一年から選出される会計の役職決めが始まった。
「紗枝、やりなよ」
「えー?」
紗枝を唆し自らは楽をしようと企んでいるのは、他クラスの彼女の友人だった。
こう言われれば、紗枝はそれを断ることは出来ない。あの人はそう言う責任感だとか友達想いだとか、そういう言葉を体現したような人だから。その弱音に付け込むだなんて、僕程ではないが酷い奴だと思わざるを得なかった。
「じゃあ、あたしやります」
渋々、紗枝は会計の役職に収まった。
短い拍手の後、早速文化祭実行委員の活動は開始された。
「えー、早速ですが、皆さん、今日は忙しい中お集まり頂きありがとうございます。そして、ご愁傷様」
文化祭実行委員長に収まった新田先輩の言葉に、実行委員の皆は頭に疑問符を浮かべていた。
「いやね、坂本先生の前でこんなこと言うのもなんだけど……。ウチの学校の文化祭実行委員は、激務で知られているの」
確かに。
三年生は受験に差し掛かるこの時期に長時間の作業には参加しづらいだろうし、文化祭へ向けた準備期間も僅か一か月しかない。
作業者はほぼ一、二年に限られるし、単純に時間もないとくれば、激務になるのも仕方ない話だった。
「あたし、去年も文化祭実行委員に参加していたんだけど……それはもう大変で、本当は今年はゆっくりと文化祭巡りたかったのに」
文化祭をゆっくりと巡るどころか、最も忙しいであろう文化祭実行委員長に収まってしまった、と。
愚痴っぽく話す新田先輩に、僕は少しだけ同情していた。
「まあ、そんな愚痴はともかく。早速ですが、やることは大体こんな感じになります……」
カツカツ、と新田先輩が黒板に板書をしていく。
新田先輩が書いた内容は、『正門作り』、『設営準備』、『当日のプログラム作成』、『その他』。
「この『その他』ってのは、所謂承認作業だね。各クラスの出し物、まあ大体食べ物なんだけど、それが衛生管理上問題ないのか、それを確認して承諾する作業。他にも昼頃の体育館の催し物の参加団体の募集、承認や……まあそんな感じ」
「め、めっちゃ大変そうだな」
「ね。ウチ、これなら文化祭実行委員なんてやめとけばよかった」
文化祭実行委員の誰かが、嫌そうに呟いた。
ただでさえ新田先輩の愚痴で嫌な空気が蔓延っていたのに、それが余計に広がった気がした。
「まあまあ、皆で頑張って楽しい文化祭にしましょ?」
教壇からそう士気を高めるような言葉を吐いたのは、紗枝だった。
人気者な彼女だが、今回ばかりは他生徒の賛同は中々得られそうにもなかった。
「……うぅん」
紗枝の苦しそうな顔を見て、少しだけ胸が痛んだ。
正直者が馬鹿を見る、とはよく言うし、そういう場面は何度も見てきたが……他でもない紗枝が当事者になるだけで、ここまで心苦しくなるのか、とそう思わされた。
紗枝だって、言ってしまえてやらされ仕事にあの場に立たされている。クラスメイトが気乗りしないから文化祭実行委員に立候補し、一年生が気乗りしないから会計の座に収まった。それなのに、どうして今紗枝が異端者として肩身の狭い思いをしているのか。
甚だ、疑問だった。
「じゃあ早速、『正門作り』から担当者を決めようと思うけど……何か意見ある人いる?」
「はい」
気付けば、僕は手を挙げていた。
今この場で、紗枝だけが異端者として肩身の狭い思いをしている状況に耐えられなかった。せめて、僕も悪者になろうと思った。
この怠惰な雰囲気の中やる気を見出す、空気の読めない悪者になろうと、そう思ったのだ。
「先輩、まずは担当者決めよりも前に、スケジュール作成からするべきです」
「す、スケジュール……?」
困惑げに、新田先輩が首を傾げた。
少しだけざわつく教室。
数ある目の中で、今最も僕に向けて目を疑っていたのは、紗枝だった。
「色々作業はあることはわかりましたが、それはいつまでに完了させる必要があるんですか。それはどれくらい時間がかかる作業なんですか。それがわからないことには、どれにどれだけ人員をかけるべきか見えてこない。そんな進め方、全然駄目です」
「ちょっと、そんな言い方……」
「他にどんな言い方があります」
どこかから僕を咎める声がしたが、いっそのこと空気の読めない口の悪い生意気な後輩を演じようと、僕は突っかかった。
ただ事実、今の新田先輩の進め方は、大卒後数年社会人経験をしたことのある僕から見て、駄目駄目だった。
「いつまでに何を準備する必要があるか。それが必要な日は決まっているはずです。仰る通り時間はない。だからこそ、今この時に必要作業、必要な時期を見定めておく必要があります。後々、あれが足りなかった、では挽回出来ない。そうなったらもう後の祭りです」
「……えぇと」
「先輩、各項目に対して、何をいつまでに終わらせる必要があるのか、黒板に書いてください」
「え?」
「書いてください」
生意気な後輩の正論に、教室の空気は静まり返っていた。
この時、ここまで言っておいて自分は教壇の前に立たず、この場で先輩に指示をしたのは、僕の心象を悪くするためだった。
「あたし書きます」
そう名乗り出たのは、紗枝だった。
そしてそれから、物々しい空気の中、新田先輩の言葉通りに、紗枝が黒板に板書をしていく。
「先生、質問です」
淡々と、僕は手を挙げた。
「はい。なんでしょう……えぇと」
「徳井です」
「徳井君。どうぞ」
「『設営準備』って、文化祭前日までに終わらせればいいんですか?」
「え?」
うーん、と先生は唸った。
「いいんじゃない? それまでにテントや機材が揃っていれば、充分じゃない?」
「そうでしょうか?」
僕は食って掛かった。
「前日までに機材を準備して、いざ当日になって機材が故障してました、だなんてことになったら目も当てられないですよ? 二日前に『設営準備』は終わらせて、機材の動作チェックをしなくていいんですか?」
「……あぁ、そうかも」
「このようになるわけです。だから駄目だと言ったんです。さ、端から皆で各項目に対して、この日程で大丈夫かチェックしていきましょう。こんなことが出来るのは今の内ですから」
そう言って皆の奮起を促すが、どうにも文化祭実行委員のやる気は滾ってくる様子はなかった。
……ただ、それでいい。
敵視の視線をいくつか浴びながら、僕は僕の思い通りに皆が動いてくれていることを察した。
このまま僕が敵役になれば、紗枝も生真面目な部分をいくつか出しても皆から煙たがられることなんてなくなるだろう。
皆からやる気を引き出せなくても問題はない。
皆から見て文化祭が最悪な文化祭になろうが、どうでもいい。
ただ勿論、文化祭は失敗させない。
必ず成功させる。
……紗枝に、こんな早い内から失敗体験だなんて、そんな経験はさせたくなかった。
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